結果としてセガの8bit家庭用ゲーム機はセガ・マークⅢ、マスター・システムで終止符を打ち、1年後の1988年、セガはいち早く16bitの家庭用ゲーム機「メガドライブ」で捲土重来を期すのでした。
16bitになってもセガはセガらしく、挑戦者であり続けました!
CM MD SEGA メガドライブ いとうせいこう「時代が求めた16BIT」 - YouTube
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【メガドライブ】ファミコンの後継ポジションを狙った熾烈なゲーム機戦争、セガは16BITメガドライブを引っ提げてファミコンやPCエンジンに戦いを挑みました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
ファミコンが世を席巻した1980年代、そのファミコンの後継ポジションを狙った「第4世代」と呼ばれるゲーム機戦争がありました。NECホームエレクトロニクスが仕掛けた1987年のPCエンジンを筆頭に、1988年のセガ「メガドライブ」、第4世代を制した任天堂のスーパーファミコン(1990年)、ネオジオ(SNK、1990年)。なかでもハード戦争に本気で立ち向かったセガの意欲作「メガドライブ」を語ることなく第4世代は語れないでしょう。
メガドライブ⇒セガサターンと進化しても、セガのポジションは変わらない!今度の相手はSONY(プレイステーション)だ!!
1983年の「SG-1000」から、すでに15年も経過した1998年。セガは幾度目かの大勝負に打って出ました。
そして、そのときセガがとった戦法は、後世に語り継がれる「湯川専務」シリーズによる自虐ネタだったのです。
そして、そのときセガがとった戦法は、後世に語り継がれる「湯川専務」シリーズによる自虐ネタだったのです。
【進め!湯川専務】「セガなんてだっせーよな」「プレステのほうが面白いよな」セガが打って出た自虐的なCMで一躍脚光を浴びました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
セガと聞くと、私たちは何を思い浮かべるでしょうか。「メガドライブ」「ソニック」「セガサターン」「バーチャファイター」 ひとによって思い出すものは様々ですが「ドリームキャスト」と「湯川専務」を忘れてはなりません。セガの自虐的なCMで一世風靡した湯川専務、その彼がタッキーこと滝沢秀明とともに懸命に売り出そうとしたものこそが「ドリームキャスト」だったということを。