【小橋建太インタビュー(前編)】プロレスラーを夢見て「どんなときにも希望はある」
2020年2月26日 更新

【小橋建太インタビュー(前編)】プロレスラーを夢見て「どんなときにも希望はある」

幾多の怪我、病気を乗り越えて多くのプロレスファンを魅了し続けた「鉄人プロレスラー」小橋建太。波乱万丈なレスラー人生を不屈の精神で歩み続けた小橋さん、その真っ直ぐな生き方に迫ります。

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「文句でなく意見しよう」京セラのサラリーマン時代

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全日本プロレスにはその2年後に入団することとなります。京セラ時代のこと、そしてどのような経緯で全日本プロレス入団を果たすことになったのでしょうか?
「高校を卒業して京セラに就職しました。勤務地は滋賀県の八日市工場というところでしたが、同じ職場の同期が約30人いたんです。はじめに各人が部署希望を出してから配属されるのですが、僕は同期の誰もが敬遠するような過酷な労働環境の部署に配属されてしまったんです。」
「配属の希望が叶えられずに不貞腐れましたよね、はじめは文句ばかり言ってました(笑。ところが当時の同期は大半が中途採用、もう家庭を持っている人も多かったんです。いざ働き始めると誰も文句など言う暇もなく真面目に働きます、それぞれ家族や生活がありますしね。そんななか、いつまでも文句を言う自分が恥ずかしくなりました。そのときに文句を言うのでなく意見を言おうと考えたんです。真面目に一生懸命働く中で気が付いた改善点をどんどん意見しようと。職場がより良くなるための労働環境の改善、これだったら前向きですからね。」
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「そうして新卒の一年間を真面目に働くなか、鹿児島への転勤を言い渡されました。ここもまた通常は新卒が行くところではない過酷な職場でして。赴いたらもう、深夜労働や休日出勤は当たり前、いまでいうところのブラックな現場でした(笑。そんな生活を半年間続けましたが、その間は遊びに行く暇もなかったので結果的にはお金を貯めることが出来ました。」

マイク・タイソンに触発されて

「やっぱりプロレスを諦めることが出来ない、そんな気持ちになった直接のきっかけは同い年のマイク・タイソンです。あるとき、新聞でマイク・タイソンの記事を読んだんです。まだチャンピオンになる前の若き日のマイク・タイソン。少年院に出たり入ったりを繰り返していた問題児がプロボクサーとして破竹の快進撃を繰り広げている記事を。そのとき、どうしてもプロレスラーになるんだ!と、自分のなかのスイッチが入りました。」

計画通りとはいかなかった全日本プロレス入団

「プロレスラーを志してからはまずマイカー購入や自動車教習所通学などでこさえた借金を完済したうえで、2か月間じっくりトレーニングに集中するための資金を蓄えてから京セラを退職しました。勤めていたころも自主トレーニングは常に行っていましたが、プロになるのだからと朝から晩までトレーニングに集中する期間が欲しかったんです。」
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思い立ったらいてもたっても、でなく計画的に考えて行動されたんですね。
「そうです。当時の僕は186cmで100kgちょっとでした。体格の採用基準は満たしていたし京セラを辞めて体を鍛えあげ、満を持して全日本プロレスに履歴書を送りました。」
ミド編)
ご自身で描かれた計画通りですね。
「ええ、ところが2週間後に全日本プロレスから不合格通知が届いたんですよ…。」
ミド編)
え!!落ちたんですか??
「はい、落ちました。でもこれだけ準備して体も鍛えたのに書類だけで落ちるなんて納得いきませんよね。だからすぐ全日本プロレスの事務所に電話をかけましたよ。すると君には実績がないと。当時のプロレス界では実績が重んじられていまして、すでに入団していた菊池選手(菊池毅:大学生アマレスのチャンピオン)や北原選手(北原光騎:シューティングの選手)は僕よりも体が小さかったんですが入団していました。」
採用担当:「会社は辞めたの?」
小橋さん:「はい、もう辞めて行くとこがありません。」
採用担当:「そう、じゃあ新しい会社探しを頑張って下さいね。」
「こんな感じでしたが、その後も諦めきれず何度も全日本プロレス事務所に電話をしました。また君か…なんて言われ続けましたが、諦めたらそこで終わりですからね。」
ミド編)
諦めたら終わり、といいますか普通なら絶対ここで諦めてしまいそうですね。。。
「その後、トレーニングで通っていたジムオーナーの伝手を辿りまして、一ヵ月後に全日本プロレスが滋賀県大津市で大会を行うのでそこに来いと。改めて入団テストを行ってくれることになったんです。」
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