広瀬香美の楽曲を長年使用していたことにより「アルペン=広瀬香美」というイメージを持つ方も多いかと思いますが、広瀬以外のアーティストも積極的に起用しています。90年代には、鈴木あみのシングル「all night long」「white key」や小柳ゆき「あなたのキスを数えましょう」を、スノーボードのブランド「kissmark」のCMソングとして起用し、当時のスノーボードブームの流れに乗りいずれの楽曲もヒットに導いています。
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”ゲレンデがとけるほど恋”ができたスキー場
アルペンのCMソングを中心に、冬のヒットソングが多数生まれた90年代。その一方で、スキーを題材とした映画も多数制作されました。その口火を切ったのは、1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」。主演の原田知世と三上博史が描く恋愛模様は、当時の女性たちの憧れの的となり、挿入歌に採用された松任谷由実「恋人がサンタクロース」は、スキー場での定番曲として広く浸透しました。
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そして、バブル景気とともにスキーブームが加速していった90年代初頭になると、スキー場が舞台の映画が続々と公開されるようになります。1991年にはスキー版“イージーライダー”とも呼ばれる風間トオル主演の「雪のコンチェルト」、1995年にはウィンタースポーツを通じて男女の恋愛・友情を描いた「ゲレンデがとけるほど恋したい」がそれぞれ公開。特に「ゲレンデがとけるほど恋したい」は、広瀬香美の同名曲を大ヒットに導いたほか、主演の大沢たかおと広瀬が結婚するきっかけにもなりました。
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上述のような映画作品の後押しもあり、90年代の冬においてはカップルや家族、友人グループでスキー場へ出かけるのが一般的な光景となっていました。当時、夜行列車や深夜バスを活用してスキー場まで移動するグループもよく見かけましたよね。
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スキーブームの終焉
このように、90年代半ば頃まではスキーをテーマとした映画が多数制作され、それに合わせてスキー人口も1993年には1860万人に到達するほどにまで成長を遂げたのですが、90年代後半になると、バブル崩壊によるリゾート産業自体の需要低下や、暖冬による雪不足などが原因でスキー人口が急速に減少。2002年には800万人を割り込むなど、ピーク時の3分の1程度まで落ち込むこととなります。
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スキー人口の減少に加え、スキー板の輸入関税撤廃の影響もあり、「ハガスキー」「カザマスキー」といった国内メーカーが倒産。そして1997年にはヤマハが、1998年にはNISIZAWA(ニシザワ)がスキー事業からの撤退を表明しました。なお1998年は長野オリンピックが開催された年であり、日本勢が金メダルを5個獲得するなどの活躍を見せ、スノーボードの人気が高まるなど好材料の揃った年だったのですが、スキー人口自体の減少を抑えることは出来ませんでした。
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スキーブームが終焉に向かっていた90年代ですが、バブル期に計画されたリゾート施設がバブル崩壊後に建設完了となるケースが散見されました。例えば、1993年には千葉県船橋市に世界最大の屋内スキー場である「ららぽーとスキードームザウス(通称:ザウス)」がオープン。オープン当初はスキーブームのピークであったため客足は好調であったものの、その後のブーム終焉により経営は悪化。結局2002年に営業を終了し、現在は解体されています。
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ピンチをチャンスに変えたアルペン
このように、21世紀に入る頃には急速に収束へと向かったスキーブーム。その影響を受けたのは、アルペンも同様でした。初代・水野泰三社長は、ウィンタースポーツという自社の得意分野に囚われない市場開拓を目指し、1997年には自社ブランド「kissmark(キスマーク)」にてスノーボード用品、ゴルフ用品、一般アパレルなどを展開。さらに2006年には、自社ブランド「IGNIO(イグニオ)」にてサッカー、野球などを含めたあらゆるスポーツ用品を展開しています。そしてウィンタースポーツにこだわらないその方針は、2代目・水野敦之社長の下でも踏襲されています。
店舗に関しても、ウィンタースポーツ関連を扱う「アルペン」は大胆に減らし、それに代わる形でゴルフ専門店である「GOLF5」やスポーツ用品全般を取り扱う「スポーツデポ」などを多数出店しています。これにより「スキーと言えばアルペン」というかつてのイメージからの脱却を図ることに成功しました。