鶴田が小学校4年生の時、突然の病魔が彼を襲うことに!漫画では重病の様に見えるが、この時の病気、実は盲腸だった。だが、手術の手違いにより鶴田は生死の境をさまようことに・・・。
急死に一生を得た鶴田はスクスク成長!中学時代は相撲取りにスカウトされるまでの立派な体格へと、見事に変貌を遂げることになる。高校に入学してからは野球部に所属し、恵まれた体格を生かしてエースで4番として大活躍!甲子園を目指して練習に明け暮れていたが、受験勉強が災いして視力が急激に低下したため、野球の道を断念せざるを得なくなってしまった。その後はバスケットボールの道で大活躍し、見事に全国大会出場を果たすことになる。
中央大学の法学部へと進学した鶴田は、ついにアマチュアレスリングの道へ。何と入門一年後には、全日本アマチュアレスリング選手権で見事三位に入賞!更にその後、レスリングの日本代表選手として1972年のミュンヘンオリンピックに出場することになった。
順風満帆に思えた鶴田の人生だったが、何とミュンヘンオリンピック中に最愛の父が急死・・・。
こうしてオリンピック後は父の死をバネに、鶴田はプロレスの世界へと足を踏み入れることになるのだった。
順風満帆に思えた鶴田の人生だったが、何とミュンヘンオリンピック中に最愛の父が急死・・・。
こうしてオリンピック後は父の死をバネに、鶴田はプロレスの世界へと足を踏み入れることになるのだった。
後述する通り、デビュー直後に掲載された伝記漫画のためか、ジャンボ鶴田のプロレス時代の描写は、残念ながらラストのわずか4ページしかない本作。ただ、その分残りの40ページを使って鶴田がどうやってオリンピック選手になり、プロレスの道を志すに至ったかが克明に描かれているため、現在の目から見ても非常に貴重な資料となっている。
最後に
いかがでしたか?
本文でも紹介した通り、ジャンボ鶴田のリングデビューが1973年10月9日なのに対して、この伝記漫画が掲載されたのは1974年3月号。デビュー後半年にして、早くも自身の伝記漫画が掲載されたことからも、この当時のジャンボ鶴田と全日本プロレスの人気の凄さがお分かり頂けると思う。
残念ながら例によって本作も単行本化されておらず、読むためには掲載誌を探すしか無いのが実情だ。今となっては貴重な内容が含まれていることも多い、これら70年代の伝記漫画たち。一日も早いアーカイブ化及び単行本化が望まれるところだ。
本文でも紹介した通り、ジャンボ鶴田のリングデビューが1973年10月9日なのに対して、この伝記漫画が掲載されたのは1974年3月号。デビュー後半年にして、早くも自身の伝記漫画が掲載されたことからも、この当時のジャンボ鶴田と全日本プロレスの人気の凄さがお分かり頂けると思う。
残念ながら例によって本作も単行本化されておらず、読むためには掲載誌を探すしか無いのが実情だ。今となっては貴重な内容が含まれていることも多い、これら70年代の伝記漫画たち。一日も早いアーカイブ化及び単行本化が望まれるところだ。