1973年9月25日の『みずいろの手紙』も続けてヒット、翌1974年12月31日には、当曲で『第25回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。
あべ静江の楽曲「みずいろの手紙」1974年末の『第25回NHK紅白歌合戦』より - YouTube
1975年 映画「トラック野郎・爆走一番星」 (東映) - 高見沢瑛子(マドンナ役)(演:あべ静江)
1975年 トラック野郎・爆走一番星 (東映) - 高見沢瑛子(マドンナ役)(演:あべ静江)
満艦飾のトラックが日本全国津々浦々駆け巡り、主人公・一番星こと星桃次郎に菅原文太、相棒・やもめのジョナサンこと松下金造に愛川欽也、マドンナ・高見沢瑛子にあべ静江、ライバル・ボルサリーノ2に田中邦衛が扮して巻き起こす「トラック野郎シリーズ」第2弾。
1976年(昭和51年)の正月作品として公開された。『爆走一番星』は当時の東映社長・岡田茂による命名。
7億7700万円の配給収入を記録、1976年の邦画配給収入ランキングの第7位となった。
(出典:Wikipedia「トラック野郎・爆走一番星」)
菅原文太・愛川欽也の楽曲「一番星ブルース」 - YouTube
『トラック野郎』(トラックやろう)は、1975年から1979年にかけて東映の製作・配給で公開された、日本映画のシリーズ。全10作。
本シリーズの大ヒットにより、車体を電飾で飾り、ペイントを施して走るアートトラック(デコトラ)が増加した。また、菅原文太演ずる本シリーズの主人公・星桃次郎が乗るトラック「一番星号」を模したプラモデルが子供たちの間にも大ヒットする等、映画の枠を超えた社会現象となった。
一番星ブルース
唄:菅原文太・愛川欽也、作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)
全10作中、『一番星北へ帰る』を除いた9作で使用された。
(出典:Wikipedia「トラック野郎」)
2011年の新年会:あべ静江さん・南沙織さん・麻丘めぐみさん・浅田美代子さん
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南沙織の歌手デビュー・シングル「17才」(1971年6月1日発売)- YouTube
アイドル歌手・南沙織の歌手デビュー曲である。デビューへ向けたプロジェクトの中で南と作曲者の筒美京平が初めて顔を合わせた際、筒美から「何が歌えるの?」と聞かれた南が、リン・アンダーソン(Lynn Anderson)の「ローズ・ガーデン(Rose Garden)」だけ歌える、と答え、これが元になって筒美は「17才」を書いたという。
デビュー曲ながら、本楽曲はオリコンの上位にランクインするヒットとなった。また、この曲のヒットは、歌い手と同世代のファンが感情移入できる、新しいタイプのアイドル・ポップス誕生の瞬間であったと語られることがある。いわゆる "女性ヤングアイドル" の基礎を築いたのが南沙織や同期歌手の小柳ルミ子・天地真理であったと語られる機会も多い。
レコード・ジャケットでは、蟹の絵がプリントされているシャツを着ているが、これは南自身が7月2日生まれの蟹座であることに由来する。本シングル盤発売時のキャンペーンでは、蟹のマークのシールが配布されていた。また、2006年6月14日発売のデビュー35周年CD-BOX『Cynthia Premium』では、BOXに同様の蟹座のマスコット模様が施してあった。
順調にヒットを記録した結果、1971年の年末には第13回日本レコード大賞新人賞・日本歌謡大賞放送音楽新人賞・新宿音楽祭金賞など様々な賞を受賞したほか、NHKの『第22回NHK紅白歌合戦』にデビューからわずか半年で出場歌手に選ばれ、紅組のトップバッターを務めた。その映像は、上記『Cynthia Premium』に収められたDVDでも見ることが出来る。
作詞者の有馬三恵子によると、歌詞の冒頭に出てくる「誰もいない海」の舞台は、山口県防府市・瀬戸内海の富海。当時、有馬は既に40歳前後だったため、この曲がヒットしたときは周りから「40歳になってよくあのような詞が書けたね」と、半分呆れられるかように誉められたという。
この曲のヒット以降、歌詞や作品名に「17才」が登場するアイドル歌謡曲が多く生まれた。
(出典:Wikipedia「17才 (南沙織の曲)」)
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麻丘めぐみの通算5枚目のシングル「わたしの彼は左きき」(1973年7月5日発売) - YouTube
南沙織や天地真理・小柳ルミ子ら三人娘(三代目・三人娘)とともに "元祖女性アイドル" と語られる機会もある麻丘めぐみの5枚目。おとぎ話に出てくる「乙姫様」のようなヘアスタイル(姫カット)や、曲中の「左きき」の歌詞のところで、顔の横で左の手のひらと甲を回転させる振り付けを披露した。
麻丘本人は右利きだが、曲の宣伝の際には、左手でサインをしたり、食事の時左手で箸を持つなどしていた。
本作がリリースされた当時、巷間では左利きに対する差別意識が若干残っていたこともあり、麻丘自身は「このタイトルでいいのだろうか?」と戸惑ったという。しかし、歌詞の内容自体は、左利きの人間を差別したり忌避したりするものではなく、むしろ本作のヒットがきっかけで、左利き用品が多数販売されるなど左利きが市民権を得たとも言われている。
売上枚数は総計50万枚以上。オリコンチャートで唯一の1位獲得曲(8月27日 - 9月3日付)であり、麻丘の代表作として広く知られている。また、この曲で『第24回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。後年、「舞台袖で、歌う前にいしだあゆみさんが優しく声をかけてくれたのが嬉しかった」と懐古している。
レコーディングメンバーとしてギターを担当しているのは高中正義。
(出典:Wikipedia「わたしの彼は左きき」)
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中村晃子
中村晃子
1963年、高校在学中に第2回ミス・エールフランスコンテストの準ミスに入選したことがきっかけで、松竹へ入社して銀幕デビューを果たす。多数の映画に出演し、1965年~1966年は田村正和とコンビで売り出すも、互いに芽が出ずパッとしない存在だったが、その後同年『望郷と掟』続く『炎と掟』では安藤昇の相手役に抜擢されラブシーンを演じた。当時はカーマニアでオペルやプリンス、フォルクスワーゲン・カルマンギアなどを乗り継いだ。
1965年に『青い落葉』にてレコードデビュー。1967年に『虹色の湖』をリリース。グループサウンズ全盛の時期にあって、女性ソロ・シンガーとして80万枚を売り上げるヒットになった。続く1968年には『砂の十字架』もヒットを記録した。
1968年、『虹色の湖』で第19回NHK紅白歌合戦に初出場。ドラマ「可愛い魔女ジニー」の声優も担当した。1973年にはカバー曲『あまい囁き』が大ヒットする。1980年『恋の綱わたり』(TBS系ドラマ『離婚ともだち』挿入歌)も30万枚を超えるヒットとなり、『ザ・ベストテン』にもランクインした。
女優としては千葉真一主演のテレビドラマ『影の軍団III』にレギュラー出演し、時代劇にも活躍の場を広げた。
(出典:Wikipedia「中村晃子」)
累計売上は約26.4万枚を記録。デビュー作である前シングルの「コーヒーショップで」に次ぐヒットとなった。
翌1974年末の『第25回NHK紅白歌合戦』に、表題曲で初出場を果たした。なおこの時は、冒頭のセリフを本来「お元気ですか? そして今でも愛していると、言って下さいますか?」というところを「全国の皆様、お元気ですか? そして今年も紅組が勝つと、言って下さいますね?」とアレンジして歌われた。また、ギター伴奏は、フランス出身のギタリストであるクロード・チアリが特別ゲストとして担当した。
みずいろの手紙
作詞:阿久悠 作曲・編曲:三木たかし
(出典:Wikipedia「みずいろの手紙」)