川島郭志 裏庭ジム出身のアンタッチャブル 誰も彼に触れることはできない
2016年11月25日 更新

川島郭志 裏庭ジム出身のアンタッチャブル 誰も彼に触れることはできない

「志は、気の帥なり(孟子)」 世界王者が生まれる条件は、トレーニングの環境ではなく、スピリッツである。川島郭志はサンドバッグと腹筋台だけの(自宅の)裏庭ジムから世界チャンピオンになった。その高いディフェンス能力は「アンタッチャブル(触ることができない)」と呼ばれた。

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暗い道路でのスパーリングで勘を養う

自宅前の道路でシャドーボクシングする川島郭志と吉田祐

自宅前の道路でシャドーボクシングする川島郭志と吉田祐

出典 お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著
川島郭志は
兄と同じく徳島県内では1番の進学校の1つ、海南高校に入った
そして家では相変わらず裏庭ジムとランニングの日々だった
海南高校には吉田裕というボクシング選手がいて
彼も一緒に練習しスパーリングをした
スパーリングは中学校の体育館を借りて行ったが
先約があり使えないときは家の前の道路でやった
辺りはすでに暗い
薄明かりの中でパンチをかわしパンチを出す
これが川島郭信の勘を養った
アマチュアの試合では
強烈な1発より
軽くても手数を出したほうが勝者になる
サンドバッグを軽いパンチで連打していると
父が飛び出してきて怒鳴った
「軽く打ってるんじゃない」

牛乳配達と廃品回収

 (1630169)

高校生になり時間が起こった
小中とボクシング漬けの生活を過ごしてきて
高校に上がるとむしょうに遊びたくなった
遊ぶといっても
こっそり家を抜け出し
友達とたわいのないことを話してワイワイ騒ぐだけだったが
川島家の掟「夜は寝る」に抵触していた
ある夜中
こっそり自分の部屋に上がろうとすると真っ黒な部屋から声がした
「お前夜遊びしているな」
夜中出て行く息子に気づいた父が待ち伏せしていたのだ
そして怒鳴った
「出て行け」
「出て行ってやる」
母の仲裁で
出て行くことだけは許したが
父はいった
「川島家の掟を破るなら親子の縁を切る
部屋は貸してやるが
食事代も学費も自分で働いて稼げ」
この後、2年間
川島郭志は
すでにやっていた牛乳配達に加え廃品回収のアルバイトも始めた
「私の子供は2人とも高校時代に反抗期が来ました
兄のほうは学校から帰るのが10分くらい遅れるようになりました
ボクシングの練習開始時間に遅れるようでは社会に出ても通用するはずがありません
「練習に遅れるくらいなら学校を辞めろ」といいました
志伸も当然カッとなります
それを聞いた担任があわてて飛んできて
「こんな優秀な子をやめさせるなんてとんでもない」と
志伸を車に乗せてドライブして説得してくれました
それからは遅れることもなく時間をキッチリ守るようになりました
郭志のときは
「勝手に練習したらええ」といいました
それから土日になると仕事へ行って
爪を真っ黒にして帰ってきました」
(父:郭信)
出典 お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著
 (1630168)

朝は毎日、牛乳配達
それから学校に行き
友達と楽しい時間を過ごす
授業が終わると家に直行しボクシングの練習
土曜日は
午前中で授業を終え
自転車を飛ばして帰宅
昼飯をかきこみ
廃品回収のバイトに向かった
トラックで地域を回り
鉄を運んだり銅線を引っ張ったり
本を積み上げたりアルミ缶をプレスしたり
ずっと力仕事の連続だった
そして帰ってくるとボクシングの練習
日曜日は
8時から17時まで廃品回収をしてから
ボクシングの練習をした
そして月曜の朝は牛乳配達で始まった
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出典 upin.jp

鬼塚、渡久地に勝ってインターハイ優勝

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川島郭志は
高校時代にインターハイに2度出場した
2年生のときは3位
3年生のときは
準決勝で鬼塚隆(後のWBA世界スーパーフライ級王者鬼塚勝也)
決勝は渡久地隆人(後の日本フライ級王者ピューマ渡久地)に勝ち優勝した
「大したもんやなあと感心しました
施設もろくに揃っていない裏庭ジムを練習場所にして
スパーリングパートナーも1人か2人
そういう恵まれない環境の中で自分のボクシングを築き上げた
私は快挙だと思いました」
(兄:志伸)
出典 お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著

米倉健司会長

ヨネクラボクシングジム

ヨネクラボクシングジム

株式会社ヨネクラプロモーション
代表者名:米 倉 健 司
所在地:東京都豊島区目白2-28-9
電話:03-3971‐0181
FAX:03-3981-7746
最寄り駅:JR山手線 目白駅又は池袋駅(徒歩3分)
川島郭志は
米倉健司会長からスカウトされ
東京のヨネクラジムに入った
米倉健司会長

米倉健司会長

米倉会長は
高校時代にボクシングに出会って以来、拳闘一筋の人で
メルボルン五輪出場後
プロで2度、世界に挑戦
引退後、ヨネクラジムを開設
2016年時点で
世界チャンピオンを5人
(柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、そして川島郭志)
東洋太平洋では8人
日本は31人
合計44人のチャンピオンのチャンピオンを輩出している

東京暮らし

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