白虎隊とは
ご存知の方も多いでしょうが、まず最初に白虎隊について簡単におさらいします。
白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。
幕末の戊辰戦争によって、薩長が率いる官軍から朝敵とされた会津藩ですが、その戦いの中で、もともとは予備兵力であった白虎隊が戦場に駆り出されることになります。会津藩は故郷の鶴ヶ城を守り抜くため、会津への各街道に主力部隊を配置しますが、兵器、物量に劣る会津軍は劣勢を極めます。そんな流れの中で少年兵であった白虎隊も前線へと駆り出されていきます。
劣勢は流れは如何ともし難く、各戦場で苦戦を強いられますが、そんな中、大打撃をうけながら飯森山へと敗走した少年兵20名は、鶴ヶ城や会津若松の市中から火の手があがっているのを目にし、「城が落ちた」と思い込み自刃して果てた、とされています。(生き延びた隊士の手記などから、落城と勘違いしたのではなく、負け戦を覚悟し武士の本懐として自刃した、との説もあります。)
劣勢は流れは如何ともし難く、各戦場で苦戦を強いられますが、そんな中、大打撃をうけながら飯森山へと敗走した少年兵20名は、鶴ヶ城や会津若松の市中から火の手があがっているのを目にし、「城が落ちた」と思い込み自刃して果てた、とされています。(生き延びた隊士の手記などから、落城と勘違いしたのではなく、負け戦を覚悟し武士の本懐として自刃した、との説もあります。)
このような悲しい史実に基づき、多くの物語やドラマが生み出されました。
今に残る白虎隊の足跡
会津若松には白虎隊にまつわる史跡が残されています。
飯森山戸ノ口堰洞窟
白虎隊隊士が自決の地、飯森山へと敗走する際に通った洞穴です。必死の思いで冷たい水をかき分け飯森山の中腹へと抜け出た後、隊士たちは黒煙をあげる城と城下町を目にし、自刃を覚悟するのです。
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「年末時代劇スペシャルの『白虎隊』を観て会津若松を訪れた」「ドラマの影響で会津贔屓になってしまった」という人が、数え切れないくらい存在しています。それほど大きな影響を与えたのが『白虎隊』でした。
年末時代劇スペシャルとは
年末時代劇スペシャル(ねんまつじだいげきスペシャル)は、1985年から1993年にかけて日本テレビで放送された時代劇の特別番組です。大晦日とその前日の2夜連続で放送されました。
幕末ものを中心に計9作が制作されましたが、初期の数作品が特に人気を博し、中でも2作目の「白虎隊」は最大のヒット作品であったと言われています。
幕末ものを中心に計9作が制作されましたが、初期の数作品が特に人気を博し、中でも2作目の「白虎隊」は最大のヒット作品であったと言われています。
歴代の作品は以下の通りです。
1985年 忠臣蔵
1986年 白虎隊
1987年 田原坂
1988年 五稜郭
1989年 奇兵隊
1990年 勝海舟
1991年 源義経
1992年 風林火山
1993年 鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-
1985年 忠臣蔵
1986年 白虎隊
1987年 田原坂
1988年 五稜郭
1989年 奇兵隊
1990年 勝海舟
1991年 源義経
1992年 風林火山
1993年 鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-
白虎隊のあらすじ
さて、年末時代劇スペシャルの『白虎隊』のあらすじですが、以下のように全編、後編で構成されています。
前編 「京都動乱」
会津藩主松平容保が西郷頼母の猛反対を押し切って京都守護職を拝命し、孝明帝から信頼を得て京都での活躍、「新選組」の結成、鳥羽・伏見の戦いでの形勢逆転の大敗北。徳川幕府の裏切りによる会津帰国を経て、白虎隊の誕生までを描く。
時代に翻弄されながら、徐々に悲劇へと向かっていく会津藩の運命が描かれています。
若き風間杜夫演じる松平容保と、まさしく男盛りの里見浩太朗演じる西郷頼母の掛け合いが、後編につながっていく悲劇性を高めています。
若き風間杜夫演じる松平容保と、まさしく男盛りの里見浩太朗演じる西郷頼母の掛け合いが、後編につながっていく悲劇性を高めています。
後編 「落城の賦」
戊辰戦争の中、恭順姿勢も空しく朝敵の汚名を背負い会津戦争へ突入。白虎隊切腹、娘子軍の戦死、藩士家族の集団自刃、そして鶴ヶ城開城。井上丘隅ら生き残った藩士は斗南藩へ移封(と言う名の一藩流罪)となり、新しい時代へと歩んでいく
引き返すことのできない状況の中、ただ悲劇へと突き進んでいく会津の人々と若き命を散らす白虎隊。戦いに敗れた後もさらなる苦難に晒されながら、それでも前に進んでいかなければならない悲しさが描かれてます。