怒涛のメディアミックス!
当時は実在の芸能人とか人を主人公にしたファミコンソフトが多かったとはいえ、高橋名人はついにゲームの主人公にまでなってしまいました!
ファミコン 高橋名人の冒険島 - YouTube
横スクロール型アクション。どうして高橋名人が原人の恰好をしているのか、なんでかたつむりに石オノを投げる必要があるのか、など深く考えてはいけないゆるい世界観が広がります。難易度はスーパーマリオなどと違ってやさしい印象です。武器は石オノ→スケボーに装備がグレードアップします。石に躓いたときのバランス崩し感が絶妙です。だからといってライフが減りはしません、スぺランカーじゃないから。
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Bugってハニー OP Bugってハニー 高橋利幸 - YouTube
よほど「冒険島」がヒットしたのでしょうか、とうとうスピンアウトでオリジナルアニメ化までしてしまいました。
ちなみにキャラ名は「高橋名人」ではなく「高橋原人」です。どうやらあくまで「高橋名人じゃないよ」という態を装いたかった模様です。Bugってハニーの主題歌「愛はメリーゴーランド」「Bugってハニー」は高橋名人ご本人が歌っています。なんて多才な方なんでしょうか・・・。
ちなみにキャラ名は「高橋名人」ではなく「高橋原人」です。どうやらあくまで「高橋名人じゃないよ」という態を装いたかった模様です。Bugってハニーの主題歌「愛はメリーゴーランド」「Bugってハニー」は高橋名人ご本人が歌っています。なんて多才な方なんでしょうか・・・。
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Bugってハニーゲームブック
ゲームブックありましたね~。小説形式で、選択肢ごとにページがすすむようになっていましたよね。イラストも豊富で、みんなで貸し合って読んでいた覚えがあります。特質上、一回ストーリーが終わってしまうと飽きて読まなくなることが多かった気がします。でも結構私はゲームブック好きでした。
via www.kjpro.co.jp
ファミコン Bugってハニー - YouTube
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スーパーファミコン発売と「冒険島Ⅱ」発売、その因果関係を考える
1990年には、スーパーファミコンの後続機「スーパーファミコン」が発売されました。
あずき色でごつごつしたフォルム、どこか骨太な感じがした初代ファミコンに対し、スーパーファミコンは緑、黄、赤などボタンがポップな色使いで、コントローラーも機体も丸みを帯びたフォルムでした。「入れ方を誤ると色が反転したり、ドットがズレたりする」「イジェクトレバーがしぶい」「ソフトがなかなか抜けない」という初代の弱点を克服し、本体部分に滑らかな動作感があったように思います。軽量化はしましたが、コントローラーがあまりにも軽すぎて、ややチープになった感はありました。
あずき色でごつごつしたフォルム、どこか骨太な感じがした初代ファミコンに対し、スーパーファミコンは緑、黄、赤などボタンがポップな色使いで、コントローラーも機体も丸みを帯びたフォルムでした。「入れ方を誤ると色が反転したり、ドットがズレたりする」「イジェクトレバーがしぶい」「ソフトがなかなか抜けない」という初代の弱点を克服し、本体部分に滑らかな動作感があったように思います。軽量化はしましたが、コントローラーがあまりにも軽すぎて、ややチープになった感はありました。
via www.famicom.biz
スーパーファミコン元年翌年、敢えて「ファミコン」で発売された謎
「高橋名人の冒険島Ⅱ」が発売されたのは「Ⅰ」の5年後の1991年で、随分間が空いています。
100万本売ったヒットタイトルなのですから、一年後くらいにⅡを発売していても良かったはずです。この発売タイミングの遅さは、前年のスーパーファミコン発売との因果関係があるような気がします。もしかして、「冒険島Ⅱ」は本来スーパーファミコンのソフトとして発売されるものだったのではないでしょうか。
当時はスーパーファミコンソフトへと向かう流れが主流となったはずです。その一年後、なぜかファミコンソフトとして発売された「冒険島Ⅱ」。任天堂のサードパーティ五社として、ファミコンソフトを作り続けてきたハドソンの筋のようなものを感じます。
100万本売ったヒットタイトルなのですから、一年後くらいにⅡを発売していても良かったはずです。この発売タイミングの遅さは、前年のスーパーファミコン発売との因果関係があるような気がします。もしかして、「冒険島Ⅱ」は本来スーパーファミコンのソフトとして発売されるものだったのではないでしょうか。
当時はスーパーファミコンソフトへと向かう流れが主流となったはずです。その一年後、なぜかファミコンソフトとして発売された「冒険島Ⅱ」。任天堂のサードパーティ五社として、ファミコンソフトを作り続けてきたハドソンの筋のようなものを感じます。
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1990年、スーパーファミコンを牽引する売れっ子ソフトとして発売された「スーパーマリオワールド」。このソフトはこれまでファミコンで遊んでいた層をそのままスーパーファミコンへスライドさせる役割も担っていたようです。しかし、ある程度会社間で、ファミコンとスーパーファミコンのソフトの「振り分け」をして、ファミコンが売れなくならないように意図的にソフトを分けているようにも思えます。1992年スピンアウト作品「ヨッシーのクッキー」がファミコンで発売されているのも、そうした動きが働いているのではないかと考えてしまいます。
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高橋名人の冒険島Ⅱの新要素
「Ⅱ」から高橋名人が恐竜に乗るという要素が追加されました。また、マップでステージを選ぶなど、「マリオ」など売れ筋のソフトの魅力的な要素をどん欲に取り込んでいこうという意欲も感じられます。
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ハドソンゲームコレクション
ファミコンの「冒険島」シリーズが収録されたゲームボーイアドバンスのソフト。一作目の「冒険島」は100万本を売ったそうですが、「2」はスーパーファミコン過渡期に発売されたソフトということもあり、発売本数はあまり多くなかったようです。そのあと、4までシリーズが続いたのは、根強い人気があったためなのでしょう。2→3→4と本数も落ちていったようで、4は中古市場でもレアなソフトになっているそうです。このレアなソフトが収録されているだけでも価値があるとのこと。
via www.amazon.co.jp
子供の夢を守ろうとした大人たち
実は「リボン」が描かれているのは「冒険島」だけです。この「リボン」は、当初発売前に水着の女性が敵に攫われている、という表現を、子供たちにゲームを買い与える立場のお母さんたちに「いやらしい」と思われるのではないか、という危惧から付けられたものなのだそうなのです。リボンを付けることで、きわどい部分を隠したのだそうなのです。あんまり隠れてない気もするのですが・・・。
いくつかの高橋名人のインタビュー記事のなかに出てくるエピソードですが、高橋名人はブレイク当時、会社の偉い人に、いかがわしい界隈をたまたま通りかかることすら制限されたことなど、語っています。「週刊誌の写真に撮られでもしたら、子供たちにどう説明すればいいんだよ!」と諭されたという言葉が印象に残りました。
あのころ、ファミコンはまるで魔法の詰まった宝箱でした。そんな宝の山の中で遊ぶことができたことと、あの頃子供であったことを心から良かったと思うのです。
いくつかの高橋名人のインタビュー記事のなかに出てくるエピソードですが、高橋名人はブレイク当時、会社の偉い人に、いかがわしい界隈をたまたま通りかかることすら制限されたことなど、語っています。「週刊誌の写真に撮られでもしたら、子供たちにどう説明すればいいんだよ!」と諭されたという言葉が印象に残りました。
あのころ、ファミコンはまるで魔法の詰まった宝箱でした。そんな宝の山の中で遊ぶことができたことと、あの頃子供であったことを心から良かったと思うのです。
16連射、ゲームは1日1時間の裏側――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(後編) (1/5) - ITmedia ビジネスオンライン
公開講座「名人の目から見たファミコンブーム」で、ブームを振り返った“高橋名人”こと高橋利幸氏(ハドソン)。前編ではファミコンブームが盛り上がっていく様子を伝えた。後編では「ゲームは1日1時間」「16連射」が誕生した背景、そして質疑応答の模様を紹介する。
via www.amazon.co.jp
公式16連射ブック 高橋名人のゲームは1日1時間 (ファミ通ブックス) : 高橋名人 : ゲーム : Amazon.co.jp
¥999
生涯ゲーム名人宣言! 高橋名人のすべてがまるごとわかる本
ゲーム名人ってどんな仕事なの? 日本で唯一「ゲーム名人」の肩書きを持つ高橋名人が自らの過去を振り返る、まるごと名人読本。名人ファンだけでなく、ゲーム業界に興味がある人にもササるエピソードが満載!
内容(「BOOK」データベースより)
思わず発した「ゲームは1日1時間!」が引き起こした大問題から25000人を超えいまだに増加し続けるマイミク伝説まで、高橋名人のすべてがわかる。
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思わず発した「ゲームは1日1時間!」が引き起こした大問題から25000人を超えいまだに増加し続けるマイミク伝説まで、高橋名人のすべてがわかる。
当時は知りえなかった、高橋名人の「会社員」と「子供たちのヒーロー」の二足の草鞋のエピソードが語られているようです。