あべ静江さんの1970年代の活躍、涙は心の汗だ!「帰らざる日のために」「太陽がくれた季節」、中村晃子「虹色の湖」、久保田早紀「異邦人」などの懐メロ
2015年11月4日 更新

あべ静江さんの1970年代の活躍、涙は心の汗だ!「帰らざる日のために」「太陽がくれた季節」、中村晃子「虹色の湖」、久保田早紀「異邦人」などの懐メロ

あべ静江さんの1970年代のアイドル歌手・女優としての活躍、1970年代を代表する久保田早紀の楽曲「異邦人」、青春学園ドラマの主題歌だった「太陽がくれた季節」「帰らざる日のために」、小坂明子の楽曲「あなた」、石川さゆりの楽曲「津軽海峡・冬景色」、八代亜紀の楽曲「なみだ恋」「舟歌」、欧陽菲菲の楽曲「雨の御堂筋」「ラヴ・イズ・オーヴァー」、シモンズの楽曲「恋人もいないのに」「明治チェルシーの唄」、中村晃子の楽曲「虹色の湖」といった1970年代前後の懐メロを聞いて、当時の懐かしい思い出・青春時代にタイムトリップしてみましょう。

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八代亜紀の楽曲「なみだ恋」 - YouTube

『なみだ恋』(なみだごい)は、1973年に発売された、八代亜紀のシングルである。この曲の大ヒットで八代は一躍人気演歌歌手に躍り出る。

この曲で八代は1973年(昭和48年)の第15回日本レコード大賞で歌唱賞を受賞し、第24回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。なお、2000年(平成12年)の第51回でも同曲を歌っている。
当初は「雨のカフェテラス」がA面候補になっており、B面曲として用意されていた「なみだ恋」はレコーディングでほんの数回サラリと歌っただけだったが、最終的にはこちらがA面となり、大衆の支持を受けた。

なみだ恋
作詞: 悠木圭子、作曲: 鈴木淳、編曲: 小谷充
(出典:Wikipedia「なみだ恋」)

1979年には新境地を開拓した初の男歌「舟唄」が大ヒット

八代亜紀の楽曲「舟歌」 - YouTube

『舟唄』(ふなうた)は、1979年(昭和54年)5月25日に同日発売された、八代亜紀のシングルおよびアルバム(2枚組)の名称、および、両者に収録された表題曲である。以下、特に注記しない場合は表題曲を指す。

八代の代表曲のひとつ。1979年の発表当時のものは八代のハリのある高い声に合わせて曲の音程も高く、曲調も速めの3分57秒ほどで作られていたが、2000年以降発売されるCD等では八代の年齢による変化にあわせて当時のものより音程がひとつ低く、曲調も4分20秒ほどのスローテンポで再録されたものが中心となっている。

八代の歌としては初の男歌であり、テイチクとしてはこの年の日本レコード大賞を狙う目的で発表された。阿久悠作詞の本曲を初めて八代が聴いた時、最初のフレーズを聴いただけで「必ずヒットする」と直感したという。

本曲は元々、『スポーツニッポン』に連載していた「阿久悠の実践的作詞講座」の美空ひばり編の教材として作られたものであった。後に作曲家として起死回生を狙っていた浜圭介が曲を付け、八代が歌うことになった。

歌詞は「勇波節」ないしは(アンコの)「ダンチョネ節」からの本歌取をしている。八代が歌うことになった際、このダンチョネ節の部分の歌詞は書き改められた。ダンチョネ節は神奈川県の俗謡として花柳界で歌い慣わされていたもの。ダンチョネ節には様々な歌詞バージョンがあり、直接は特攻隊節やザ・ピーナッツ、小林旭のダンチョネ節と言葉廻しや世界観は近いが、作品や世界観は独自のものである。

1979年の第21回日本レコード大賞・第10回日本歌謡大賞にノミネートされたが日本レコード大賞は金賞、日本歌謡大賞は放送音楽賞止まりとなり、翌年「雨の慕情」で双方とも大賞受賞となる。発売当初の売上は当時の八代のシングルとしては低調だったが、発売年の紅白で八代が大トリで歌唱して後、年明けからは売れ行きが加速した。NHK『NHK紅白歌合戦』では3回歌唱されている。発売年の1979年第30回紅白の回では、八代が同曲で紅組トリおよび大トリを務めて番組を締め括った。
(出典:Wikipedia「舟唄」)

1980年に発表した「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞。

八代亜紀の楽曲「雨の慕情」(1980年4月25日) - YouTube

「雨の慕情」(あめのぼじょう)は、1980年に発売された、八代亜紀のシングルである。

シングルの総売上は「なみだ恋」に続き八代のシングルでは第2位を記録した。
TBS系列『ザ・ベストテン』では唯一の登場曲となった。
前年発表した八代の「舟唄」が男心を歌にしていることに対し、同じく作詞をした阿久悠が女心を歌にしたものとされる。

「舟唄」「港町絶唱」と合わせて哀憐三部作とされた。阿久によると、「舟唄」「雨の慕情」と徐々に評判を高めていき、最終的に「港町絶唱」で日本レコード大賞を狙うつもりであったようである。だが、結果的には「雨の慕情」が予想以上の大健闘を見せ、多くの音楽賞を受賞することとなった。

2009年、永井龍雲がカバーした(アルバム『歌鬼2〜阿久悠 vs. フォーク〜』に収録)。
1983年にサンリツ電気からリリースされたアーケードゲーム『四人打ち麻雀・ジャントツ』ではBGMにこの楽曲をアレンジした演奏が採用された(このゲームのゲームセンター向け広告チラシやポスターにも八代が起用されている)。
(出典:Wikipedia「雨の慕情」)

欧陽菲菲

欧陽菲菲

欧陽菲菲

欧陽菲菲(オウヤン フイフイ、オーヤン・フィーフィー、中国語読み:オウヤン・フェイフェイ (Ōuyáng Fēifēi) 本名:式場欧陽菲菲、旧名:同じ、1949年9月10日 - )は、台湾出身の歌手。過去に渡辺プロダクションに所属していた。

1967年に台北市にあるレストラン・シアター「中央酒店」で歌手デビューした。その後日本のプロダクションより日本での歌手活動が打診されたが、本国での人気をご破算にしての日本行きに周囲は難色を示した。

しかしその後観光ビザで来日し、1971年9月に「雨の御堂筋」で日本デビュー。同曲がオリコンセールス:79万枚、売上約136万枚の大ヒットになり一躍人気歌手の座に駆け上がり、同年の第13回日本レコード大賞で新人賞を受賞。翌1972年には「第23回NHK紅白歌合戦」に在日外国人・日系人やグループを除く外国人ソロ歌手として初めての出場を果たした。

その後も活躍を続け、1983年から1984年にかけての「ラヴ・イズ・オーヴァー」のロングセラーなど、数々のヒット曲を飛ばしたことや、その気さくな人柄や片言の日本語で日本の音楽番組のみならず、バラエティ番組でも人気が高い。ソウルフルな歌唱が日本や台湾だけでなく、アジア各地でも高い人気を誇る。
近年は日本と台湾の両国をベースに活躍し、1999年の台湾921大地震やエイズに関するチャリティーコンサートを開き、多くの国民から称賛されるなど、現在も台湾を代表する国民的人気歌手の一人である。
(出典:Wikipedia「欧陽菲菲」)

1971年9月に「雨の御堂筋」で日本デビュー。同曲がオリコンセールス:79万枚、売上約136万枚の大ヒットになり一躍人気歌手の座に駆け上がる

歐陽菲菲の楽曲「雨の御堂筋」 - YouTube

雨の御堂筋 (1971.9.5)
作詞:林春生/作曲:ザ・ベンチャーズ/編曲:川口真

「ラヴ・イズ・オーヴァー」のロングセラーなど、数々のヒット曲を飛ばした

歐陽菲菲の楽曲「ラヴ・イズ・オーヴァー(LOVE IS OVER)」 - YouTube

「ラヴ・イズ・オーヴァー」(LOVE IS OVER)は、台湾出身の歌手、欧陽菲菲のシングルである。日本における欧陽菲菲の代表曲の一つ。

作詞・作曲:伊藤薫 編曲:川上了(1979年/1980年盤)、若草恵(1982年/1983年盤)
元は1979年7月1日発売の「うわさのディスコ・クィーン」(ポリドール DR6337)のB面曲だった。しかし「うわさのディスコ・クィーン」は中国語バージョンが台湾や香港でヒットしたものの、当時日本国内では2〜3万枚の売上に終わった。

日本で「うわさのディスコ・クィーン」が不発に終わった後も、欧陽菲菲は「ラヴ・イズ・オーヴァー」を歌い続け、口コミで評判が広まっていった。

「ラヴ・イズ・オーヴァー」は、1980年7月にA面曲として発売。1982年9月1日にアレンジを変更した音源がA面曲として発売(ポリドール 7DX-1189)され、さらに1983年5月にはジャケットを変更して発売した。

1983年7月にオリコンチャート入りを果たし、12月には2週連続で1位を獲得。52.2万枚のセールスを記録し、翌1984年度のオリコン年間ランキングは18位を獲得した。
1983年には内藤やす子ややしきたかじんなど多くの歌手にカバーされ、競作となった(#カバー参照)。

1991年末の『第42回NHK紅白歌合戦』で、欧陽自身18年ぶり3度目の紅白歌合戦出演時に歌唱披露された。
大人の恋の終わりを表現しており、歌詞もややきわどい内容があるが欧陽菲菲は「当時はあまり日本語も下手で歌詞の内容を理解していなかったが、後に詳細を知って恥ずかしかった」と語っている。

ラヴ・イズ・オーヴァー (1980.7)
作詞:伊藤薫/作曲:伊藤薫/編曲:若草恵
(出典:Wikipedia「ラヴ・イズ・オーヴァー」)

シモンズ (歌手・田中ユミ、玉井タエの女性デュオ)

シモンズ (歌手・田中ユミ、玉井タエの女性デュオ)

シモンズ (歌手・田中ユミ、玉井タエの女性デュオ)

シモンズは田中ユミ、玉井タエの女性デュオである。ともに大阪府出身で、いわゆる関西フォーク系に属する。
シモンズの名前は二人がファンであった「サイモン&ガーファンクル」のサイモン(Simon)をローマ字読みしたもの。

二人は高校時代からベッツィ&クリスのカバーなどを歌ってライブ活動をしていた。毎日放送ラジオの『ヤングタウン』のオーディションで合格。高校卒業後に上京しRCAレコードから「恋人もいないのに」でデビュー。

デビュー曲は「あの素晴しい愛をもう一度」になる予定であったが、この曲は北山修と加藤和彦が唄うことに決まったため、急遽「恋人もいないのに」になった。この曲は60万枚を超える大ヒットとなった。しかし人気絶頂の1974年、玉井タエの後藤次利との結婚を期に休止した。
1978年にテレビドラマ主題歌を歌うことによりに一時的に活動を再開するも、翌年の玉井タエの離婚により本格的に解散した。

100曲を超えるCM曲をうたっている。なかでも明治製菓(現・明治)のチェルシーのCMソングは有名である。

1996年、田中ユミは元ジャネッツの青木まり子(現五つの赤い風船)と新シモンズを結成した。1999年に解散するが、2006年などに度々再結成を行っており、2006年の8月に公式ホームページが開設された。

2009年7月25日、大阪府の守口文化センター(エナジーホール)にて、玉井タエを迎えて田中ユミのコンサートが開催された。 シモンズ結成40周年記念として、解散以来初のデュエットが蘇ることとなった。
2014年10月2日、田中ユミが テレビ東京「名曲ベストヒット歌謡」にゲスト出演した。
(出典:Wikipedia「シモンズ (歌手)」)

デビュー曲「恋人もいないのに」になった。この曲は60万枚を超える大ヒットとなった。

シモンズの楽曲「恋人もいないのに」フルバージョン 歌詞付き.flv - YouTube

恋人もいないのに(作詞:落合武司、作曲:西岡たかし、編曲:葵まさひこ) 1971.08.05
c/w おとずれる愛に(作詞・作曲:瀬尾一三、編曲:ボブ佐久間)
同楽曲で第13回日本レコード大賞新人賞を受賞。

シモンズは100曲を超えるCM曲をうたっている。なかでも明治製菓(現・明治)のチェルシーのCMソングは有名である。

シモンズの楽曲「明治チェルシーの唄」 Hi-Fi Sound (STEREO) - YouTube

シモンズは100曲を超えるCM曲をうたっている。なかでも明治製菓(現・明治)のチェルシーのCMソングは有名である。

『チェルシーの唄』(チェルシーのうた)は、1971年に発表された明治製菓の名物商品「チェルシー」(現在は株式会社明治から発売)のコマーシャルソング。作詞は安井かずみ、作曲は小林亜星。オリジナルアーティストはシモンズ。
一時期は「手のひらの愛」というタイトルでも呼ばれていた。
(出典:Wikipedia「チェルシーの唄」)

加藤和彦と北山修の楽曲「あの素晴しい愛をもう一度」(1971年4月5日)

加藤和彦と北山修の楽曲「あの素晴しい愛をもう一度」(1971年4月5日) - YouTube

「あの素晴しい愛をもう一度」(あのすばらしいあいをもういちど)とは、北山修が作詞、加藤和彦が作曲し2人の連名で発表した歌曲。1971年4月5日にレコード発売。1994年3月30日にはCDシングルも発売されている。「あの素晴らしい愛をもう一度」と誤って表記されることが多い。2002年のザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)新結成のときも「素晴しい」とクレジットされた。
(出典:Wikipedia「あの素晴しい愛をもう一度」)

岸洋子の代表曲の一つ「夜明けのうた」(1964年)

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