「侍ジャイアンツ」は、。週刊少年ジャンプで1971年36号~1974年42号まで連載され、1973年10月7日~1974年9月29日までアニメとして放映されました。
原作は「巨人の星」と同じく梶原一騎です。梶原一騎はそれ以外にもこの時期「あしたのジョー」「タイガーマスク」「キックの鬼」「赤き血のイレブン」など大ヒット作品を連発しており、スポ根というジャンルは梶原一騎が作ったといっても異論はでないでしょう。
原作は「巨人の星」と同じく梶原一騎です。梶原一騎はそれ以外にもこの時期「あしたのジョー」「タイガーマスク」「キックの鬼」「赤き血のイレブン」など大ヒット作品を連発しており、スポ根というジャンルは梶原一騎が作ったといっても異論はでないでしょう。
単行本の表紙にはミスタージャイアンツこと長嶋茂雄が載っていますが、2巻には王貞治が同じように載っています。
さて、アニメ版ですが、「ルパン三世」の第1シリーズが終了したのが1972年。「侍ジャイアンツ」は翌年から始まるわけですが作風が同じです。マドンナの美波理香は、そのまんま峰不二子といった感じで嬉しいです。
さて、アニメ版ですが、「ルパン三世」の第1シリーズが終了したのが1972年。「侍ジャイアンツ」は翌年から始まるわけですが作風が同じです。マドンナの美波理香は、そのまんま峰不二子といった感じで嬉しいです。
侍ジャイアンツ 第1話 「ほえろ!バンババン」
via www.youtube.com
実は漫画とアニメでは結末が違っています。漫画では主人公の番場蛮は死んでしまうんですよね。アニメはハッピーエンドで後味の良いものになっています。
ところで、アニメは(株)東京ムービーが制作していたのですが、第1話の原画を宮崎駿が描いていたのだそうですよ。宮崎駿は直後に(株)東京ムービーを退職したため、それ以上の進展はなかっようです。観てみたかったですね。
ところで、アニメは(株)東京ムービーが制作していたのですが、第1話の原画を宮崎駿が描いていたのだそうですよ。宮崎駿は直後に(株)東京ムービーを退職したため、それ以上の進展はなかっようです。観てみたかったですね。
ドカベン
「エースの条件」で作画を担当していた水島新司の代表作のひとつ「ドカベン」。漫画は週刊少年チャンピオンに1972年~1981年まで連載され、1976年10月6日~1979年12月26日までアニメ化され放送されました。
via www.amazon.co.jp
そうなんです。単行本の表紙を見てもらえばわかるように「ドカベン」は最初は柔道やってたんです。今や野球漫画の代表と言えるような作品ではあるのですが、良く知られていることとはいえ最初は柔道漫画だったんですね。
アニメ版でも短くまとめられてはいますが、やはり柔道から始まります。
アニメ版でも短くまとめられてはいますが、やはり柔道から始まります。
via www.amazon.co.jp
因みにアニメ版は高校2年の夏の大会(弁慶高校戦)までと途中までしか制作されていません。
70年代に水島新司作品は「男どアホウ甲子園」や「一球さん」もアニメ化されています。
70年代に水島新司作品は「男どアホウ甲子園」や「一球さん」もアニメ化されています。
一発貫太くん
70年代も後半になるとスポ根ブームも終わりを迎えます。既に「ドカベン」にも「笑い」の要素が入ってましたからね。スポ根の終焉。それを明確に印象付けたのが「一発貫太くん」ですね。
「一発貫太くん」は、ガッチャマンなどでお馴染みのタツノコプロが制作したオリジナルアニメです。
「一発貫太くん」は、ガッチャマンなどでお馴染みのタツノコプロが制作したオリジナルアニメです。
一発貫太くん OP&ED
via www.youtube.com
オリジナルアニメとは言え、主人公の貫太は、実は学習まんが「野球のひみつ(画: 西雄介)」にイメージキャラクターとして登場しています。で、気になる視聴率は平均で15.6%でした。そして、タツノコプロ社長の吉田竜夫の遺作となった作品でもあります。
70年代に放映された「巨人の星」「アパッチ野球軍」「侍ジャイアンツ」「ドカベン」「一発貫太くん」。どれも個性的で、アニメの流れがよく分かりますね。80年代の野球アニメは、ラブコメの要素が加わった「タッチ」から始まります。
70年代に放映された「巨人の星」「アパッチ野球軍」「侍ジャイアンツ」「ドカベン」「一発貫太くん」。どれも個性的で、アニメの流れがよく分かりますね。80年代の野球アニメは、ラブコメの要素が加わった「タッチ」から始まります。
作画:井上コオ