1928年(昭和3年)5月、日本犬保存会を立ち上げ日本犬の調査活動を始め、1928年7月、日本犬の調査中に偶然秋田犬ハチの存在を知る事となる。1932年(昭和7年)10月、弘吉は、渋谷駅でいじめられているハチを哀れみ、ハチのことを東京朝日新聞に寄稿した。すると、これが「いとしや老犬物語」として新聞に載り、一躍有名になったハチは人々から「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。その後、1934年(昭和9年)竣工の渋谷駅前のハチ公銅像の製作建立や、1959年(昭和34年)竣工の「南極カラフト犬記念群像」の製作建立に芸術家として深く関わる。
存命中に銅像が建立される犬・・・偉大過ぎますっ
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当時、渋谷のハチ公が美談として語られる背景には、時代背景の影響もあったと言われています。
昭和初期。戦争が色濃く世の中に影を落とし込んでいた時代。その中で、強くたくましく主人に忠誠を尽くしたハチは、恩返しの象徴として扱い易かったのかも知れません。
教科書にもハチ公話は載っていたそうです。
昭和初期。戦争が色濃く世の中に影を落とし込んでいた時代。その中で、強くたくましく主人に忠誠を尽くしたハチは、恩返しの象徴として扱い易かったのかも知れません。
教科書にもハチ公話は載っていたそうです。
当時、新聞の特集をきっかけに人気が広がり、一目ハチを見ようと渋谷駅に多くの人が集まったそうです。
しかし、ハチの世話の全てを請け負ったと自称する人や、勝手に木版画を作って売り始める等、ハチの人気は混乱も招いたそう。
そうした混乱を収める為にも、早く銅像を!という事で製作が早まったという話もあります。
しかし、ハチの世話の全てを請け負ったと自称する人や、勝手に木版画を作って売り始める等、ハチの人気は混乱も招いたそう。
そうした混乱を収める為にも、早く銅像を!という事で製作が早まったという話もあります。
親子二代で紡ぐハチ公物語サイドストーリー!
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昭和9年に建立された初代ハチ公像。しかし戦争の影響により、初代ハチ公像は撤去されてしまいました。初代製作者は安藤照さんでした。
それから終戦を迎えた23年に今度は息子である安藤士さんによって、二代目ハチ公が製作されました。初代製作者の照さんは戦争でお亡くなりになり、その意志を受け継ぎ、飢えをしのぐのに精一杯の生活の中で、製作に取り掛かったそうです。
それから終戦を迎えた23年に今度は息子である安藤士さんによって、二代目ハチ公が製作されました。初代製作者の照さんは戦争でお亡くなりになり、その意志を受け継ぎ、飢えをしのぐのに精一杯の生活の中で、製作に取り掛かったそうです。
飢えをしのぐのに精いっぱいな日々が続いたが、自宅の敷地内に埋められていた粘土は無事だったことを見つけ、創作活動を再開。そんな中、ハチ公像を復活させる計画を知り、安藤さんが制作者に指名された。
「あんなにうれしいことはなかった。ハチ、お前を作ってやるよ。そういう気持ちでいっぱいだった」
写真など像の資料となるものは残っていなかったが、「目をつぶってでも作れるほど、ハチが頭に入っていた」。銅も足りなかったが、戦災で損傷した父の作品を「おやじ、これもらうぜ」と鋳物屋に運び、何とか材料を確保した。
完成したハチ公像は23年8月15日に復興の希望として、除幕式が行われた。
製作にあたり、最もこだわった点はハチの目だそうです。
安藤士さんはこう言っています。
「すぐそこを見ている目ではない。ずっと待ち続けている、そんなハチの気持ちを表したかった」
渋谷は今もハチに見守られています。
安藤士さんはこう言っています。
「すぐそこを見ている目ではない。ずっと待ち続けている、そんなハチの気持ちを表したかった」
渋谷は今もハチに見守られています。
2021/3/12 21:24
1ページ目の斎藤弘吉の写真は、初代ハチ公像を作った安藤照です。