みんなあなたに憧れた~ファミコンから生まれた皆のヒーロー「高橋名人」~
2017年1月24日 更新

みんなあなたに憧れた~ファミコンから生まれた皆のヒーロー「高橋名人」~

ファミコン時代のアイコンといえば間違いなく高橋名人。「ゲームの上手いお兄さん」からスタートした「名人」初期、彼が大人気のヒーローになるまでにはさまざまな伏線がありました。それは、ファミコン黎明期に撒かれていたたくさんの種が一気に花開く過程とも重なります。そんな「高橋名人ブーム」を振り返ってみました。

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2006年9月6日は秋篠宮紀子さまのご出産でお祝いムード一色となりました。
TV各局が慶事を伝える中TV東京の街頭インタビューでは・・・

どこにでもある街頭インタビュー、しかしこの男は只者ではなかった

って高橋名人じゃん!

って高橋名人じゃん!

高橋名人(たかはしめいじん、本名:高橋 利幸(たかはし としゆき)、1959年5月23日 - )は、日本のゲーム関係者、歌手。ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)所属の“ ファミコン名人 ”として一世を風靡した。

あのころ、子供たちの「神」だった

もはや説明など不要なくらい、ファミコン世代ならば誰でも知っているお兄さん。
それが高橋名人だったのです。これはTV局の仕込みでもなんでもなく、お仕事でたまたま歩いていたところを、TV東京にインタビューされた、というのが真実なようです。
おめでとうございます
ども、名人です。
朝の通勤で、有楽町駅を降りたら、報道陣がたくさんいました。
そんな中、一人のインタビューアーが私のもとへやってきて…
「TV東京ですけどちょっといいですか?」と。
正直言って、街頭インタビューは初めての体験だったので、ちょっと嬉しかったです(笑)
普通のインタビューは慣れているんですけどね。
「秋篠宮妃が出産されましたけど、いかがお思いですか?」
「皇位継承についてはどうですか?」と引き続きの質問。
どちらも無難に答えておきました。

神であると同時に「まっとうな大人」だった

高橋名人の名言

高橋名人の名言

ハドソンのハチのマークと高橋名人。16連射という響きのかっこよさと、ゲーム会社の社員でありながら、子供たちに「ゲームは一時間まで」と諭すまっとうさ。当時はこの発言は「ゲーム会社の社員なのにゲームのやりすぎはだめなんて!」と社内でかなり問題になったようです。
当初この発言は、問屋などから「ゲーム会社の人間がゲームをするなとは何事か」と文句がつけられ、ハドソンで役員会が開かれるほどの物議を醸したが、逆に社長の決断で会社として『ゲームばかりで遊ばない、他のこともしよう』という健全な方向性を打ち出していくことになり、高橋名人に標語の作成が命じられた
「ゲームは一日一時間。外で遊ぼう元気よく」という部分がとても有名なフレーズですが、その後に「ぼくらの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。ぼくらは未来の社会人」という言葉が続きます。
高橋名人の温かみのある人柄が伝わってくる言葉ですね。現代のこどもたちにもぜひ、変わらず伝えていきたい言葉です。

「高橋名人」誕生は1985年、小さなイベントからだった

高橋名人現る

高橋名人現る

1985年3月15日、百貨店の屋上で行われた月刊コロコロコミックの催し「コロコロまんが祭り」にハドソン社員として参加し、1000人ほどの親子連れの前でファミコンの『チャンピオンシップロードランナー』を実演した所、2~300人が残ってサインをねだる事態となった。この催しの成功を受けて、ハドソンはハドソン全国キャラバンなどの立ち上げを急遽決定。ゲームの実演役として高橋が指名され、また将棋や囲碁に倣い「名人」という呼称を使うことになった。ここに「高橋名人」が誕生し、5月3日の「コロコロまんがまつり・スターフォース発売前ファミコン大会」にて名人として初登場した

ハドソンチャンピオンシップロードランナーキャンペーンCM 1985年 - YouTube

1985年のハドソン キャンペーンCMです。こういうゲームイベントが当時はよく開かれていましたよね。
このゴールドカードをゲットしたというだけで、周囲からは尊敬のまなざしで見られたことでしょう。
当時の「特別」はゴールドだった、だってバブルですもの
キン肉マンマッスルタッグマッチ ゴールドカートリッジ

キン肉マンマッスルタッグマッチ ゴールドカートリッジ

ゲームコンテスト上位8人しかもらえなかったという超レアファミコンソフト。
ヤフオクの相場は100万ほど。
当時のお菓子「ハイスコア」

当時のお菓子「ハイスコア」

「ハイスコア」って書いてるけどこれ「パ〇ックンチョ」ですよね・・・。パッケージや箱にデカデカと100円!と値段が書いてあるのが昭和のお菓子の特徴。商品名より目立つ形で「高橋名人のスターソルジャーテクニック!」と書いてあるのが、当時のものすごいファミコン人気を物語っています。裏には「スターソルジャー㊙テクニックは全20種類!キミだけに教えるョ」と書いてあります。「㊙」とか小さい「ョ」は「~してネ」等キャッチコピーなどで当時よく語尾に使われていた印象です。こういうところにも時代を感じます。カードはピカッと光るらしいのですが、蛍光塗料を塗っていたんでしょうか。子供たちはこれを皆で持ち寄って、㊙テクを研究していたんでしょうね。
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