オリンピックでは、競技と共に思い出の音楽がある!!③
2018年3月4日 更新

オリンピックでは、競技と共に思い出の音楽がある!!③

「オリンピックでは、競技と共に思い出の音楽がある!!②」の続編だ。今回は1984年のサラエボ冬季オリンピックからお話を進めて見ようかと思っています。どのような楽曲があったか、またトリビアなどを紹介しよう。懐かしく思われる方も多いのでは??

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開催国が内紛の危機をはらんでいた1984年のサラエボオリンピック

サラエボのメイン会場

サラエボのメイン会場

1984年サラエボオリンピックは、1984年2月8日から2月19日まで旧ユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボで行われた冬季オリンピックで、規定の変更により入賞枠が6位から8位までに拡大された初の冬季オリンピック大会だった。
サラエボ、イェーテボリ(スウェーデン)、12年ぶり2度目の開催を目指す札幌(日本)の3都市が立候補し、終盤まで激しい誘致合戦が繰り広げられた。既存の施設がほとんど利用できるとされた札幌が一時は最有力とも伝えられ、実際IOC委員による第1回目の投票では最も多い票数を獲得していたが、結局、大会会場をコンパクトに集約したサラエボが決戦投票で逆転し開催権を獲得した。旧ユーゴスラビアは当時共産圏に属していて、共産圏では初めて冬季オリンピックが開催されたことになる。
このオリンピックでは北沢欣浩(スピードスケート男子500m)が唯一日本人で銀メダルを獲得している。(大本命の黒岩彰が敗退!!)
大会後に勃発したユーゴスラビア(ボスニア・ヘルツェゴビナ)紛争でメインスタジアムなど多くの競技施設が破壊され、墓場になった場所まであった。破壊された施設は戦後に再建されたものもあるが、大半の競技場が放置され現在も廃墟と化している。

冬季オリンピック スピードスケート 日本人初メダル(北沢欣浩)

そう言えば当時、期待されながらも惨敗した黒岩彰選手は、かなりマスコミカからバッシングされていたことを思いだした!!。

サラエボオリンピックと言えばこの人でしょう!?

Katarina Witt (GER) / Gala / 1984 Winter Olympics [HD]

カタリナ・ヴィット(Katarina Witt, 1965年12月3日 - )は、旧東ドイツシュターケン出身の女性元フィギュアスケート選手。1984年サラエボオリンピック及び1988年カルガリーオリンピック・女子シングル二大会連続金メダリスト。世界フィギュア選手権でも4回優勝、欧州選手権で1983年から1988年まで6年連続優勝している。また1994年リレハンメルオリンピックにもプロ選手として出場し、大きな話題となった。

ところで、サラエボオリンピックのテーマ曲ってなんだったけ??

Jadranka Stojaković - Što te nema(ヤドランカーシュトテネーマ)

その答えはヤドランカの「シュトテネーマ(Što te nema)」という曲だ。
ヤドランカはこの曲を1984年サラエボ冬季五輪のテーマ曲として制作し、歌ったことによりユーゴスラヴィア芸術大賞を受賞した。
旧ユーゴスラビアで国民的歌手としての地位をゆるぎないものにした作品です。

実はヤドランカは日本とも”深~い”関係があった!!

Hvala(フヴァーラ~ありがとう) ヤドランカ・ベスト

Hvala(フヴァーラ~ありがとう) ヤドランカ・ベスト

ヤドランカはセルビア人の父とクロアチア人の母を持つ1950年サラエヴォ生まれのシンガ−で、1984年のサラエヴォ・オリンピックで自作のメイン・テーマ曲を歌ったことで有名になった。
日本文化(特に浮世絵や俳句)に興味があったこともあり、レコーディング目的で日本にきていた1988年、祖国の内戦がひどくなり帰国できなくなったため、それ以来日本を活動拠点としていて、日本と密接な関わりを持つようになった。
2011年3月にやっとクロアチアでの仕事のため帰国していた際、筋萎縮性側索硬化症と診断され、バニャ・ルカの養護ホームで闘病していた。筋萎縮性側索硬化症による呼吸不全のため、2016年5月3日夜遅くにバニャ・ルカの病院で死去した。

商業主義がまかり通ったロサンゼルスオリンピック!!

1984年ロサンゼルスオリンピックのメイン会場

1984年ロサンゼルスオリンピックのメイン会場

1984年のロサンゼルスオリンピックは、アメリカ合衆国のロサンゼルスで行われた第23回夏季オリンピックである。期間は1984年7月28日から8月12日まで。
開催するために必要な費用は、普通は公的資金で賄われるのが当たり前であったが、このロスの大会では、
1.テレビ放映料とテレビ放映権の大幅な吊上げ:それまでの常識を超える金額を提示
2.スポンサー協賛金の高騰:スポンサーは1業種1社にしぼり、合計で30社と数を減らして
  価値を高めた。ロサンゼルス五輪のマークを自由に使える、というのが条件だった。コカ・
  コーラとペプシ・コーラが激しいスポンサー争奪を演じ、他業種もスポンサーに次々に名
  乗りを上げ、高額の協賛金が集まった。
3.入場料収入
4.記念グッズの売上など・・・
その徹底ぶりは、聖火ランナーからも参加費を集めるなど、増大する運営経費と商業主義が話題となる。
また、ロス大会の話題として、モスクワ大会の報復として、ソビエトや東欧諸国など16の国と地域が参加をボイコットしたのも記憶に残っている。

競技の話題としては、アメリカのカール・ルイスが陸上で4冠王となったこと、男子体操で、具志堅幸司が個人総合優勝。森末慎二が鉄棒で10点満点を出して優勝したこと、また、柔道・無差別級で、山下泰裕が2回戦で負った右足のケガをおして優勝を遂げたことだろう。

総合的に見ると、アメリカが221種目中83個の金メダルを獲得したが、これは東側諸国の不参加によって起こった異常事態であると見るべきであろう。また、日本は10個の金メダルを獲得した。

カール・ルイス  四冠   (84‘ロサンゼルス五輪)

今では世界記録が9.58だけど、これ以上早く走るのは無理じゃないかな??

森末慎二  鉄棒  (84‘ロサンゼルス五輪)

今では、この森末がテレビで体操の解説をへらへらとしていますが、昔は若い女性たちがきゃーきゃー言ってたんですよね!!

山下泰裕   (84`ロサンゼルス五輪)

ラシュワンは怪我した右足を攻めなかったと言い伝えられていたけど、もしも攻めたとしても山下が勝っていたと思うのは私だけでしょうか??。

スターウォーズがロス大会を侵略し始めた!!

ロス大会の開会式でロケットマンが登場したのは記憶に新しいが、何とロス大会のテーマ曲とファンファーレをあの「スターウォーズ」で音楽監督として辣腕を揮った”ジョン・ウィリアムス”が作曲し世界的に有名になったのだ。

オリンピック・ファンファーレとテーマ(ロサンゼルス五輪)/Olympic Fanfare and Theme(吹奏楽ポップス)

1984年のロサンゼルスオリンピックの為に書かれたファンファーレで、翌年にはグラミー賞まで受賞している。どんだけ稼いだんでしょうか??。私もオリンピックのファンファーレと言ったら、これか、1964年の東京オリンピックファンファーレか、どちらかでしょうね!?。
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