~序章(プロローグ)~
読者の皆様はじめまして、ミドルエッジライターの木原浩勝です。
2017年1月27日、私はミドルエッジ代表の松ちゃんと、ライターのマツド・デラックスと渋谷の喫茶店で会っていました。それは予てより、私が1970年大阪万博の熱狂と興奮をどこかで書き綴りたいと思いしたためていた草稿を披露した打ち合わせでした。
そして今回、2017年4月19日の打ち合わせ時点で2025年の大阪万博構想がさっぱり現実味を帯びていないことに心配した私と、ミドルエッジ代表の松ちゃんと、ライターのマツド・デラックスの三人は下北沢のカラオケ店で「万博好きやん(scan)研究所」を開設してみました。
なぜかって?それは、私がかつての大阪万博1970の盛り上がり……あの日本国民のお祭りとも言うべき熱狂や底力を直接目の当たりにした人間の一人だからです。
実は当時、父の会社が“富士グループパビリオン”の系列会社だったためにパビリオンの建設が他人事でなかったことが幸いして、山を切り開き土地を造り、会場が建設されていく大阪万博1970の様子をその時々に見てはワクワクする気持ちが長く続いていたのを憶えています。
そこはまさに現代なら自然環境破壊と言われかねない大工事が“21世紀の未来を創っている”現場だったのです。一緒になって遠目から見ていた人々も皆口々に「は~!これが21世紀が始まるっちゅうことかいな~……」と話していました。
2017年1月27日、私はミドルエッジ代表の松ちゃんと、ライターのマツド・デラックスと渋谷の喫茶店で会っていました。それは予てより、私が1970年大阪万博の熱狂と興奮をどこかで書き綴りたいと思いしたためていた草稿を披露した打ち合わせでした。
そして今回、2017年4月19日の打ち合わせ時点で2025年の大阪万博構想がさっぱり現実味を帯びていないことに心配した私と、ミドルエッジ代表の松ちゃんと、ライターのマツド・デラックスの三人は下北沢のカラオケ店で「万博好きやん(scan)研究所」を開設してみました。
なぜかって?それは、私がかつての大阪万博1970の盛り上がり……あの日本国民のお祭りとも言うべき熱狂や底力を直接目の当たりにした人間の一人だからです。
実は当時、父の会社が“富士グループパビリオン”の系列会社だったためにパビリオンの建設が他人事でなかったことが幸いして、山を切り開き土地を造り、会場が建設されていく大阪万博1970の様子をその時々に見てはワクワクする気持ちが長く続いていたのを憶えています。
そこはまさに現代なら自然環境破壊と言われかねない大工事が“21世紀の未来を創っている”現場だったのです。一緒になって遠目から見ていた人々も皆口々に「は~!これが21世紀が始まるっちゅうことかいな~……」と話していました。
やがて時は流れ、いまやその21世紀!しかも四半世紀を終えて場所も大阪で再び!……だというのになんでしょうこの静けさは!?そりゃその手前の2020年に東京オリンピックを控えているのだから仕方ないのかもしれません。
ですが開催地決定は2018年……なんと来年の11月なのです!それも相手は第1回目を開催したパリだというではありませんか?
つまり下手をすればオリンピックが始まる2年も前に万博はすでにパリに決まってしまうかもしれないのです。
そうなれば日本は2025年のパリ万博に建設されるであろう“日本館”をどうするのか?って心配をするだだけとなるのです。
大丈夫か?大阪万博!?熱意が足りない。足りなすぎる気がするぞ!
だから私は考えた!松ちゃん、マツド・デラックスとともに先ずは馬鹿げた熱を発生させるためにミドルエッジのコラムで「万博好きやん(scan)研究所」を開設し、そこから2025年大阪国際万国博覧会開催を応援してみよう!と。
それには47年前の大阪万博1970について、精緻な数値データを基に様々な側面から当時の雰囲気を再現して読者の皆様と分かち合い、あの当時の熱意と底力を奮い起こしてみてはどうだ!と考えた。
……が!遠い過去に遡るより前に先ずは近づく未来。迫りくる現実に目を向けよう!と思い第一章に2025年に開催が叫ばれている大阪万博2025がいったいどのような姿となるべきかを大胆に(勝手に!)予想してみたいと思ったのであります。
だっていきなり過去の大阪万博1970の話から始めたのでは“何のために?”という目標がはっきりしなくて応援がしにくいんだもん。
とはいえ2025年に開催されるかどうかも不明な「大阪万博2025」を、2020年の東京オリンピックが開かれる3年前の現在(2017年)から考えるのだから、笑い話し的に読んでいただきたい……。いや、あえていえばその前提だからこそ好き勝手な予想をしたい。
それには47年前の大阪万博1970について、精緻な数値データを基に様々な側面から当時の雰囲気を再現して読者の皆様と分かち合い、あの当時の熱意と底力を奮い起こしてみてはどうだ!と考えた。
……が!遠い過去に遡るより前に先ずは近づく未来。迫りくる現実に目を向けよう!と思い第一章に2025年に開催が叫ばれている大阪万博2025がいったいどのような姿となるべきかを大胆に(勝手に!)予想してみたいと思ったのであります。
だっていきなり過去の大阪万博1970の話から始めたのでは“何のために?”という目標がはっきりしなくて応援がしにくいんだもん。
とはいえ2025年に開催されるかどうかも不明な「大阪万博2025」を、2020年の東京オリンピックが開かれる3年前の現在(2017年)から考えるのだから、笑い話し的に読んでいただきたい……。いや、あえていえばその前提だからこそ好き勝手な予想をしたい。
~第一章~
「そもそも」
私たちの世代、万博といえば1970年の大阪か1985年の筑波。若い人にとっては2005年の愛知、いずれも30年以上も前と12年前に開催されたものだが、どれも年代によって異なる夢(のようなもの)が詰まった博覧会だった。
なかでも万博といえば大阪。今から47年も前に開催されたこの博覧会は、開催地が大阪でありながら「日本万国博覧会」の名を冠されたアジアで初の国際博覧会である。
半年間の開催期間中に6,000万人以上、実に国民2人に1人以上が訪れた計算だったこの博覧会の規模と熱狂。
そして実現に至るまでの膨大な企画と計算、さらにはそれを支えた熱意と底力がこの日本にあった……。繰り返すように書いていると承知している。だがそれは現在を支える若い人たちの理解を超えているかもしれないほどのことだったからなのだ。
第一章より先のコラムは、1年間にわたり1970年の大阪万博を徹底的に(下らない視点で)読み解いて、2020年東京オリンピック閉幕後に大きく話題となるであろう(ただし2018年11月に大阪での万博開催が決定したらの話。この原稿の段階で日本側のヤル気はさっぱり不明)2025年の大阪万博に向けて、少しでも現実的に考えていただく役に立ちたいと、私たち「万博好きやん(scan)研究所」は考えている。
まっ、とりあえずは第一章として「万博好きやん(scan)研究所」が2017年時点で「2025年大阪万博の様々な姿」について、予想していきたいと思う。
なかでも万博といえば大阪。今から47年も前に開催されたこの博覧会は、開催地が大阪でありながら「日本万国博覧会」の名を冠されたアジアで初の国際博覧会である。
半年間の開催期間中に6,000万人以上、実に国民2人に1人以上が訪れた計算だったこの博覧会の規模と熱狂。
そして実現に至るまでの膨大な企画と計算、さらにはそれを支えた熱意と底力がこの日本にあった……。繰り返すように書いていると承知している。だがそれは現在を支える若い人たちの理解を超えているかもしれないほどのことだったからなのだ。
第一章より先のコラムは、1年間にわたり1970年の大阪万博を徹底的に(下らない視点で)読み解いて、2020年東京オリンピック閉幕後に大きく話題となるであろう(ただし2018年11月に大阪での万博開催が決定したらの話。この原稿の段階で日本側のヤル気はさっぱり不明)2025年の大阪万博に向けて、少しでも現実的に考えていただく役に立ちたいと、私たち「万博好きやん(scan)研究所」は考えている。
まっ、とりあえずは第一章として「万博好きやん(scan)研究所」が2017年時点で「2025年大阪万博の様々な姿」について、予想していきたいと思う。
※最大のライバル、フランス・パリは70年ぶりの開催に意気込んでいる※
もちろんここから先、私たちは2025年に大阪万博が開催される前提で話を進めるが、2025年の万博開催地がパリに決まったとしても「万博好きやん(scan)研究所」は何らの責を負わないものとしていただきたい。それは念を押したくなるくらい、2025年の大阪万博開催が危ういからだ。
いかに日本が熱望しようとオールジャパンの一枚岩で立ち向かったとしても、開催地の競争相手がパリではいくらなんでも分が悪い。絶望的に……といっても過言ではない。
なんといってもパリは1947年を最後に70年間も開催されていない上に、日本は2005年に愛知万博をやったところなのだから……。
「わかってる!?日本!!」と思いながら、とにかく二人の協力を得て、プロローグと参りましょう。
いかに日本が熱望しようとオールジャパンの一枚岩で立ち向かったとしても、開催地の競争相手がパリではいくらなんでも分が悪い。絶望的に……といっても過言ではない。
なんといってもパリは1947年を最後に70年間も開催されていない上に、日本は2005年に愛知万博をやったところなのだから……。
「わかってる!?日本!!」と思いながら、とにかく二人の協力を得て、プロローグと参りましょう。
本資料は1992年発刊のフランス書籍。