【四天王プロレスの極み】「三沢光晴VS小橋建太」闘いを通してお互いの覚悟を確かめ合う、”死して悔いなし”の至高のプロレス!!
2016年11月25日 更新

【四天王プロレスの極み】「三沢光晴VS小橋建太」闘いを通してお互いの覚悟を確かめ合う、”死して悔いなし”の至高のプロレス!!

永遠の黄金カード「三沢VS小橋」。互いのプロレス技術、プロレス努力の結晶を全力でぶつけ合い、そして全力で受け止めあう至高のファイト。観る者をして「危険すぎる」「どこまでやるんだ!?」と思わせるのは当たり前、二人にしか分からない真剣なプロレスラーとしての信頼感。多くを語らない二人が、リング上で誰よりも雄弁に語り合う姿にファンは酔いしれ、勇気と感動を与えてもらいました。そんな思い出の「三沢VS小橋」を振り返ります。

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Mitsuharu Misawa vs Stan Hansen (22.08.1992) - YouTube

AJPW Triple Crown Championship Match - Stan Hansen (C/V4) vs Mitsuharu Misawa - 22.08.1992 - AJPW Summer Action Series II 1992 Day 3 - Tokyo, Japan, Nippon B...

1993年4月、川田利明の超世代軍離脱により四天王プロレス時代に突入

三沢は「エルボーの貴公子」、小橋は「青春の握り拳」といった言葉で形容されていた時代。
1993~95年、三沢&小橋組は、世界最強タッグ決定リーグ戦で史上初の3連覇。

世界最強タッグ決定リーグ戦93'「オリンピア」 - YouTube

この間、三沢は他の四天王、そしてハンセンやウイリアムスといった強豪外国人との熾烈な激闘を制しながら、つねに全日マットの中心に君臨。
一方、熱狂的なファイトながらも当時は善戦マンの印象が強かった小橋。
96年に一足早く大ブレイクを遂げた田上明の持つ三冠王座に挑戦、これを奪取して初の三冠王座戴冠となった。

【名勝負】プロレスダイジェスト 1996-07-24 三冠戦 田上明 vs 小橋建太 - YouTube

三沢を破り三冠王者になった田上。96年はチャンピオンカーニバルも田上が優勝し、まさに田上の年。勢いにのる田上に、小橋がストップをかけられるか…

1997年1月、チャンピオン小橋VSエース三沢の三冠戦

この試合を「三沢VS小橋」の幕開けとする人は多い。
小橋の断崖式パワーボムをウラカンラナで切り返す三沢の天才、タイガードライバー'91を返した小橋のこの一戦にかけた思い、そんな魂のぶつかり合い。
僕は本当の意味で"三沢VS小橋"っていうのが始まったのは、97年1月の大阪からだと思ってるですけど。そのあとのチャンピオンカーニバルで、初めて三沢さんに勝ったとき、30分1本勝負でやっても、1月の三冠戦を超えたいと思ったんですよ。
小橋本人も、この試合が「三沢VS小橋」の始まりと語る。

小橋VS三沢 三冠戦 97大阪府立 - YouTube

97新春ジャイアントシリーズでチャンピオン小橋に三沢が挑んだ三冠戦。エプロンからのパワーボムを三沢はフランケンシュタイナーで切り返す。タイガードライバー91が初めて返された試合
僕はあの試合の前に、初めて三冠チャンピオンになっていたんですけど、「エースは三沢」って言われてたんですよ。それで僕は「チャンピオンになっても、まだエースにはなれないのか」っていう葛藤があって。会社的にも、チャンピオンは僕なのに、ポスターは三沢さんのほうがずっと大きく出てるんですよ(笑)。
プロレスならではの葛藤、チャンピオンとエース。
1997年1月20日、大阪府立体育会館での三沢を挑戦者として迎える三冠戦前日のこと。小橋は母親に電話をかけ、「俺が死んでも三沢さんを恨まないでくれ」と伝えた。試合後はスポーツ番組へ2人とも生出演する予定だったが、小橋は病院へ直行し結局番組は三沢のみの出演となった。
プロレスにかける情熱、プロレスと向き合う覚悟。

同年10月、三沢が小橋を迎え撃った三冠戦はこの年のプロレス大賞・ベストバウト賞に選ばれる

【年間ベストバウト】プロレスダイジェスト 1997-10-21 小橋建太 vs 三沢光晴 - YouTube

年間ベストバウトに選ばれた名勝負。

「三沢VS小橋」ブランドは全日の黄金カードへ

1998年10月、小橋の持つ三冠統一ヘビー級王座に三沢が挑戦。
三沢が王座奪回に成功し第20代王者になったこの試合は、2年連続となるプロレス大賞・ベストバウト賞を受賞。
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