改めて、高橋名人のすごさを振り返る
1983年に「ファミリーコンピュータ」が発売されたものの、そのブームはまた一部だけの盛り上がりでしかありませんでした。一気にブームが爆発したのはその2年後の1985年頃。くすぶりつつ、点火のきっかけを待っていたファミコンブームの前夜、その頃彗星のように現れた子供たちのヒーロー。それが高橋名人だったのです。
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ハドソン全国キャラバン~スターソルジャー1986~ - YouTube
発売前のゲームをプレイして、高得点を出した子は高橋名人と対戦できる!という夢のある企画です。
会場はすごい熱気です。今見てもワクワクするなあ。
十六連射のヒーロー登場
ゲームが上手いお兄さん、という高橋名人のスタンスが一気に大ブームになった火付け役は「16連射」でした。
その名の通り、1秒間にゲーム機のコントローラのボタンを16回押すことである。平均して0.0625秒以下の間隔でボタンを押すこととなる。
実際にやってみると判るが、特別に訓練を行っていない一般的な人物の場合で、だいたい1秒間に10~12回程度押せればかなりスピードが速いと言える方(作品によっては1秒に15回までしかボタン入力を認識しないこともある)。それ故、使い手として知られる高橋名人こと高橋利幸氏のヒーロー性をファミっ子達に知らしめる大きな要因となっている。
高橋名人 16連打 - YouTube
早すぎで見えません
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懐かしのシュウォッチ!
三種類累計で100万個を売ったというゲームウオッチ。
ボタン連射の速度を計測することが出来る。高橋名人の連射を目指すべく、日々子供たちはこのウォッチを連射していた。時間が「何時ゴロ」と表記される「いいかげん時計」機能などある意味おおらかな商品。
2008年、高橋名人監修のもと、当時の感触に忠実に作られた「復刻版シュウォッチ」が復刻、販売されました。
ボタン連射の速度を計測することが出来る。高橋名人の連射を目指すべく、日々子供たちはこのウォッチを連射していた。時間が「何時ゴロ」と表記される「いいかげん時計」機能などある意味おおらかな商品。
2008年、高橋名人監修のもと、当時の感触に忠実に作られた「復刻版シュウォッチ」が復刻、販売されました。
「子供を指導するのではなく、一緒に遊んでいるお兄ちゃんでいよう」
高橋名人のファミコンゲーム別攻略法 - YouTube
高橋名人の生い立ちをおさらいしながら、名人がじきじきにゲーム攻略法を教えてくれる動画です。
ナレーターの方のC調風味な解説と「許してちょんまげ」という言葉が80年代っぽさを伝えてきます。
ナレーターの方のC調風味な解説と「許してちょんまげ」という言葉が80年代っぽさを伝えてきます。
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こうして改めて動画を見てみると、高橋名人の語り口調と声の調子がとても優しいことに改めて気付きます。終始語りかけるように、色々なアドバイスをしてくれます。なかでも、子供たちが最も知りたい疑問である「どうすれば高橋名人みたいにうまくなるの?」という疑問に答える形で、「お友達と一緒に遊びながらテクニックを学ぶ」(だからみんなで仲良く、おしゃべりしながら遊ぶんだぞ)という優しい本音が透けて見えている気がしますね。「ゲームは惰性でやったってうまくはならないぞ」というまっとうなコメントも、だからゲームをやりすぎちゃ駄目だぞ!という意味合いでおっしゃってたのかな、と思ったりします。
高橋名人からのアドバイス
「遊びはファミコンしか知らない、寂しい大人にはならないでください」
本来ならばお仕事として「もっと遊んでね!」「もっと買ってね!」というところを、こんな風に言うことができた高橋名人を、一人の大人として本当に尊敬します。
本来ならばお仕事として「もっと遊んでね!」「もっと買ってね!」というところを、こんな風に言うことができた高橋名人を、一人の大人として本当に尊敬します。
有名になりすぎたがゆえの弊害もあった
大竹まことのゴールデンラジオで高橋名人が当時の噂について語る!! - YouTube
高橋名人が、逮捕説や16連打はバネ仕込み説や死亡説について、警察署に一日署長に行ったことで誤解を受けたと真相をあかしています。
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高橋名人の人気絶頂期であった1986年から1987年頃にかけて、子供達を中心に「高橋名人が警察に逮捕された」「高橋名人が死亡した」といった類の噂(都市伝説)が急速に広まった[57]。当時高橋名人に警視庁からの牛込警察署の一日署長の依頼があった(一日署長自体は日程の都合で実現しなかったと、後にmixiの日記などで語っている)。それが子供達を中心に誤った内容で伝聞され(「一日署長をするために警察に行く」→「警察に行った」→「捕まった」)、「高橋名人逮捕」という情報になり、日本の広範囲に広まったといわれている。
おそらく高橋名人のお話に基づくと仙台でこの噂は始まったと予想されます。当時はネットもスマホもないのに、900キロ離れた場所の小学生だった私の元にもこの噂は流れてきました。この伝播の大きさは何だったのでしょう。それほど高橋名人が子供たちに注目されていた存在だったといえるのかもしれませんが、この噂によって、ハドソンには業務に支障をきたすほどの多くの問い合わせが殺到したのだそうです。なんともひどい話です。
“高橋名人”という社会現象―高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編) (1/5) - ITmedia ビジネスオンライン
日本デジタルゲーム学会は、東京大学で公開講座「名人の目から見たファミコンブーム」を開催。ファミコンブームの主役となった“高橋名人”こと高橋利幸氏(ハドソン)が、ブームについて振り返った。その内容を詳細にお伝えする。
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思い出|高橋名人オフィシャルブログ「16連射のつぶやき」Powered by Ameba -3ページ目
高橋名人が、当時のゲームキャラバンの思い出を語っておられます。
時代の風はそろそろファミコンに追い風となり始めていました。
新しいソフトのプロモーション戦略の一環で、コロコロとタイアップを始めたハドソンに持ち掛けられたのが「コロコロ漫画まつり」でした。そのイベントでハドソンの社員として、ゲームを遊んで見せた高橋名人は、一日のうちにそれを見ていた子供たちの憧れの存在になったのでした。その熱気を見て取ったハドソンは「ゲームキャラバン」と称して、全国をキャラバンカーで回り、子供たちにゲームを遊んでもらう、というプロモーション活動を開始します。そこで初めて高橋名人は「名人」を名乗ることとなりました。