平松愛理のデビューまでの軌跡
平松 愛理(ひらまつ えり、1964年3月8日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。本名:平松 絵里(読み方同じ)。
1964年、兵庫県神戸市に生まれる。父、母、兄の4人家族で育った。父親は平松医院を経営。兄は大阪大学医学部消化器内科医局長。
10歳の頃、洋楽好きでカーペンターズ・ファンの4歳上の兄の影響で、歌に興味を持ち始める。
17歳の時に関西ローカルのオーディション番組「ヤングプラザ」に出演。
1987年、村田和人(むらたかずひと)率いる4人組のユニットHoney & B-Boysのアルバム『Back to Frisco』でレコードデビュー。
1989年2月21日、シングル「青春のアルバム」とアルバム『TREASURE』でポニーキャニオンよりソロデビュー。
『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』で注目を浴びる。
ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば CM - YouTube
via www.youtube.com
『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』(ウッチャンナンチャンのだれかがやらねば)は、1990年4月19日から同年9月20日まで毎週木曜日21:00 - 21:54(JST)にフジテレビ系列で放送された生放送のバラエティー番組。
エンディングテーマを平松が担当
via www.suruga-ya.jp
平松愛理 月のランプ - YouTube
アルバムMy Dearより。
via www.youtube.com
月のランプ(つきのらんぷ)は、1990年5月21日にリリースされた、平松愛理の4枚目のシングル。
平松は同番組に毎週生出演し、この曲をピアノ弾き語りで演奏していた。エンディング用のセットは当時のフジテレビ社屋屋上に組まれ、そこで演奏していた。最終回の日は雨に降られ、雨合羽を着ての演奏だった。
後番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』でもエンディングを担当
『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』は、フジテレビ系列で1990年10月13日から1993年6月26日まで放送されたお笑いバラエティ番組で、ウッチャンナンチャンがメイン司会を務める冠番組でもあった。
平松は今回もエンディング曲を担当
平松愛理 素敵なルネッサンス - YouTube
via www.youtube.com
「素敵なルネッサンス」(すてきなるねっさんす)は、1990年12月5日にリリースされた、平松愛理の5枚目のシングル。
フジテレビ系バラエティ『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』のエンディングに起用された。
自身初となるオリコンシングルチャート入りを果たす。最高13位を記録し、平松の出世作となった。
そして92年「部屋とYシャツと私」が大ヒット
部屋とYシャツと私(PV) - YouTube
平松愛理的名曲 1993/3/21發行 大和美姬丸(mihimaru GT)也有翻唱過
via www.youtube.com
「部屋とYシャツと私」(へやとワイシャツとわたし)は、平松愛理の8枚目のシングル、および同曲を原案とした映画。
3枚目のアルバム『MY DEAR』からのシングルカット、カップリングは2枚目のアルバム『とっておきの20秒』からの別バージョンである。
平松自身最大のヒット曲であり、この曲で第34回日本レコード大賞・作詞賞を受賞した。
アニメ主題歌などを除く平成の邦楽ヒット曲としては珍しい4分の3拍子の曲である。