工藤公康との関係
工藤と渡辺の出会いは、81年夏の甲子園にさかのぼる。
前橋工高の1年生エースだった渡辺がサヨナラ負けを喫した直後、名古屋電気高校(現・愛工大名電)の工藤が史上18人目のノーヒットノーランを記録した。
明暗の分かれたふたりだが、当時は面識がなく、通路ですれ違ったくらいだった。
(中略)
それから2年後、83年ドラフト1位で西武に指名された渡辺は、2歳上の工藤を目標に掲げる。
「俺が入団した頃、工藤さんはリリーフでけっこう投げていた。当然名前も知っていたし、プロで投げている姿を映像で見たこともあった。工藤さんは1年目から1軍で投げていたので、俺もそうなりたいという目標だったね」
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二人は西武入団で再会。バブル時代若き日の二人は、当時の野球選手の中でも「ナウく」「新人類」と呼ばれた時代。夜の新宿や六本木に繰り出して「雨の西麻布」を熱唱していた事なども
昔の野球選手と言えば、二日酔いで試合に出てホームランや完封勝利が逸話としてありますね。
そうした豪快な時代とバブル期の派手さが入り交ざった遊び方だったようです。
今だったら、非難されますね。プロスポーツ選手として失格とされそうです・・・。
古き良き時代でした。
そうした豪快な時代とバブル期の派手さが入り交ざった遊び方だったようです。
今だったら、非難されますね。プロスポーツ選手として失格とされそうです・・・。
古き良き時代でした。
若い頃「も」イケメンでした! 愛称は「トレンディーエース」
モテモテなんてものではないですね。
当時のプロ野球選手はオジサンの代表格のようなものであり、若手であってもファッションに気を使う選手など殆どいませんでした。
そんな中飛び出してきたのが西武黄金期のまっただ中にいた工藤公康と渡辺久信です。
特に渡辺久信の長身でスラリすらりとしたスタイル、悪っぽさが残る風貌、直球勝負の投球スタイルは男性よりも女性を魅了し、西崎幸広などと共に「トレンディー(死語)エース」いうニックネームを付けられました。
今では想像が付かないですけどね。
via labola.jp
ほんとにイケメンだったのです!
背が高くて、高収入、
加えてさらさらヘアーのツーブロックだったのです。
貝殻水着の武田久美子とも浮名を流したのですよ。
全盛期の武田久美子ですよ!
凄いでしょ!
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武田久美子
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武田久美子
10代の頃、トレンディ・エースと呼ばれモテモテだった現西武監督・渡辺久信とのデートがスッパ抜かれた。
現役時代の動画
1992 渡辺久信 6 VS ルーキー 鈴木一郎 イチロー - YouTube
via www.youtube.com
ルーキーのイチローとの対決。
まだ「鈴木一郎」の登録名です。
全盛期の渡辺久信とルーキーでは、まだ力の差がありました。
パ・リーグを代表するエースとしての貫禄がありますね。
まだ「鈴木一郎」の登録名です。
全盛期の渡辺久信とルーキーでは、まだ力の差がありました。
パ・リーグを代表するエースとしての貫禄がありますね。