会場は甲子園球場の約83個分の広さがありましたから、1甲子園球場に対して1.11スタンプ……およそ1個のスタンプということになります。
会場移動にモノレールや動く歩道もありましたが、その場所が外周部や中央の一部だったのでスタンプ集めにはほぼ役に立たず、ひたすら徒歩で集めなければならなかったものです。スタンプは概ね辿り着いたパビリオンに入場して出口手前で押すことになっていましたから、そのハードルの高さ故にこれまで存在は広く知られていたもののフルコンプリートの紹介はおろか、長い間総数さえよくわからない……などと言われ続けてきました。
まったくの来場者用記念スタンプとしての役割だけで一応作ったけど、「その先は集めたい人だけで考えてね!」的な大阪万博1970のスタンプは、まさに日本のスタンプラリーの元祖にして最大規模であったといえるのではないでしょうか?ソ連やビルマのように今は無い国名のスタンプや、キリスト教館など「こんなパビリオンがあったんだ!」まで楽しんでいただければと思います。
会場移動にモノレールや動く歩道もありましたが、その場所が外周部や中央の一部だったのでスタンプ集めにはほぼ役に立たず、ひたすら徒歩で集めなければならなかったものです。スタンプは概ね辿り着いたパビリオンに入場して出口手前で押すことになっていましたから、そのハードルの高さ故にこれまで存在は広く知られていたもののフルコンプリートの紹介はおろか、長い間総数さえよくわからない……などと言われ続けてきました。
まったくの来場者用記念スタンプとしての役割だけで一応作ったけど、「その先は集めたい人だけで考えてね!」的な大阪万博1970のスタンプは、まさに日本のスタンプラリーの元祖にして最大規模であったといえるのではないでしょうか?ソ連やビルマのように今は無い国名のスタンプや、キリスト教館など「こんなパビリオンがあったんだ!」まで楽しんでいただければと思います。
万博好きやん(scan)研究所による大阪万博1970徹底解説!
大阪万博2025が実現したらな~!大阪万博1970の熱狂が幼少期の興奮とともに脳裏に焼き付いている作家・木原浩勝氏。元スタジオジブリ制作、「空想科学読本」やJホラーブームのきっかけとなった「新耳袋」シリーズなど、多彩なバックボーンを持つ氏の、大阪万博2025実現に向けた渾身の提言コラム!!