2016年12月19日 更新
日本のVWを目指し国民車スバル360を作り上げた「富士重工」の迷車たち~メーカー別マニアック名車 スバル編
長年、日本の自動車界を支えてきた国産メーカーのマニアックな名車を「マツド・デラックス」が選りすぐってお送りするわよ!今回は日産、三菱、マツダ、いすゞ、ダイハツ、ホンダ、スズキ、トヨタに続きスバルよ!国民車を作った老舗メーカーの名車たちよ!さあ、今回も皆さん楽しんで頂戴ね!
1969年に販売された「スバル R-2」はちょっと可愛そうな車なの。偉大な先輩「スバル360」は国民車として本当に日本全国で活躍していたわ。その後を継いだのが「スバルR-2」よ。
あたし実は「R2」が大好きなのよ。前期のあの可愛いフロント部分と後ろから見た背中部分がたまらなかったわ。
イタリアの国民車といわれる「フィアット500」を彷彿する部分と「スバル360」を世襲した部分を兼ね備えた「R2」は「ハードミニ」と言うキャッチコピーで登場したわ。
販売当初はトランクスペースを増設したり、エンジンにもこだわりをもった部分もあり好調な出だしだったの。でも、この時代は軽自動車の戦国時代でもあったの。トヨタと日産、いすゞ、マツダ以外は売れ筋の軽自動車たちだらけだったわ。ホンダは「NⅢ360」三菱は「ミニカ70」ダイハツは「フェローMAX」スズキは「フロンテ」と協力なライバルとの商戦だったの。
「R2」は苦戦したわ。70年には「ライトバン」「SS」「スポーティーデラックス」「GL」を投入。71年にはついに掟破りの「水冷」を販売開始。正直びっくりしたわ。
そして、マイナーチェンジのゼブラマスクよ。わたしのイメージのR2は何処へ行ったの?空冷ももちろんゼブラマスクになったんだけど水冷のフロントまわりには本当にぶっ飛んだわ。思いきった決断だったんだけど、ライバル達には差をつけられ72年には掟破りの「水冷」をあっさり撤退。「レックス」に移行し、73年にはR2は4年間と言う短い生涯を閉じるの。なんかジェットコースターのような一生よね。
時代と戦い、ライバルと戦い抜いたR2は決して「醜いアヒルの子」なんかじゃなかったのよ。そう!戦国武将のような富士重工の侍として戦った1台だったのね。
驚異のリッターカーキャンピングカー! ドミンンゴ アラジン
1996年に販売された「スバル ドミンゴ アラジン」は密かにキャンピングカーブームだった自動車業界に満を持して投入されたの。
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