三沢 vs 小橋 1998.10.31 三冠戦 - YouTube
三沢 vs 小橋 1998.10.31 三冠戦
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99年6月の三冠戦。
この頃になると、ひとつ前の試合でフィニッシュホールドになっていた技がフィニッシュにならないのが当たり前と思われるほど、技の危険度と受け身の高度化が進んでいた。
この頃になると、ひとつ前の試合でフィニッシュホールドになっていた技がフィニッシュにならないのが当たり前と思われるほど、技の危険度と受け身の高度化が進んでいた。
1999年06月11日 三沢光晴 vs 小橋健太【三冠ヘビー級選手権試合】 - YouTube
当時の全日本プロレス屈指の黄金カード。三沢光晴VS小橋健太。 1997、98年と2年連続プロレス大賞・ベストバウト賞を2年連続受賞したカードでもある。 現在、三沢光晴は亡くなり、小橋健太は2013年に引退したばかり。 でも、この二人が与えてきた功績、影響は伝説と呼ぶに恥じないだろう。 三冠とは、インターナショナル...
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プロレスラーとして命を張ってリングに上がるわけだから、生半可な試合はしたくないんですよ。リングには、覚悟を決めて上がらないと。だから、僕が三沢さんから学んだ一番のことは「覚悟」ですね。リングに上がったら、覚悟を決めて後悔がないように全力を尽くす。試合後に「今日は、なんちゅう試合をしてしまったんだ......」という思いだけはしたくなかったんですよ。勝とうが負けようが、全力を尽くしてやることが、自分の気持ちを維持できる理由だったんで。そういう思いがあったから、プロレスに集中し続けることができたんです。
「生半可な試合をしない」
これこそがプロレスに向き合う覚悟なのかもしれない。
これこそがプロレスに向き合う覚悟なのかもしれない。
2000年6月、日本プロレスを退団しプロレスリング・ノアを設立
ノア旗揚げ後、小橋は膝の怪我と戦い続けることに。
2001年1月18日を最後に膝の手術とリハビリのため欠場。
2002年2月17日 - 秋山、永田裕志組戦(パートナーは三沢)で395日ぶりにリング復帰を果たしたが、左膝前十字靱帯不完全断裂で全治4か月の負傷で再び欠場。
7月5日、138日ぶりの再復帰戦を第1試合で行う。
この間、ノアのリングの中心に立っていたのは小橋の盟友・秋山だった。
2001年1月18日を最後に膝の手術とリハビリのため欠場。
2002年2月17日 - 秋山、永田裕志組戦(パートナーは三沢)で395日ぶりにリング復帰を果たしたが、左膝前十字靱帯不完全断裂で全治4か月の負傷で再び欠場。
7月5日、138日ぶりの再復帰戦を第1試合で行う。
この間、ノアのリングの中心に立っていたのは小橋の盟友・秋山だった。
【策士・秋山準】NOAHをメジャー団体に押し上げた立役者はこの人 - Middle Edge(ミドルエッジ)
全日本五強⇒NOAHのエース⇒全日本社長へ。波乱万丈のマット界で常に自ら仕掛け行動し続ける賢者、バーニング小橋建太の永遠の盟友でもある秋山を追う。
一方の三沢もまた、全日本時代には交わらなかったプロレスラーたちとの遭遇でプロレスの凄さを表現。
【三沢と小川/橋本の遭遇】2001年、NOAHと同時期に立上げを迎えたZERO-1はまさにカオスでした!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
三沢やNOAHを語る上では、全日時代に叶わなかった他団体交流もその一つ。新日本や全日本との交流による夢カードに私たちは興奮したものです。その中で唯一、殺伐とした交流が対ZERO-1だったのです。
2003年3月1日、ノアのリングでGHCをかけた三沢VS小橋の死闘
もはや伝説の域に達していた「三沢VS小橋」がノアのリングでついに実現。
GHC王者・三沢に小橋が挑んだ試合はまたしてもこの年のプロレス大賞・ベストバウト賞を受賞。
GHC王者・三沢に小橋が挑んだ試合はまたしてもこの年のプロレス大賞・ベストバウト賞を受賞。
[HQ]NOAH 三沢光晴 VS 小橋建太 01-03-2003 - YouTube
[HQ]NOAH 三沢光晴 VS 小橋建太 01-03-2003
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三沢による新たな団体旗揚げ、度重なる手術とリハビリを余儀なくされた小橋。
従来の「三沢VS小橋」に新たな物語を綴ることで、より重厚感を増した二人のファイト。
プロレスは戦う者の人生を投影するファイトだと、まさに二人は教えてくれる。
従来の「三沢VS小橋」に新たな物語を綴ることで、より重厚感を増した二人のファイト。
プロレスは戦う者の人生を投影するファイトだと、まさに二人は教えてくれる。
僕はK─1やPRIDEに対するライバル意識というものが、すごくありましたね。あの頃、プロレスラーがK─1やPRIDEに出たりすることも多かったですけど、僕は純粋にプロレスの試合で、プロレスの凄さを見せたかった。
やっぱりプロレスラーは、プロレスでみんなを魅了するのが仕事なんで。プロレスを見た驚き、感動というものを伝えたかった。そういう思いが、2003年3月1日の三沢さんとの試合につながったんですよ。
「プロレスは勝敗が決まっているもの」とするならば、純粋な試合内容で勝負することがいかに覚悟を伴うか。パフォーマンスを用いず、純プロレスで勝負し続けた男の本音。
その後、小橋は2年間ベルトを防衛し続け「絶対王者」と呼ばれることに。
以降プロレスリングノアの隆盛、苦難をともに戦いながらも三沢は2009年、リング上で命を落とす。
一方の小橋は癌、更なる怪我と向き合いながら2013年に現役を引退。
以降プロレスリングノアの隆盛、苦難をともに戦いながらも三沢は2009年、リング上で命を落とす。
一方の小橋は癌、更なる怪我と向き合いながら2013年に現役を引退。
「プロレスラーって正式な引退試合をしている人は少ない。僕がちゃんとした引退試合ができたら、それも後輩への一つの道標になるかなと思いました。今日は天国にいる馬場さんと三沢さんに届くように、心の中で”今日で引退します”と告げました」
満身創痍のなか、最後まで偽りのないファイトを続け切った小橋。
ともに戦い続けた三沢への思い。
ともに戦い続けた三沢への思い。
他と比較する必要のない、永遠に色褪せない「三沢VS小橋」。
力や勇気をもらいたくなったとき、いまも二人の戦いを観たいと思う。
力や勇気をもらいたくなったとき、いまも二人の戦いを観たいと思う。