Mitsuharu Misawa vs Stan Hansen (22.08.1992) - YouTube
AJPW Triple Crown Championship Match - Stan Hansen (C/V4) vs Mitsuharu Misawa - 22.08.1992 - AJPW Summer Action Series II 1992 Day 3 - Tokyo, Japan, Nippon B...
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「デンジャラスK」三沢を追いかけ続け、選手大量離脱後の全日本プロレスを守った男、川田利明 - Middle Edge(ミドルエッジ)
90年代に全日本プロレスの異端児として数々の激闘を繰り広げ、全日本プロレス四天王に君臨した川田利明。妥協を嫌いリング上に緊迫した空気を作り上げる川田は「デンジャラスK」と称されました。高校時代の先輩三沢光晴を慕って全日本に入門した川田、しかし三沢がプロレスリングNOAHを設立した際には袂を分ち全日本プロレスを守りました。三沢との物語やキック主体の激しいファイトスタイルに私たちは魅了されました。
1993年4月、川田利明の超世代軍離脱により四天王プロレス時代に突入
三沢は「エルボーの貴公子」、小橋は「青春の握り拳」といった言葉で形容されていた時代。
1993~95年、三沢&小橋組は、世界最強タッグ決定リーグ戦で史上初の3連覇。
1993~95年、三沢&小橋組は、世界最強タッグ決定リーグ戦で史上初の3連覇。
世界最強タッグ決定リーグ戦93'「オリンピア」 - YouTube
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この間、三沢は他の四天王、そしてハンセンやウイリアムスといった強豪外国人との熾烈な激闘を制しながら、つねに全日マットの中心に君臨。
不沈艦『スタン・ハンセン』がノアにサプライズ登場!三沢との名勝負を動画で振り返る - Middle Edge(ミドルエッジ)
全日本時代に三沢光晴と数々の激闘を繰り広げたスタン・ハンセンがノアのマットに初登場。サプライズでノアファンに挨拶を行なった。三沢とハンセンの名勝負動画と共に紹介。
一方、熱狂的なファイトながらも当時は善戦マンの印象が強かった小橋。
96年に一足早く大ブレイクを遂げた田上明の持つ三冠王座に挑戦、これを奪取して初の三冠王座戴冠となった。
96年に一足早く大ブレイクを遂げた田上明の持つ三冠王座に挑戦、これを奪取して初の三冠王座戴冠となった。
【名勝負】プロレスダイジェスト 1996-07-24 三冠戦 田上明 vs 小橋建太 - YouTube
三沢を破り三冠王者になった田上。96年はチャンピオンカーニバルも田上が優勝し、まさに田上の年。勢いにのる田上に、小橋がストップをかけられるか…
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「ダイナミックT」もう一人の四天王、三沢亡き後のプロレスリング・ノアを支える田上明 - Middle Edge(ミドルエッジ)
90年代に全日本プロレスでジャンボ鶴田のパートナーとして超世代軍と数々の激闘を繰り広げ、後に川田利明と聖鬼軍を結成して全日本プロレス四天王に君臨した田上明。恵まれた体格を生かしたダイナミックな動きから「ダイナミックT」と称されました。三沢光晴がNOAHを設立した際はともに行動し、2009年三沢急逝の後は2代目NOAH社長として活躍しています。
1997年1月、チャンピオン小橋VSエース三沢の三冠戦
この試合を「三沢VS小橋」の幕開けとする人は多い。
小橋の断崖式パワーボムをウラカンラナで切り返す三沢の天才、タイガードライバー'91を返した小橋のこの一戦にかけた思い、そんな魂のぶつかり合い。
小橋の断崖式パワーボムをウラカンラナで切り返す三沢の天才、タイガードライバー'91を返した小橋のこの一戦にかけた思い、そんな魂のぶつかり合い。
僕は本当の意味で"三沢VS小橋"っていうのが始まったのは、97年1月の大阪からだと思ってるですけど。そのあとのチャンピオンカーニバルで、初めて三沢さんに勝ったとき、30分1本勝負でやっても、1月の三冠戦を超えたいと思ったんですよ。
小橋本人も、この試合が「三沢VS小橋」の始まりと語る。
小橋VS三沢 三冠戦 97大阪府立 - YouTube
97新春ジャイアントシリーズでチャンピオン小橋に三沢が挑んだ三冠戦。エプロンからのパワーボムを三沢はフランケンシュタイナーで切り返す。タイガードライバー91が初めて返された試合
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僕はあの試合の前に、初めて三冠チャンピオンになっていたんですけど、「エースは三沢」って言われてたんですよ。それで僕は「チャンピオンになっても、まだエースにはなれないのか」っていう葛藤があって。会社的にも、チャンピオンは僕なのに、ポスターは三沢さんのほうがずっと大きく出てるんですよ(笑)。
プロレスならではの葛藤、チャンピオンとエース。
1997年1月20日、大阪府立体育会館での三沢を挑戦者として迎える三冠戦前日のこと。小橋は母親に電話をかけ、「俺が死んでも三沢さんを恨まないでくれ」と伝えた。試合後はスポーツ番組へ2人とも生出演する予定だったが、小橋は病院へ直行し結局番組は三沢のみの出演となった。
プロレスにかける情熱、プロレスと向き合う覚悟。
同年10月、三沢が小橋を迎え撃った三冠戦はこの年のプロレス大賞・ベストバウト賞に選ばれる
【年間ベストバウト】プロレスダイジェスト 1997-10-21 小橋建太 vs 三沢光晴 - YouTube
年間ベストバウトに選ばれた名勝負。
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「三沢VS小橋」ブランドは全日の黄金カードへ
1998年10月、小橋の持つ三冠統一ヘビー級王座に三沢が挑戦。
三沢が王座奪回に成功し第20代王者になったこの試合は、2年連続となるプロレス大賞・ベストバウト賞を受賞。
三沢が王座奪回に成功し第20代王者になったこの試合は、2年連続となるプロレス大賞・ベストバウト賞を受賞。