1980年 成績
3勝14敗0S 防御率5.47
森口益光は、山内新一らとともに、暗黒時代の南海ホークスを支えた投手の一人です。野村克也監督が解任された1978年から活躍し出しますが、チームの低迷が始まったのがまさにこの年で、以後一度も勝ち越すことはできませんでした。
1980年は、ギリギリ規定投球回数に到達しますが、3勝14敗と大きく負け越し、防御率5.47はリーグ21位。かつては「日ハムキラー」と呼ばれ、1978年には日本ハムから4勝を挙げた投手ですが、この年の日本ハムとの対戦成績は1勝7敗。逆にカモにされてしまいました。
チームは、この年も前後期の総合成績が48勝77敗5分で最下位。全チームに負け越し、5位とは10ゲーム差をつけられました。因みに、山内はリーグ6位の防御率3.78を記録するものの、9勝16敗と大きく負け越し、森口以上の敗北を喫しています。
3勝14敗0S 防御率5.47
森口益光は、山内新一らとともに、暗黒時代の南海ホークスを支えた投手の一人です。野村克也監督が解任された1978年から活躍し出しますが、チームの低迷が始まったのがまさにこの年で、以後一度も勝ち越すことはできませんでした。
1980年は、ギリギリ規定投球回数に到達しますが、3勝14敗と大きく負け越し、防御率5.47はリーグ21位。かつては「日ハムキラー」と呼ばれ、1978年には日本ハムから4勝を挙げた投手ですが、この年の日本ハムとの対戦成績は1勝7敗。逆にカモにされてしまいました。
チームは、この年も前後期の総合成績が48勝77敗5分で最下位。全チームに負け越し、5位とは10ゲーム差をつけられました。因みに、山内はリーグ6位の防御率3.78を記録するものの、9勝16敗と大きく負け越し、森口以上の敗北を喫しています。