元プロ野球選手・大島康徳さんが5年に及ぶ闘病の末に死去。
元プロ野球選手で、日本ハムで監督を務めた大島康徳さんが6月30日、大腸がんのため亡くなっていたことが明らかとなりました。70歳でした。
第一報はこちらです!
大島康徳さん死去、70歳 中日で2度のリーグ優勝貢献 大腸がん闘病「余命1年」宣告から4年8カ月#プロ野球 #npbhttps://t.co/XyHGqENIKv
— スポーツナビ 野球編集部 (@sn_baseball_jp) July 5, 2021
大島さんは1950年、大分県中津市出身。大分・中津工業高校を経て1969年に中日に入団、1974年および1982年の中日のリーグ優勝に貢献しました。そして1988年には日本ハムへと移籍し、1994年に現役を引退。現役時には、39歳10ヶ月での通算2000本安打(当時の最年長記録)など多数の記録を残しました。その後、2000年から2002年にかけて日本ハムの監督に就任。また2006年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の打撃コーチに就任し、同チームの世界一に貢献しました。そんな大島さんですが、2016年に大腸がんが発覚。それからは5年にわたり病気と闘いつつ、持ち前の負けん気で野球評論家としての活動も継続していましたが、このたびの訃報となりました。
大島さんの訃報に、野球界から悲しみの声が続々と。
現役時代には、その不器用ながらもがむしゃらなプレースタイルで人気を博していた大島さん。そんな大島さんの訃報には、野球関係者を中心に数多くの追悼のコメントが寄せられています。ここでは、その中からいくつかピックアップしてご紹介したいと思います。
堀内恒夫
巨人で監督を務めた堀内恒夫氏は、自身のブログにて「大島康徳」のタイトルで、「ドリーム・ベースボールは本当に楽しかった。気がつくといつも隣同士でさ どこの会場でも隣同士でさ まぁ、よく色んなこと話したよね。」「大島、ありがとう。またな。」と、生前最後に会ったという2020年に岩手県陸前高田市で開催されたドリーム・ベースボールでのエピソードを綴っていました。
via ameblo.jp
北別府学
広島で投手として活躍した北別府学氏は、自身のブログにて「球界の先輩である大島康徳さんの訃報を聞き大変残念でショックを受けております」と、その悲痛な心情を吐露。また「同時期に名球会入りを果たした際に忘れることのできないエピソードがあります」と、大島さんとのエピソードについて今後披露する旨を語っていました。
お互いに病を乗り越え野球談義ができる日が来るかと信じておりました。
同時期に名球会入りを果たした際に忘れることのできないエピソードがあります。
もう少し、気持ちが落ち着きましたら大島先輩の豪快なエピソードを披露したいと思います。
心よりご冥福をお祈りします。
牛島和彦
中日・ロッテで活躍した牛島和彦氏は、大島さんを追悼するコメントとともに、1986年12月のロッテ・落合博満との1対4の電撃トレードについて「オレがおまえの歳(25歳)だったら行くという、大島さんの言葉で決断した」と、当時のエピソードを披露。その1年後に大島さんが日本ハムへと移籍し、「おまえにああ言ったからな。オレも(パ・リーグに)来たよ」と言われたことを今でも覚えていると語っていました。
牛島和彦氏「大島さんの言葉で決断した」1986年12月、ロッテ・落合博満と1対4の電撃トレード― スポニチ Sponichi Annex 野球 https://t.co/3g7NPXp2k4
— toyooka (@toyookatakako) July 5, 2021
大島雅斗
お笑い芸人で大島さんの息子でもある大島雅斗氏は、自身のインスタグラムにてコメントを発表。「最期の最後までアスリートで明るくて笑かしてくれる最高の親父でした!」と、大島さんの人柄を誇りに思う旨を語っていました。
皆様へ
本当にありがとうございました!
最期の最後まで
アスリートで明るくて笑かしてくれる最高の親父でした!
これだけ惜しんでくれる人が多くて嬉しいです!
偉大な父でした!
誇りに思います!
これからも大島家をよろしくお願い致します!
このように、プロ野球界の大物を中心に多数の追悼のコメントが寄せられている大島さん。彼のその不器用ながらもがむしゃらな生き様は、これからも人々を魅了していくことは間違いないでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。