【垣原賢人】直情一直線、安全策ナシの人生!そしてUの戦士カッキ―はミヤマ☆仮面となる!!
2021年5月27日 更新

【垣原賢人】直情一直線、安全策ナシの人生!そしてUの戦士カッキ―はミヤマ☆仮面となる!!

垣原賢人は往年のプロレスファンにとってUWFを愛する「Uの戦士」、お子様連れのファミリーにとってはクワガタを愛し”クワレス”を主催する「ミヤマ☆仮面」。悪性リンパ腫と闘いながらも2017年8月14日、後楽園ホールにて「カッキーライド~垣原賢人復帰戦~」を開催する垣原賢人、その安全策ナシに直情一直線な人生をご覧いただきたい。

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ちなみにこの海老名保さんという方は、全国ご当地ヒーローの先駆けとなった秋田県の「超神ネイガー」その人。

後にローカルヒーロー「ミヤマ☆仮面」に変身した垣原選手と、縁深いお方です。

まさに根性!「VS熱い大根」

3度目の正直で行ったら、藤原組長がいて。モジモジしてたら、藤原組長が「ボウズ、こっち来い!」って言ってちゃんこをご馳走してくれたんです。鈴木みのるさんが取り分けてくれて。今でも忘れられないぐらいスゴい美味しいちゃんこでしたね。

食べながら「今がチャンスだ!」と思って、藤原組長に「UWFに入りたいです!」って言ったら、組長が「よしわかった。今からテストをやってやる。裸になれ!」って言って。筋肉を見られるのかなって思ったら「背中を向け!」って言われて。背中の筋肉でも見るのかと思ってたら、さっきまで食べてたちゃんこ鍋のフタを閉めて、火を点け始めて、グツグツ・・・ちょっと嫌な予感がしますよね?
この展開、まるでダチョウ倶楽部の伝統芸能のフリのようです。
まさかまさかの根性試し、垣原少年はどのように立ち向かったのでしょうか!?
案の定、鍋から中から大根を出して、「今からこれを背中にのせるから、それに耐えたら入れてやる」と言われました。

だけど当時16歳の僕はもう学校も辞めてるし、2回門前払いも食らってるし、最大のチャンスの今回を逃したら次はないと思って、耐えたんですよ。

結果、大火傷でしたけど、僕は熱いとも何とも言わず耐えたんですよ。そうしたら「火がきちんと通ってないんじゃないか!?」と思うくらい僕がノーリアクションだったから、つまらないわけですよね。スポーツドリンクという名のお酒を飲んでるわけですから、そこで笑いたかったわけです。

僕が「アチチチッ!」って言うのを聞きながら、「ダメだな」って追い返そうと思ったら、耐えたものだから。「あれ!?熱くなかったのかな・・・」ということで、僕の背中に乗ってる大根を当時練習生だった田村(潔司)さんの腕に乗せてみたら、もうモノの何秒かで「熱いっ!!」って、ダチョウ倶楽部のリアクションかっていうくらいになって。

それを見て、本当に熱かったとわかった藤原組長が「ようしわかった。お前根性あるな」「高田!次テストやるのはいつか見て来い」って言ってくれて。スケジュールを見て来た高田さんが「えーと、10日後にありますよ、組長!」って。それで「お前、10日後に来い!」となって、テストを受けられることになりました。体力テストを受けるためのテストだったということになるんですけどね。
※ちなみに高田延彦選手のモノマネがあまりにも似すぎてました
1990年8月、UWF横浜アリーナ大会にてついにデビューを果たした垣原選手。
その後UWF、UWFインターナショナル、キングダムと「Uの戦士」としての活躍後は前述の「クワガタ愛」を内に秘めたまま全日本プロレス、新日本プロレスの2大メジャー団体にも登場します。
様々見てきたせいか、どうせなら色々な選手とやってみたいという気持ちは持ってたんです。
それで僕がいたUWFがつぶれ、UWFインターがつぶれ、キングダムがつぶれ・・・どれも最後までいたんですけどね。

それで団体自体が崩れずに政治的なことを考えずにリングだけに集中できる絶対安泰なところはどこかなあ・・・そう考えた時に、やっぱり(ジャイアント)馬場さんのいる“王道”ですよ。

スタイルこそ水と油だけど、全日本ならリングに集中できるだろうと、チャレンジしてみようと。受け身もやったことないですし、デカい外人ばっかりでしたけど面白いじゃん!って。実際やってみたら、とんでもなかったですけど。スティーブ・ウィリアムスのバックドロップとか、あれは怪物ですよ。大変でしたね。

王道プロレス、四天王プロレス、スゴかったですね。三沢さん、小橋(建太)さん、川田(利明)、田上さんの四天王の三冠戦は本当に目を覆いたくなるような技の応酬で・・・三沢さんはチーム「アンタッチャブル」で側で見させて頂きましたけど、“話題性のある新日本に勝つにはこれしかない!”ということでしょうね。

全日本でプロレスの基礎を教わり、不器用ながらでもやった後は、新日本に。かつて子供の頃に憧れた、高田・越中の数々の名勝負が生まれた「新日ジュニア」の世界で最後は引退しました。首を痛めてしまいまして。
ミド編)まさにプロレス界を目いっぱいに駆け抜けました。
そうですね。一通りのトップ選手とやらせて頂きましたから。

馬場さんにプロレスを教わったり、猪木さんにも1ヶ月間ロスで手取り足取り教わったり・・・アマゾンにも北朝鮮にも一緒に行きましたし(笑)

長州(力)さん、藤波(辰爾)さん、天龍(源一郎)さん、そういう大御所の人とも一通りやらせて頂いたりして、天龍さんのお言葉を借りれば“お腹いっぱい”で、辞めたつもりではいたんですよね。

2006年、プロレスラー現役引退後は天職!?ミヤマ仮面の誕生

プロレスや格闘技を引退した後のセカンドキャリアの形成。
それは時として、闘いを生業とする方々全てにとって共通の課題なのかもしれません。

引退後、現役時代とは異なる輝きを放ち始めた垣原選手。そこにはやはり、少年期からのブレない「クワガタ愛」がありました!
ワクワク感を今の全く昆虫採集をやらない子供達にも伝えたくて、11年前にプロレスラーを引退してからミヤマ☆仮面を始めました。虫の素晴らしさを伝えるため、そして自然を守ろうということを伝えたくて。

役割は大きいですよ!ミヤマ☆仮面の。だから倒れるわけにはいかないです。
ミヤマ☆仮面は天職というか、引退しても生き生きしてられるのはやりたいことをやれているからだと思います。

昆虫イベント紹介映像CM

ミド編)ミヤマ☆仮面からは仮面を被っててもワクワクが伝わってきますよね!

「説明しちゃってもいいですか? ”クワレス”の!」

クワガタムシのレスリング、略して「クワレス」ですが、元々はセガさんが出した「ムシキング」という爆発的にヒットしたカードゲームが発端なんです。子供達は僕なんかよりも世界のクワガタムシを沢山知っていてものすごい知識があるんですけど、ただそれはバーチャルな世界であって、本物は見ていないわけですよ。だから生身のバチバチ感を見せたいなあと思ったんですよね。

そして、スポーツジャーナリストの二宮清純さんが同じ愛媛県出身なんですけど、二宮さんも昔虫捕りをやっていて「虫捕って神社なんかで戦わしたなあ」なんて話から、それを競技化しようじゃないかと二宮さんの方から言ってくださって。で、2005年に「クワレス」を立ち上げました。

【クワガタ愛の塊のミヤマ☆仮面だからこそ作ったルール】

最初はただ切った丸太の上で戦わせるというスタイルから始まりました。その後2006年に僕がプロレスラーを引退したのを機に、レフェリーをミヤマ☆仮面がやり、リング上の2本の木に枝を渡してその上で戦わせるという、プロレスでいうと“デスマッチ”的なスタイルに進化させました。

細い枝の上で戦わせるんですが、実は意外と虫思いな工夫があって、わざと足場が踏ん張り辛い状態を作っているんですよ。人間でも足場が踏ん張れているとパンチをガーンと打てるじゃないですか? でも例えばバランスボールの上で殴れって言われても力が入らないのと一緒で、足場が踏ん張れない状態を作ることによって、傷付きにくくなるんです。

足場がしっかりしていると、足の短いオオクワガタとかヒラタクワガタというのは非常に強くて力を発揮するので、わざと足場が踏ん張りが効かない状態を作るわけです。逆に足の長いノコギリクワガタとかミヤマクワガタとかは細い枝の上だと得意なんですよ。こういうのを有利にすることによって体重差があるのをハンデを与えて決着も早くつくようにという配慮をしているんです。

外国のクワガタってのは、ジャングルにいますからスゴいわけですよ。プロレスに例えるとハルク・ホーガンとかアンドレ・ザ・ジャイアントみたいなデカいのがいて、それと日本の選手が戦うんです。時に日本のオオクワガタがそのデカいのをブン投げたりして勝ったりする、これは大人が見ても十分面白いですよ。

ちなみに持ち上げるとワン・ツゥ・スリーで3カウントです。肩を付けるわけじゃなくて、持ち上げると3カウントっていうルールなんですね。持ち上げるとか、木からブン投げると勝ちになります。
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