兼高かおる世界の旅
毎週日曜の朝、お茶の間で流れていませんでしたか?
via www.tbs.co.jp
開始当初「兼高かおる世界飛び歩き」時代から通算して30年10か月、1586回放送
美しい街並を「○○のパリ―(パリ)」と表現することが多く、サイゴンを「アジアのパリー」、ベイルートを「中東のパリー」、ブエノスアイレスを「南米のパリー」などと紹介していました。
via blogs.c.yimg.jp
ジャーナリスト、兼高かおる
兼高かおる
兼高かおる(本名:兼高ローズ、1928年2月29日 - )はジャーナリスト、日本旅行作家協会会長。
兵庫県神戸市生まれ。香蘭女学校卒業後、ロサンゼルス市立大学に留学。その後ジャーナリストとしてジャパンタイムスなどで活躍。
海外取材が多く、150カ国以上に渡航したことで知られます。
兵庫県神戸市生まれ。香蘭女学校卒業後、ロサンゼルス市立大学に留学。その後ジャーナリストとしてジャパンタイムスなどで活躍。
海外取材が多く、150カ国以上に渡航したことで知られます。
初めて南極点に到達した一般女性のうちの一人。
1971年、南極点に到達。そのとき同行していた南米の女性と「どちらが一番とかなしにしよう」と話し合って同時に南極点に立てられていたポールにタッチしたそうです。
ちなみに1989年4月には北極点にも到達。
1971年、南極点に到達。そのとき同行していた南米の女性と「どちらが一番とかなしにしよう」と話し合って同時に南極点に立てられていたポールにタッチしたそうです。
ちなみに1989年4月には北極点にも到達。
単に映像を放映するだけでなく、自身がナレーションとして芥川隆行に旅行の状況を語りました
番組開始当初はまだ日本人の海外渡航自体に制限があり(海外旅行が自由化されたのは1964年4月1日)、また1ドル=360円時代でかつ外貨持ち出し制限もあるなど数々の困難があったようです。
via www.route207.net
基本的に番組スポンサーは一社による提供でした(航空会社以外に)
番組開始から20年以上にわたりパンアメリカン航空(PAA)が協賛
PAA倒産後はスカンジナビア航空。
番組の第一期(白黒テレビ番組時代、及びカラー化移行直後時代、1977年まで。カラー放映時での番組タイトル・テロップ色は白色)、テーマ曲には映画「八十日間世界一周」のテーマが使用されました。
番組の第一期(白黒テレビ番組時代、及びカラー化移行直後時代、1977年まで。カラー放映時での番組タイトル・テロップ色は白色)、テーマ曲には映画「八十日間世界一周」のテーマが使用されました。
オープニングは世界各国の映像を流しつつ番組の賞歴をエンドロール形式で流し、最後の方では飛行機の映像に変わっていきつつ協賛会社のナレーションが流れました。
当初(PAA)時代は「番組の制作に当たっては世界で最も経験のある航空会社パンアメリカンの協力を得ました」で、のちに「この番組の制作にあたっては世界の翼、パンナムの協力を得ました」となり、(SAS)に交代以降は「この番組の制作にあたってはSASスカンジナビア航空の協力を得ました」と紹介。
当初(PAA)時代は「番組の制作に当たっては世界で最も経験のある航空会社パンアメリカンの協力を得ました」で、のちに「この番組の制作にあたっては世界の翼、パンナムの協力を得ました」となり、(SAS)に交代以降は「この番組の制作にあたってはSASスカンジナビア航空の協力を得ました」と紹介。
懐かしい番組 - YouTube
兼高かおる世界の旅
via www.youtube.com
『世界飛び歩き』時のスポンサーは石川島重工業(石川島播磨重工業→IHI)。
数年後には三井物産をはじめとする三井グループが務め、そのときは「三井ワールドアワー(MITSUI WORLD HOUR)」と紹介。
この当時、オープニング・エンディングにはインフォマーシャル的なコメントが用意されていました。
(オープニング)
「三井ワールド・アワー 兼高かおる世界の旅。この番組は躍進する日本経済の原動力、三井グループの代表11社の提供でお送りいたします。300年の伝統と信用。最も新しい経営と技術を誇る三井各社は、産業経済の発展に貢献するとともに、貿易を通じて広く世界に活躍しております。番組の制作に当たっては世界で最も経験ある航空会社・パンアメリカンの協力を得ました」
(エンディング)
「この番組は躍進する日本経済の担い手、三井グループの代表…(協賛11社読み上げ 中略)以上11社がお送りいたしました。パンアメリカン航空は、世界で最初に大西洋横断空路・中南米空路・太平洋横断空路・また世界一周空路を開設した航空会社です」
数年後には三井物産をはじめとする三井グループが務め、そのときは「三井ワールドアワー(MITSUI WORLD HOUR)」と紹介。
この当時、オープニング・エンディングにはインフォマーシャル的なコメントが用意されていました。
(オープニング)
「三井ワールド・アワー 兼高かおる世界の旅。この番組は躍進する日本経済の原動力、三井グループの代表11社の提供でお送りいたします。300年の伝統と信用。最も新しい経営と技術を誇る三井各社は、産業経済の発展に貢献するとともに、貿易を通じて広く世界に活躍しております。番組の制作に当たっては世界で最も経験ある航空会社・パンアメリカンの協力を得ました」
(エンディング)
「この番組は躍進する日本経済の担い手、三井グループの代表…(協賛11社読み上げ 中略)以上11社がお送りいたしました。パンアメリカン航空は、世界で最初に大西洋横断空路・中南米空路・太平洋横断空路・また世界一周空路を開設した航空会社です」
兼高かおる世界の旅OP 三井グループの歌、富田勲 - YouTube
via www.youtube.com
1977年から1987年まで三洋電機(および同社グループ)による1社提供番組。
三洋電機グループ提供時代にはヒッチハイク枠で同社の石油ファンヒーターの回収CMをおこなったことがありました。
1986年12月1日に「SANYO」のロゴが一新されたことを受けて、同年12月7日放送分からオープニングキャッチがリニューアルされCMソングも一新。同年11月30日放送分までは「♪20歳(はたち)になろうが〜 50になろうが〜」の歌い出しで始まるCMソングがオープニングキャッチとして流されました。
1987年から関西ペイントの1社提供番組だったものの、最末期はユニバーサル証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)筆頭→ファーストグループほか複数社提供に。
三洋電機グループ提供時代にはヒッチハイク枠で同社の石油ファンヒーターの回収CMをおこなったことがありました。
1986年12月1日に「SANYO」のロゴが一新されたことを受けて、同年12月7日放送分からオープニングキャッチがリニューアルされCMソングも一新。同年11月30日放送分までは「♪20歳(はたち)になろうが〜 50になろうが〜」の歌い出しで始まるCMソングがオープニングキャッチとして流されました。
1987年から関西ペイントの1社提供番組だったものの、最末期はユニバーサル証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)筆頭→ファーストグループほか複数社提供に。
淡路島には兼高かおる旅の史料館があります
兼高かおる旅の史料館 - YouTube
via www.youtube.com
80過ぎてなお、世界を旅する兼高かおるさん
via www.amazon.co.jp
わたくしが旅から学んだこと 80過ぎても「世界の旅」は継続中ですのよ! : 兼高 かおる : 本 : Amazon
¥¥1,620
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全行程は721万kmで、地球を実に180周した計算。