【水泳】ソウル五輪100メートル背泳ぎで金メダルを獲得した鈴木大地のエピソード
2016年11月25日 更新

【水泳】ソウル五輪100メートル背泳ぎで金メダルを獲得した鈴木大地のエピソード

1988年、ソウル五輪100メートル背泳ぎで日本競泳陣16年ぶりの金メダルをもたらした鈴木大地。特徴的なバサロ泳法や金メダル獲得への作戦などエピソードを紹介。

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1988年、ソウル五輪100メートル背泳ぎで金メダルを獲得

鈴木大地は「黄金の足を持つ」と言われた、バサロキックのパイオニアである。
鈴木大地21歳、ソウル五輪で金メダル確定の瞬間

鈴木大地21歳、ソウル五輪で金メダル確定の瞬間

1967年 3月10日生まれ。
千葉県出身。7才から水泳を始め、中学時代は全国大会、高校時代はインターハイと出場。
「オレは将来、大物になる」と小さい頃の口癖だった。

1984年 ロサンゼルスオリンピック出場。

鈴木大地17歳の時に出場。

【男子200m背泳ぎ】
Bファイナルの順位決定戦でベストタイム(日本高校記録)を出し16位。

【男子100m背泳ぎ】
Bファイナルに進出し、日本新記録で11位。

【4×100mメドレーリレー】
日本は引継違反で失格。しかし鈴木は、当時アジア人では初めての57秒台というベスト記録を出した。

いずれの種目もメダルには遠かったが、17歳の時点で本物の勝負を味わった経験は、大きな財産となったと語っている。

腰痛で水泳を引退することも考えた。

腰痛で寝たきりになった時は、本気で水泳をやめようと思いましたね。
水泳を続けるために順天堂大学に入学しましたが、水泳をやめるならこの大学にいる意味がないと思い、他大学受験のために寝たきりのまま受験勉強を始めました。
その時、あるスポーツ選手のケガとの闘いに関する本を読み、どんなに強い選手でも同じような経験を乗り越えてきたことを知ったのです。それをきっかけに気持ちに余裕が出てきました。
もう1度チャレンジしようと言う気持ちがフツフツとわき上がってくるのと同時に、ロサンゼルスの決勝で味わった感動や興奮が蘇ってきたのです。
「もう一度あの感動や興奮を味わいたい!」というのは、人間としての根元的な欲求なのでしょう。特に、オリンピックでの感動と興奮は、年を重ねると共にその貴重さをより深く理解できたのです。

そして迎えたソウル五輪。秘策「バサロの延長」

鈴木大地は午前中の予選を3位で通過した。
タイムは55秒90で、世界記録54秒51でトップ通過したバーコフとは1秒39という絶望的な大差だった。
午後の決勝に向けて作戦を聞かれた鈴木大地は「秘密」と一言コメント。
その秘策こそが25メートルだったバサロスタートを30メートル(27回キック)以上に伸ばすことだった。
決勝の50メートルはバーコフ、大地、ポリャンスキーの順。
バーコフが失速して、残り5メートルで3人が横一線となった。
最後はタッチの差で大地が金メダルを獲得。タイムは自らの日本記録を0秒27更新する55秒05だった。
「優勝はまず難しいだろう。なんとかメダルを獲得してくれれば」という大方の予測・悲観的希望を覆し日本競泳陣16年ぶりの金メダルをもたらした。

金メダルへの賭け! 鈴木大地 - YouTube

もう一つの秘策は「最後のタッチ」

実は薄い板状のゴール板とセンサーは3本の操作線で結ばれており、トンと衝撃を与えない限り、ゴールと認定されない。
タッチの強さが明暗を分けることもありえる。
それを知っていた鈴木大地は骨折を覚悟で指先をゴール板に突き立てたのだった。
そして、2位となったバーコフとのは0.13秒差。
まさにタッチの差が明暗を分けた。

実は試合前から勝てると思っていた。

コーチとして二人三脚で金メダルを目指した鈴木陽二は、『バーコフが世界記録を出した時のビデオを見ていた時、大地がポツリ「オレ、こいつには負けませんよ」と言った。タイムでは圧倒的に負けている。でも、勝負になれば分からない。実際に「肌を合わせて」泳いだ人間にしか分からない感覚。「大地は大丈夫だ」と思ったね。』と語っている。

事実、メンタルの弱さを指摘されてきたバーコフに鈴木は前年のユニバーシアードを含めて、直接対決で負けたことはなかった。

決勝直前、バーコフの予選記録に危機を感じた鈴木陽二は「21回のバサロを25回にしないか。そうすれば(バサロの距離が)5メートルは伸びる」と作戦を提案した。
 だが、鈴木大地は小さく首を振った。
「いや、27回で行きましょう。勝負するしかないでしょう」
バーコフはプレッシャーに弱い。水面に浮上した時、ぴったりと横にくっついていれば泳ぎが乱れるのではないか。ラスト25メートルまでついて行けば、きっとゴール寸前で逆転することができる。大地はそう読んだのであった。

そして、ソウル五輪決勝においても鈴木大地が27回のキックで30メートルへバサロを伸ばすと慌てたバーコフが失速したのだった。

泳いでいたら進化した?ダーウィンも驚く手の「水かき」

鈴木大地の水かき

鈴木大地の水かき

指と指の間に水かきのように皮膚が発達している。
鈴木大地本人は「泳ぐ時の指の間の隙間を埋めようと、細胞が気を使って発達してくれたんじゃないか」と語っている。

メダル獲得に最も必要なのは「根性と努力」

私は、さらっと金メダルが獲れたとよく誤解されるのですが、実際には手に水かきができるまで練習しました。少し才能があるだけでは決してメダルを獲ることはできません。たとえ天才だったとしても、今は努力しないと勝てない時代です。才能があっても、日々の積み重ね無しに結果が出るとは思えません。

「メダル獲得のために重要なことは」と尋ねられれば、「根性と努力」と答えますね。毎日毎日、練習するのは嫌ですし、眠いのに朝起きることも、朝冷たいプールに飛び込むのにも勇気が必要です。もちろん、夢を持つことは大事ですが、その夢を実現するための”努力”と”根性”は絶対に必要です。「トレーニング=修行」だと思います。真剣に修行を積み重ねているうちに新たなことを学び、新しい気づきがあり、それが次の目標につながっていくのです。

現役引退後の鈴木大地

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