亀高氏からのオファーで神戸製鋼へ!
上記のモデル活動の問題から、宙ぶらりんの状態の平尾に、声をかけ続けたのが神戸製鋼で社長就任前の亀高素吉氏(享年86)だった。
入社後は、「スペースをつくるラグビー」を追求し、日本選手権で7連覇を達成(V1~V3までは主将)した。
ちなみに、平尾がゲームキャプテンを務めた試合では、国内チーム相手に負けた事が一度だけ(同志社大学時代の日本選手権対新日鐵釜石戦)と言う抜群のキャプテンシーを発揮していた。
一方で亀高氏への恩義を忘れず、神戸には最大の愛情を注いだ。
1994年度の日本選手権7連覇達成の2日後に阪神・淡路大震災が起こると、ラジオから「皆で立ち上がりましょう」と呼びかけた。
入社後は、「スペースをつくるラグビー」を追求し、日本選手権で7連覇を達成(V1~V3までは主将)した。
ちなみに、平尾がゲームキャプテンを務めた試合では、国内チーム相手に負けた事が一度だけ(同志社大学時代の日本選手権対新日鐵釜石戦)と言う抜群のキャプテンシーを発揮していた。
一方で亀高氏への恩義を忘れず、神戸には最大の愛情を注いだ。
1994年度の日本選手権7連覇達成の2日後に阪神・淡路大震災が起こると、ラジオから「皆で立ち上がりましょう」と呼びかけた。
神戸製鋼 V8への軌跡 1/6
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ラグビー日本代表としてワールドカップ初勝利に貢献!
ラグビーワールドカップには、第1回(1987年)、第2回(1991年)、第3回(1995年)にそれぞれ出場。特に第2回大会では主将も務め、ジンバブエを相手に歴史的なワールドカップ初勝利をあげている。
大会後、一度は代表を退いたが、第3回大会に向けてのチーム強化の一環として臨時コーチとして招聘された。その後、代表選手として本戦に出場した。
1998年1月、現役を引退。1999年大会は監督としてワールドカップを戦った。
大会後、一度は代表を退いたが、第3回大会に向けてのチーム強化の一環として臨時コーチとして招聘された。その後、代表選手として本戦に出場した。
1998年1月、現役を引退。1999年大会は監督としてワールドカップを戦った。
2016年10月20日、ミスターラグビーと言われた平尾誠二氏が、闘病の末、53歳の若さで亡くなった。
2019年の日本でのラグビーワールドカップに向けて、また、それ以降も日本のラグビーに貢献してくれるはずとラグビーファンは疑うことはなかっただろう。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2019年の日本でのラグビーワールドカップに向けて、また、それ以降も日本のラグビーに貢献してくれるはずとラグビーファンは疑うことはなかっただろう。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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