丸山桂里奈  日本サッカー史上、男子を含めて唯一のワールドカップ優勝。ドイツ戦の決勝ゴールを決めたとき思ったのは「気持ちワル!」
2024年1月21日 更新

丸山桂里奈 日本サッカー史上、男子を含めて唯一のワールドカップ優勝。ドイツ戦の決勝ゴールを決めたとき思ったのは「気持ちワル!」

東日本大震災が起こった年、「サッカーで日本に元気を送りたい」という思いでドイツワールドカップに乗り込み、絶対に勝てないといわれたドイツ戦で決勝ゴールを決め、男子を含めて日本サッカー史上初のワールドカップ優勝。

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ケガをした上、所属チームと収入を失った丸山桂里奈は
「本当にピンチ!」
「このままサッカーができないのだろうか?」
と焦ったが、とりあえず目の前の治療とリハビリに黙々とこなした。
そうやって過ごしているうちにアメリカから
「トライアウトを受けないか?」
とオファーが来た。
日本代表として58試合13得点、26歳の丸山桂里奈は、それを受けて合格。
2010年3月、27歳の誕生日に単身渡米し、アメリカ女子サッカープロリーグ「WPS」に参戦しているフィラデルフィア・インディペンデンスに入った。
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フィラデルフィア・インディペンデンスは、全員がプロ契約のチーム。
1チーム、外国人選手は5名までというルールがあり、丸山桂里奈は、その1人だった。
アメリカで女子サッカーは、野球、バスケットボール、アメフトに次ぐ人気スポーツだったので、待遇や収入は日本と大きく違った。
「私の場合は、1クール(試合のない期間も含めて約1年間)で1000万円の契約でした。
私はトライアウトを受けた末の契約だったので、普通にプロ契約を結んだ選手なら報酬はもっと高いはず。
代表クラスのスター選手ともなれば、スポンサー契約などもあるので収入は億単位かもしれません」
外国人選手である丸山桂里奈は、チームからホストファミリーが手配され、移動のための車も与えられた。
女子サッカー人気が高いアメリカでは選手の受け入れを歓迎する家庭が多く、丸山桂里奈もホストファミリーから手厚くもてなされた。
ドイツ人の夫、イタリア人の妻は、共に弁護士で、プール、シアタールーム、トレーニングルームがある豪邸に、小学生の姉妹、ラブラドールレトリバーの「ローメン」が一緒に住んでいた。
丸山桂里奈は、豪邸と駐車場を挟んで建つ離れの家を丸々借りて生活し、ホームパーティーをしたり、姉妹に
『カリナ、一緒にサッカーしようよ』
と誘われたり、ローメンも一緒にみんなで海に行ったりして楽しんだ。
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日本が組織力重視だったのに対し、アメリカはフィジカルサッカーだった。
アメリカ人選手のスピード、パワーはケタ違いで、練習も超ハードだった。
基礎トレーニングでも、腕立て伏せ100回、腹筋500回など日本なら男子並みのメニューだった。
その上、丸山桂里奈には言葉の問題があり、監督が何をいっているのか、ほとんどわからない。
例えば
「30秒ダッシュして10秒ジョグ」
といっているのはわかっても、それを何分続けるのかはわからない。
ペース配分ができず、終わる頃にはフラフラになるなど練習が手探りとなって一層キツくなった。
「そもそも契約では通訳がつくことになっていました。
でも向こうのスタッフは『そんなことは聞いていない』って。
おまけに背番号は7を希望してたのに11になっていたりして。
まあカズさんが11だからいいかと切り替えましたけど」
ゲームになると状況はさらに厳しくなって、監督のいっていることがわからないので戦術も理解できず、監督が思うように動けない。
理解できずに説明してもらうなど、いろいろなことに時間がかかり、グラウンドでのチームメイトとのコミュニケーションにも問題が起こった。
結果、試合で使われなくなった。
「サッカーをやめてしまいたいと思ったことは1度や2度ではありませんが、最もつらかったのはアメリカのプロリーグ時代です。
なかなか試合に出場させてもらえず悶々とする毎日。
日本のチームでは、全試合スタメン出場が基本だった私にとって、アメリカでの現実は屈辱的でした。
シーズンが終わるのを待たずに日本に帰ることも考えたほどです」
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実力で劣る選手が試合に使われ、自分は外されるという異常事態に丸山桂里奈は、毎日、必死に練習。
英語を勉強するために現地の家庭教師を雇ったが、自分の英語よりも家庭教師の日本語の方が上達してしまった。
意思疎通に苦しむ丸山桂里奈をチームメイトのエイミー・ロドリゲスとリンジー・パターソンがサポート。
丸山桂里奈のホームステイ先まで遊びにいって、野球観戦やショッピング、バーベキューに連れ出した。
エイミー・ロドリゲスとは、後にワールドカップの再開。
決勝戦のピッチでアメリカ代表の背番号8をつけたエイミーと目が合うと、ニコッとチャーミングな笑顔で返してくれた。
「人は絶対に1人ではダメ」
という考えを持ち、1人の環境をつくらないためにできるだけたくさんの人とつながるようにしてきた丸山桂里奈は、日本の食材がある店で出会った人から知り合いを紹介してもらい、
「そこからドンドンたどっていった」
するとボランティアで通訳をしてくれる人が現れた。
ホストファミリーの知り合いの秋葉さんには、郊外でトレーナーをしている岸本康平を紹介してもらい、
「岸本くん」
に呼んで、マッサージを依頼。
岸本康平はマッサージの免許は持っていなかったが、丸山桂里奈の頼みをきいたのをきっかけになり本格的に勉強。
後に日本のプロバスケットボールチームのトレーナーとなった。
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ドリブルが得意な丸山桂里奈は、ゴール前でボールをもらうとパスをせずに自分でいくことが多かったが、状況によって、より確実に得点が決められると思えばパスすることもあった。
その点、アメリカの選手は強烈で、たとえ自分より味方がいい位置にいても無理やり自分でゴールに持ち込もうとする。
ボールをもらいにいくと思い切り蹴られたり、自分がボールを持っていると味方なのに体をぶつけられて奪われることもあった。
「遠慮してたら永遠にゴールを決められない」
悟った丸山桂里奈は、ボールをもらうとパスをせずに、そのままドリブルしてシュートまでもっていくようにした。
アメリカ人の強引さはプレーだけではなかった。
自己主張が強い人が多く、自分の意見を遠慮なく主張する。
それは相手チームだけでなくチームメイトに対しても、年齢など関係なくストレートに意見をぶつける。
練習中、チームメイト同士で放送禁止用語を連発させて激しく罵り合うなど日常茶飯事。
それは日本でもあることだったが、激しさが違い、
「アメリカ、怖っ」
と思ったが、激しくいい合った後、ピッチを離れれば誰も引きずらず、まったく後腐れがなく、
「切り替え、早っ」
監督に対しても
「なぜ自分を試合に出さないのか?」
と聞くだけでなく
「あの選手を使うより自分を出した方がいい」
と日本では考えられない自己アピールする選手もいた。
丸山桂里奈は、チームメイトを悪くいうことには馴染めなったが、多くの場合、アメリカ人のストレートな自己主張は納得できた。

大丈夫だよ

丸山桂里奈はフィラデルフィア・インディペンデンスに入るときに代理人を務めた男性と交際していた。
「代理人の契約も選手としてしてたし、彼女と彼氏の契約もそのときに結んでいました」
その
「料理が出来なくて掃除もしないような、顔もそんなに格好良くなかった」
という彼氏に酔っぱらったときに
「本当は7人と付き合っていて、君を入れて8人なんだよ」
と8股を暴露され、7人の彼女の写真をみせられた。
そして渡米3ヵ月後、監督から
「このままチームにいても試合には使わない」
といわれ精神的に参ってしまい、どうしたらいかわからず、ワシントン・フリーダムにいた澤穂希に相談。
「やれるだけやった方がいいと思うよ」
といわれ、
「この曲聴いたら前向きになれると思う」
とFUNKY MONKEY BABYSの「大丈夫だよ」を教えてもらった。
「♪君が今何も言えなくて涙を流して
大丈夫 大丈夫 僕も同じような夜を超えてるから
泣きたいときは泣いてもいい その後に笑えれば
大丈夫 大丈夫 涙が全部洗い流してくれるから♪」
曲を聴いた途端、涙があふれ、
「澤さんもこんな心境になったことあるのかな?」
と思うと胸がいっぱいになった。
それからはこの曲を繰り返し聞いて頑張り、少なかったが試合にも出ることができた。
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しかしそれから2ヵ月の渡米5ヵ月目に、
「2軍にいくか、契約を打ち切って違うチームにいくか、どちらか選べ」
といわれ、日本に戻ることを決めた。
結局、アメリカにいたのは5ヵ月間。
出場した公式戦は4試合。
悔しくてたまらず、強い挫折感に襲われた。
「同時期にアメリカのプロリーグに在籍されていた澤穂希さんからの激励もあり、何とか最後までやりきることができました。
それでも当時は悔しさしかありませんでしたが、自分の思い通りにならない状況にも耐え抜く粘り強さは、アメリカ時代に身についたように思います。
ましてや、翌年にドイツで開催されたワールドカップでは日本代表に選んでいただき、優勝できたことを思えば、もがき苦しみながらでもやめないことを選んで良かったと心の底から思います。
なのでときどき『どうすれば夢はかないますか?』って聞かれるんですけど、いう質問には「やめないこと」と答えています。
叶う夢もやめてしまったらそこで終わりですから。
「やめないこと」を選んだ人だけが見られる最高の景色、得られる達成感や喜びがあると、私は信じています」
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アメリカ挑戦失敗は、帰国後のチーム探しに悪影響を及ぼすと思われたが
「目の前のことに一生懸命」
という信念と自分の可能性を信じた。
するとメニーナでチームメイトだった石田美穂子に
「ジェフレディースがイイと思うよ。
桂里奈に合うと思う」
といわれた。
ジェフユナイテッド市原・千葉レディースは、石田美穂子が4年間いたチームで、丸山桂里奈は連絡を取ってもらった。
3月の終りにアメリカに渡った丸山桂里奈は、9月17日、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースへ入団。
ジェフレディースのチームメイトのほとんどがアルバイトで生計を立てていた。
毎日朝から夕方まで働いて、19時半~22時にハードな練習を行い、24時くらいに帰宅し、翌日も早起きして仕事に行かなければならず、中には練習後、またバイトに行くという選手もいた。
そんな中、
「私は働きたくなかったんです。
サッカーのために仕事をしているはずなのに、仕事で疲れ果ててサッカーどころじゃなくなっている選手をたくさんみてきましたから。
ただ私の場合は実家暮らしだったし、アメリカ時代の貯金もあったので何とかなりましたが、みんな本当にお金に困っていましたね。
一人暮らしだと食べるものにさえ困る生活で、友だちから食料を貰う選手もいたし・・・」
という丸山桂里奈はプロ契約。
フィラデルフィア・インデペンデンスは1シーズン1000万円だったが、ジェフレディースは400万円。
交通費を削るため、電車に使わずに徒歩や自転車で移動するなど節約に努めた。
「日本では400万円でも相当もらってるほうでした。
私はあまり物欲がないので使わないんです。
貯金も得意じゃないんですが、使わないので残るという感じです」
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「サッカーの試合では、それが大きな国際大会だったとしても、緊張したことはありませんでした。
別のいい方をすれば、可能な限り備えて緊張しないですむようにしていたともいえます。
練習量や食事内容など、できることは全部やったという状態にしておけば、後は力を発揮するだけなのでワクワクしてきます」
という丸山桂里奈は、独自の食事ルーティンを行っていた。
国内リーグの試合は基本的に日曜日なので、それに合わせて月~木はタンパク質のみ、金、土は白米4、5杯のみ。
「カーボローディング法という、月~木は鶏をそのまま茹でて、金、土は白米だけでエネルギーを溜めた」
体調が悪いときは、
「とにかく刺激のある食事」
と、例えばラーメンに酢を1本を入れて、むせながら食べた。
こういったストイックな食事を続ける一方、
「食べたいものを食べる。
ただし、食べ過ぎない」
という考えも持っていて、
「餃子が食べたいな」
と思ったら、車で宇都宮までいき、
「手羽先が食べたいな」
と思うと名古屋へ。
夜行バスで大阪にタコ焼きを食べにいったり、博多にラーメンを食べにいき、日本代表で海外にいったときは、本当はスタッフがチェックするまで食べてはいけないのに勝手に食べた。
「とにかくおいしいものを食べるためならどこまでも!となって即、行動してしまう」
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大事なのは
「安くておいしい」
ということで、甘いものも大好きだがレストランやカフェでスイーツを食べても
「高くておいしいのは当たり前」
と思ってしまう。
それに対してコンビニのプレミアムデザートは
「一生懸命研究して、これほどの味をつくったんだ」
「この味をこの値段で食べられるなんて」
と感動し、幸せな気持ちになれ、
「苦労して開発されたのだから・・・」
ととりあえず全部買ってしまう。
「新発売とかにも敏感です。
コンビニで、すぐに見つけて買うみたいな。
そういうのにはすごい敏感です」
デパ地下も大好きで、セール品、限定品には目がなく、たとえファンに気づかれても、かまわず試食。
地元のスーパーも大好きで、店先でたい焼きの屋台などが出ていれば大量に買ってしまい、店内では半額になったもの探し回った。
「恥ずかしいとかまったくなくて、普段食べてるおいしいものが半額だったら喜んで買います」
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