凮月堂のゴーフル
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ゴーフル(フランス語: gaufre)とは、専用の型で作る凹凸模様の平たい菓子。英語でワッフル (waffle)、フランス語でゴーフル (gaufre) と呼ばれる。「浮き出し模様を付ける」という意味の “gaufrer” から、「ゴーフル」と呼ばれるようになった。
日本では、薄焼き煎餅にクリームを挟んだ焼き菓子が「ゴーフル」「ゴーフレット」等の名前で販売されている。この形状の「ゴーフル」は、昭和初期に凮月堂一門によって開発されたもので、2014年現在、凮月堂の流れを汲む複数の和・洋菓子会社メーカーによって製造・販売されている。「ゴーフル」は神戸凮月堂によって商標登録されている。
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洋菓子の材料を取り入れた和菓子で、小麦粉、砂糖、牛乳、バター等の材料を和菓子のせんべいを焼く技術を活かして直径15cm、厚さ1mm程の円形にさっくりと焼いたもの二枚で、薄く延ばしたクリームを挟んだもの。
個包装されたものを紙箱や四角い缶に入れた形態、あるいは浅底の丸い鉄製の缶に入れた形態で販売されている。
記憶に残るゴーフルは直径30cmもあろうかというイメージですが、直径は15cmだったのですね。
子供の目に、それはとても大きく映ったものです。
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いまではAmazonで買えてしまうんですね
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「凮月堂」と聞いて思い出すのはどの凮月堂ですか?
関東の人ならば「上野凮月堂」や「東京凮月堂」「銀座凮月堂」、関西の人ならば「神戸凮月堂」などが有名かもしれません。
これらの凮月堂、今はそれぞれ別の会社ですが、ルーツを辿ると同じ起源に行きつくようです。
これらの凮月堂、今はそれぞれ別の会社ですが、ルーツを辿ると同じ起源に行きつくようです。
via www.kekkon-j.com
凮月堂の歴史
凮月堂は、日本全国に展開している複数の洋菓子・和菓子のメーカーが称する屋号。
江戸時代中期、小倉喜右衛門(後に改姓して大住喜右衛門)が江戸で開いた和菓子店が起源。
明治時代以降、大住家からの暖簾分けが行われた結果、複数の会社がこの名を継承しています。
凮月堂の名前のついた店舗は全国に多数ですが、必ずしも創業家である大住家(凮月堂総本店)の承認を得たのれん分けとは限らず、関係のない店舗が凮月堂を名乗っている場合もあります。
江戸時代中期、小倉喜右衛門(後に改姓して大住喜右衛門)が江戸で開いた和菓子店が起源。
明治時代以降、大住家からの暖簾分けが行われた結果、複数の会社がこの名を継承しています。
凮月堂の名前のついた店舗は全国に多数ですが、必ずしも創業家である大住家(凮月堂総本店)の承認を得たのれん分けとは限らず、関係のない店舗が凮月堂を名乗っている場合もあります。
江戸時代~明治時代
「大阪屋」を起源とする
1747年(延享4年)に大坂より江戸に下った初代の小倉喜右衛門が、宝暦年間に江戸・京橋鈴木町に開いた「大坂屋」を起源とする。
初代喜右衛門には子供がなく、姪の「恂(じゅん)」を養女に迎えていた。恂は唐津藩主水野忠光の屋敷に奉公して側室となり、1794年に水野忠邦(後の老中)を生んだ。
その後、宿下がりとなった恂が夫として迎えたのが2代目喜右衛門である。2代目喜右衛門は、義理の息子に当たる忠邦に引き立てられ、また諸大名に出入りを許された。とくに老中松平定信には重用され、松平家の御用菓子商に任命された。
1815年(文化12年)、2代目喜右衛門は松平定信(隠居して楽翁と号していた)より「凮月堂清白」という5文字の屋号を賜った。「風月」は定信の雅号のひとつであり、また蘇軾(蘇東坡)の「後赤壁賦」から「月白風清」の文字を選んだものという。
これを慶事とした水野忠邦は、名書家として知られた市河米庵を招き、白布に5文字の屋号を揮毫させ、暖簾として喜右衛門に与えた。このときから「大坂屋」は「凮月堂」となった。また、姓も小倉から「大坂屋」の「大」の字を継承して「大住」へと改姓した。
なお、2代目喜右衛門は、初代大住喜右衛門が隠居した頃に南伝馬町に店を移した。
引用:wikipedia
初代喜右衛門には子供がなく、姪の「恂(じゅん)」を養女に迎えていた。恂は唐津藩主水野忠光の屋敷に奉公して側室となり、1794年に水野忠邦(後の老中)を生んだ。
その後、宿下がりとなった恂が夫として迎えたのが2代目喜右衛門である。2代目喜右衛門は、義理の息子に当たる忠邦に引き立てられ、また諸大名に出入りを許された。とくに老中松平定信には重用され、松平家の御用菓子商に任命された。
1815年(文化12年)、2代目喜右衛門は松平定信(隠居して楽翁と号していた)より「凮月堂清白」という5文字の屋号を賜った。「風月」は定信の雅号のひとつであり、また蘇軾(蘇東坡)の「後赤壁賦」から「月白風清」の文字を選んだものという。
これを慶事とした水野忠邦は、名書家として知られた市河米庵を招き、白布に5文字の屋号を揮毫させ、暖簾として喜右衛門に与えた。このときから「大坂屋」は「凮月堂」となった。また、姓も小倉から「大坂屋」の「大」の字を継承して「大住」へと改姓した。
なお、2代目喜右衛門は、初代大住喜右衛門が隠居した頃に南伝馬町に店を移した。
引用:wikipedia