『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』『ポパイ』ファミコン本体と同時発売されたゲーム!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
1983年のファミコン発売はいまだに衝撃的な出来事でしたよね、当時は予約が殺到して、初日に入手出来た人はヒーローでした。そんなファミコンと同時発売されたソフトは3本だったの憶えていますか?
当然私たちはまた、ファミコンがやって来た友人の家に集まった訳です。
そこで、私たちは口々にこう叫んでいました。
「セガよりおもしれーじゃん!」
そう、そこには一番早く「セガ」をゲットし、友人を招いてたくさんゲームさせてくれた彼もいたわけです。
その友人の家はお金持ちで、その後なんとファミコンまで買い与えてもらっていました。
しかし、世の中そんなご家庭は少なかったに違いありません。
多くの同じ境遇の人は
「セガも楽しいからOK」
「我慢してセガユーザーを続ける」
「ファミコンに鞍替え」
「ファミコン求めて友達の家を放浪記」
のいずれかの選択肢を突き付けられていたのではないでしょうか。
そこで、私たちは口々にこう叫んでいました。
「セガよりおもしれーじゃん!」
そう、そこには一番早く「セガ」をゲットし、友人を招いてたくさんゲームさせてくれた彼もいたわけです。
その友人の家はお金持ちで、その後なんとファミコンまで買い与えてもらっていました。
しかし、世の中そんなご家庭は少なかったに違いありません。
多くの同じ境遇の人は
「セガも楽しいからOK」
「我慢してセガユーザーを続ける」
「ファミコンに鞍替え」
「ファミコン求めて友達の家を放浪記」
のいずれかの選択肢を突き付けられていたのではないでしょうか。
【マリオブラザーズ】マリオが主役となった記念すべきタイトル!そして「元祖」2人同時プレイアクションゲーム!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
「マリオブラザーズ」を憶えていますか?スーパーマリオになる前、マリオが主役となって初の作品「マリオブラザーズ」。ファミコン黎明期に発売されたこのソフト、なにが斬新だったかといえば「2人同時プレイ」。マリオとルイージが協力して敵を楽していく、、かと思いきや、対戦プレイにアツくなりませんでしたか?(笑
1983年のクリスマス、とうとう我が家にも家庭用ゲーム機が来てくれたのでした。
そう、サンタさんが「マリオブラザーズ」と一緒に「ファミコン」を我が家に届けてくれたのです。
それ以来、私の頭の中から「セガ」の2文字はすっかり他所のこととなっていたのでした。
そう、サンタさんが「マリオブラザーズ」と一緒に「ファミコン」を我が家に届けてくれたのです。
それ以来、私の頭の中から「セガ」の2文字はすっかり他所のこととなっていたのでした。
セガ、その戦いの初手となった「SG-1000」
「SG-1000」はどんなマシンだったのか
1983年から1987年にかけて66タイトルのゲームがリリースされました
1983年 23タイトル
1984年 9タイトル
1985年 25タイトル
1986年 7タイトル
1987年 2タイトル
1984年 9タイトル
1985年 25タイトル
1986年 7タイトル
1987年 2タイトル
SEGA SG-1000 ゲームソフトCM 80年代 - YouTube
via www.youtube.com
1984年7月にはマイナーチェンジした「SG-1000Ⅱ」
この後の「セガ・マークⅢ」にも踏襲された本体デザインでしたね
「SG-1000」から1年たった84年7月、「SG-1000Ⅱ」が登場しました。
遊べるゲームソフトが変わったわけではありませんが、コントローラがファミコン型となり本体デザインもスッキリとしたわけです。
遊べるゲームソフトが変わったわけではありませんが、コントローラがファミコン型となり本体デザインもスッキリとしたわけです。
via sega.jp
しかしながら、この年の新作リリース本数は9本。
同年、「ハドソン」「ナムコ」といったサードパーティーの雄が参戦し、以降も続々と参入準備に入っている会社が存在したファミコン陣営と比べると、すでに「我が道」感が出始めていたのは否めませんでした。
同年、「ハドソン」「ナムコ」といったサードパーティーの雄が参戦し、以降も続々と参入準備に入っている会社が存在したファミコン陣営と比べると、すでに「我が道」感が出始めていたのは否めませんでした。
1985年10月20日、ハード性能でファミコンに引けを取らない「セガ・マークⅢ」投入
ファミコンに遅れること2年、比肩しうる性能を誇る「セガ・マークⅢ」誕生
発色数などではファミコンを上回るスペックもあったSG-1000Ⅲ(通称・セガ・マークⅢ)。
しかしながらファミコンの爆発的な普及、サードパーティー制導入の遅れによるソフトラインナップの偏りにより、劣勢を覆すには至らず。
ただ、この頃から「セガマニア」と呼ばれるような熱狂的なマニア層が形成されていきました。
しかしながらファミコンの爆発的な普及、サードパーティー制導入の遅れによるソフトラインナップの偏りにより、劣勢を覆すには至らず。
ただ、この頃から「セガマニア」と呼ばれるような熱狂的なマニア層が形成されていきました。
激闘!セガマニアたち! - Middle Edge(ミドルエッジ)
任天堂、ソニーなどのゲームメーカーがしのぎを削る中セガの勝利を確信したセガマニアたちの激闘を追う!
SG-1000シリーズとの互換性を保ちながらも、セガ・マークⅢのハード性能を生かした専用ソフトが続々とリリースされていきました。
この互換性、その後も多くの家庭用ゲーム機で繰り返されることとなりますが、基本的にユーザーの上位機種への買い替えが進めば経済圏が広がり、新たなゲームソフトも登場して盛り上がります。
しかしながらそうならなかった場合、上位機種対応のゲームがあまりリリースされず、結果的に新しいハードが盛り上がらずに終わってしまうことが多々ありました。
例えばMSXのように。。。
この互換性、その後も多くの家庭用ゲーム機で繰り返されることとなりますが、基本的にユーザーの上位機種への買い替えが進めば経済圏が広がり、新たなゲームソフトも登場して盛り上がります。
しかしながらそうならなかった場合、上位機種対応のゲームがあまりリリースされず、結果的に新しいハードが盛り上がらずに終わってしまうことが多々ありました。
例えばMSXのように。。。
パソコン?ゲーム機?多くの人がいまだ愛して止まない、一時代を築いた「MSX」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1980~90年代初期にかけて一時代を築いた伝説のパソコン「MSX」。パソコンが欲しいけど高くて買えなかった人にとって馴染み深いパソコンではないでしょうか。ファミコンやPC88をはじめとした高価なパソコンと比較され続けたMSX、いまも多くのファンが存在しています。
一方1985年9月13日、ファミコンではあの「スーパーマリオ」が登場
このカセット一本で680万本以上も売り上げた、前代未聞のモンスターソフト。
セガ・マークⅢはそんな、空前のスーパーマリオブームのなかでの船出だったわけです。
セガ・マークⅢはそんな、空前のスーパーマリオブームのなかでの船出だったわけです。
しかし、当時としては段違いに高性能なファミコンの前に劣勢を強いられることとなります。
とはいえ、発売当初は5万台程度の販売台数を見込んでいたのが、実際には日本国内だけでも初年度で十数万台を販売し、さらに海外でも販売され、実に40万台の販売を記録。
セガの見込み以上に売れる大ヒットとなり、その後のセガ独自ハード路線を決定づけたのです。