2016年11月25日 更新

1980年10月7日【木田勇】スーパールーキーイヤーの最終戦

木田勇のルーキーイヤーは圧巻だった。最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振、MVP、新人王などのタイトルを総なめにした。木田は優勝をかけた最終戦にもリリーフでマウンドに上がったが…

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1980年【ルーキーイヤーの記録】

【成績】22勝8敗4セーブ 防御率2.25 225奪三振
【タイトル】最多勝 最優秀防御率 最高勝率 最多奪三振
【表彰】MVP 新人王 ベストナイン ダイヤモンドグラブ賞
【記録】シーズン3回毎回奪三振試合(日本タイ記録)
    23イニング連続奪三振(日本タイ記録)

沢村賞は当時セ・リーグ投手のみの規定であったため獲得してないが、もし現在のように両リーグからの選出であれば、間違いなく獲っていただろうと言われている。

 
クラシックSTATS鑑賞 : 1980年木田勇、全登板成績【新人で20勝到達、タイトル総ナメ】 (1525362)

1979年11月27日【ドラフト会議】

 1978年のドラフト会議では、大洋、広島、阪急の3球団が1位指名した。抽選の結果、広島が交渉権を獲得したが拒否した。そして、1年待ち地元の大洋、一歩譲って在京セ・リーグの巨人、ヤクルトへの入団を夢見て、翌年のドラフトを迎えた。
巨人、大洋、日本ハムから1位指名を受けた木田の本命は出身地横浜に本拠地を置く大洋。巨人は「岡田の倍率よりまだ当たりやすい」(長嶋茂雄監督)という作戦で指名。在京セ志望の木田に“指名お断り”の強烈なメッセージを投げつけられた日本ハムは「優勝するためには2ケタ勝てる左腕が必要。うちも本拠地は東京」(大沢啓二監督)という理由で強行指名を敢行した。
早稲田大学・岡田彰布は、阪神、阪急、南海、近鉄、ヤクルト、西武の6球団から1位指名を受けた。岡田は子供の頃から熱狂的な虎党だったが、くじを引き当てたのは相思相愛の阪神だった。
木田 勇/山勝:プロ野球カード (1525355)

確率の低い方へ運命が決まったことに木田の表情は冴えなかったが「まあじっくり考えたい」とこれまでよりは軟化。一転して日本ハム入りへと傾いていった。
 というのも、木田は次の誕生日で26歳になる。プロ入りするには年齢的にギリギリという思いがあった。会社側も木田は来季の戦力の計算に入っていなかった。「今年こそプロに行く」という頭があったためで、左腕の補強も終わっていて、残りづらい雰囲気がそこにはあった。
 広島と違ってパ・リーグとはいえ、日本ハムは在京。入団の条件として家一軒を要求したなどとも報道され、やや難航はしたものの木田はファイターズの一員となった。

1980年4月6日【デビュー戦】

  4月5日の開幕が目前に迫った頃、植村義信投手コーチは木田を呼んだ。木田は西武との開幕シリーズの第2戦に行くぞと告げられた。開幕戦はエースの高橋直樹だとはわかっていたが、次が自分とは思ってなかった。
 4月6日、西武の投手は松沼博久。松沼とは社会人でも何度も対戦していた。試合は6回まで松沼は日本ハムをノーヒットに抑える好投。木田も4回、6回とピンチを作るが、味方の好守に助けられていた。しかし7回表、西武の3番土井正博にホームランを打たれ1点先制を許した。だが直後の7回裏、ソレイタがチーム初ヒット打つと、それを機に逆転し、そのまま勝利を収めた。試合終了時に、のちに木田の代名詞となる「ガッツポーズ」を作った。
ガッツポーズが代名詞だった

ガッツポーズが代名詞だった

ルーキーイヤーの1980年はオープン戦から2勝と快調に飛ばした。開幕2戦目に先発初出場して西武を相手に7安打を打たれながら完投勝利で飾った。4月の成績は防御率0.79・4勝0敗で早くも月間MVPに輝いた。空振りの取れる速球に大小2つのカーブを投げ、特にパームボールは大きな武器となった[2]。江夏豊と並ぶ23投球回無失点の日本プロ野球タイ記録も樹立している。毎回奪三振もシーズン3回記録しており、これは江川卓(1981年)と並ぶプロ野球記録である。リリーフでも登板しており、無死満塁の状況で阪急の福本豊、簑田浩二、加藤英司から全て速球で連続奪三振を取る離れ業もやってのけた[2]。
出典 木田勇-Wikipedia

1980年7月19日・22日【オールスター戦】

 木田は勝ち続け、その結果、新人としては太田幸司(近鉄)以来となるファン投票1位でオールスター出場を決めた。この時点で10勝4敗、防御率トップの1.81だった。この頃のパ・リーグには、阪急の山田久志、近鉄の鈴木啓示、ロッテの村田兆治、西武の東尾修など凄いエースがいて、自分がファン投票で選ばれるなどとはありえないと思っていた。
 7月19日オールスター第1戦は西宮球場。木田はパ・リーグ6番手で登板し、巨人の王と対戦した。「これがずっと憧れていたプロの世界なんだな」と信じられない思いだった。「打たれた方が絵になるかな?」と頭をよぎったりもしたらしいが、フルカウントからカーブで見逃しの三振に打ちとった。7月22日の第3戦は後楽園球場で先発。セ・リーグは巨人の江川卓。3回を無失点に抑えた。
17・マジック1(野球) — スポニチ Sponichi Annex 野球 第1回 大沢啓二 (1525357)

1980年10月7日【最終決戦】

 80年の後期は、73年に2シーズンが導入されて以来最大の混戦となった。西武、近鉄、日本ハムの三つ巴となり、「混パ」の文字が連日新聞紙上に躍った。日本ハムは最終戦で勝つか引き分けで優勝を決められる立場にあり、近鉄と直接対決の大一番を迎えた。
 10月7日後楽園球場。先発は日本ハムが高橋一三、近鉄は鈴木啓示。
後期優勝のかかった10月7日の近鉄との最終戦(10.7決戦)では満員の客を集めた後楽園球場で3回表無死二塁からリリーフとして登板。しかし佐々木恭介に打たれて同点。4回表には3安打を連ねられて3点を失った。カーブの制球が定まらず、バックの失策も出た。先行した近鉄を日本ハムが追い掛ける展開となった。8回表に有田修三が木田からソロ本塁打を放って6-4と2点ビハインドとなったところで、木田はマウンドに座り込み、降板した[3]。
出典 木田勇-Wikipedia
 木田は終盤戦、先発、抑えにとフル回転で投げてきた。この日も、優勝のかかった大事な試合であり、いつでも行ける準備をしていた。ところが、早々の3回途中に大沢啓二監督は先発の高橋の交代を告げた。「もう交代なの?」と思いながらも急いでマウンドに上がった。体調も悪くなく、疲労もないと思っていたが、結果は最悪の5失点。5対6で日本ハムは敗れ、優勝を逃した。「この試合に勝っていれば文句なしにいい1年で終われたんですけどね」と木田は語っている。
埼玉西武ライオンズ公式サイト (1525365)

 筆者はこの試合を後楽園球場の1塁側で観戦していた。満員札止めとなる試合は初めてで、日本ハムファンの悲願の優勝がかかったリーグ最終戦は異様な雰囲気だった。ルーキーイヤーにまさにとんでもない活躍をしてきた木田と大沢親分は心中するつもりだったのだろう。スタンドからは、これまで東映時代からエースとしてチームを支えてきた高橋直樹を、最後なんだから出せという「直樹」コールが沸き起こったりもした。日本ハムにとって木田で始まり木田で終わったシーズンだった。夢を見させてもらった日本ハムファンの歓声や怒声、罵声、悲鳴、ため息など様々な感情から発する熱が球場を覆い尽くしていた試合だったことが今でも蘇る。
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