少年時代は、長嶋(茂雄)さんが大好きな巨人ファンのソフトボールをしていた少年でした。昭和33年(1958年)、小学5年生のときに長嶋さんが巨人に入団し、デビューしました。このときのすごい活躍が少年時代の僕にとって強烈な衝撃で、たちまち長嶋さんの虜になってしまいました。そして、長嶋さんがいる巨人が好きになったんです。
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平松が大洋に入団した時の背番号は「3」だった。普通はピッチャーがつける背番号ではないが、長嶋茂雄に憧れていたことこともあり、長嶋と同じ背番号だった。
特に長嶋茂雄が最も苦手にしていた投手として知られている。長嶋と平松の通算対戦成績は181打数35安打8本塁打、打率.193、三振33、内野ゴロ65(内併殺打7)で、25打数無安打の時期もあった。長嶋は平松の200勝達成記念パーティで「あの頃は寝てもさめても平松のシュートが頭から離れなかった」とコメントしている。
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前出の金田正一は、長嶋のプロデビュー戦の対戦投手で、長嶋から4打席連続三振を奪ったことが有名だ。次の対戦でも第1打席で三振を奪っており、5打席連続で三振に仕留めていた。この話から、金田も長嶋キラーだったのかと思うのだが実はそうではなかった。金田と長嶋の対戦成績は金田が巨人に移籍するまでの7年間で、打率.313、18本塁打、長嶋は金田が最も多くの本塁打を打たれた打者だった。
長嶋茂雄がおかしな打ち方をした理由
長嶋さんは僕を攻略するために、いろいろと工夫を巡らせていた。長嶋さんと親しかったニッポン放送の深沢弘アナウンサーに聞いた話ですが、大洋戦で僕に抑えられるとすぐに家に帰って深沢さんを呼び出す。それで長嶋さんは、ユニフォーム姿のままで深沢さんに「平松のフォームを真似てくれ!」といって投手に見立て、朝方まで素振りをしたそうです。
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ある対戦では、打つ瞬間にグリップを緩めてバットを落とし、グリップエンドを余して振ったこともあった。もともと長嶋さんはバットを目一杯長く持つタイプ。おかしな打ち方をするなァと不思議に思ったんです。現役時代にはどうしてそんな打ち方をするのか、なかなか聞く機会がなくて、僕の通算200勝達成パーティーの席でご本人に長年の謎をぶつけてみたら、こんな答えが返ってきた。
「平松を打つためにはバットを長く持っていては詰まると思った。でも最初からそうすれば、巨人の4番・長嶋がバットを短く持ったということで、ファンに申し訳が立たない。打つ瞬間なら分からないだろうと思ってね」
最初からバットを短く持つのは、巨人と長嶋のプライドが許さない、ということだったんですね。
でもそこまでやっても、キレのあるシュートがコースに決まれば打たれることはありませんでした。たとえバットを短く持っても同じ結果だったと思いますよ。
平松は巨人のV9時代カミソリシュートを武器に、巨人に対し滅法強く長嶋を手玉に取っていた。その活躍の背景にはドラフトで巨人に裏切られたことが根にあったのだろうか。そんな因縁があったればこそだが、平松と巨人、長嶋との対戦はプロ野球を面白くしていた。
筆者が小学生の頃(1972、3年頃)、近所に、平松とライオン丸の愛称で知られたシピン(ともに大洋)に似た店員さんがいるラーメン屋があった。巨人ファンで長嶋ファンの筆者からすると平松は憎っくき相手だったのだが、その店のラーメンと平松に似た店員さんが好きだった。
筆者が小学生の頃(1972、3年頃)、近所に、平松とライオン丸の愛称で知られたシピン(ともに大洋)に似た店員さんがいるラーメン屋があった。巨人ファンで長嶋ファンの筆者からすると平松は憎っくき相手だったのだが、その店のラーメンと平松に似た店員さんが好きだった。