懐かしい電子ゲーム:LSIゲームとLCDゲームを振り返ります。クレイジークライミング・平安京エイリアン・パクパクマン・ドラキュラハウス・モンスターパニック他 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1978年以降、バンダイの『ミサイルベーダー』やエポック社の『デジコムベーダー』、学研の『インベーダー』、バンダイの『クレイジークライミング』(クレイジー・クライマーのライセンス作品)、トミーの『パックマン』、学研の『平安京エイリアン』など様々な製品が登場しました。また任天堂ゲーム&ウォッチは一大ブームとなりました。懐かしい電子ゲームを画像と動画で振り返ります。
1980年:ルービックキューブ大流行
via line.blogimg.jp
1980年4月28日 携帯型液晶ゲーム機『ゲーム&ウオッチ』(任天堂)
via ja.wikipedia.org
ゲーム&ウオッチ・マルチスクリーン (ドンキーコング)
発売初期のテレビCMは、「いつでもゲームウオッチ、どこでもゲームウオッチ」というCMソングに合わせて商品で遊ぶ場面やゲーム画面が映し出され、最後に「マイクロコンピューターを使ったゲームウオッチ。ゲームをしない時はデジタル式クォーツ時計です」のナレーションが入るというものだった。
1983年にファミリーコンピュータが発売された事を境にブームは移行し、1985年2月発売の「ブラックジャック」を最後に日本での発売は終了した。
1983年にファミリーコンピュータが発売された事を境にブームは移行し、1985年2月発売の「ブラックジャック」を最後に日本での発売は終了した。
via ja.wikipedia.org
1980年7月:「1/144ガンダム」発売・1981年:空前絶後の機動戦士ガンダム「ガンプラ」ブーム(バンダイ模型)
1/144ガンダム(1980年7月)
ガンプラブーム時期は、入荷した日でガンプラはすべて売切れてしまう。
入荷日以外ではガンプラが買えない。どこの店も売り切れ。
入荷日に必死で並ばないと何も買えない。
人気のモデルは並んでもなかなか買えない。
このようなガンプラブームのようなことは、二度と起こらなさそうですね。
入荷日以外ではガンプラが買えない。どこの店も売り切れ。
入荷日に必死で並ばないと何も買えない。
人気のモデルは並んでもなかなか買えない。
このようなガンプラブームのようなことは、二度と起こらなさそうですね。
via bandai-hobby.net
「ガンプラ(ガンダムのプラモデル)」の歴史:ガンダムシリーズ・グレード別・スケール別・エポックメイキングなモデルで概観するガンダムシリーズとプラモデルの歴史 - Middle Edge(ミドルエッジ)
ガンプラの歴史は、1980年7月19日の「1/144 ガンダム」発売から始まります。以降、ガンプラは進化し続け、多様なシリーズの商品が生まれ、35年におよぶ、プラモデル至上最大のヒットとなっています。ガンプラの歴史を1980年からエポックメイキングな商品やシリーズ(機動戦士ガンダム・機動戦士Zガンダムほか)やグレード(HGUC・MG・PG・RG)を基点にして振り返っていきましょう。
1980年12月・1981年(昭和56年) タカラ「チョロQ」登場
via www11.atpages.jp
1983年(昭和58年)7月15日 家庭用ゲーム機『ファミリーコンピュータ』(任天堂)
家庭用ゲーム機『ファミリーコンピュータ』(1983年7月15日・任天堂)
ファミリーコンピュータ (Family Computer) は、昭和58年(1983年)7月15日に任天堂より発売された家庭用ゲーム機。メーカー希望小売価格は14,800円。型番はHVC-001。HVCはHome Video Computerの略である。日本国内での略称・略記はファミコン・FC。平成25年(2013年)7月15日に発売30周年を迎えた。
日本国外では“Nintendo Entertainment System”(略称:NES)として発売されている。
ゲーム&ウオッチの事業を成功させた任天堂が、その利益を投入して開発した家庭用ゲーム機である。当時アーケードゲームで人気を博していたドンキーコングが見劣りなく家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して開発された。
日本国外では“Nintendo Entertainment System”(略称:NES)として発売されている。
ゲーム&ウオッチの事業を成功させた任天堂が、その利益を投入して開発した家庭用ゲーム機である。当時アーケードゲームで人気を博していたドンキーコングが見劣りなく家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して開発された。
via ja.wikipedia.org
第1作は1980年4月28日発売の「ボール」。タイトルにはスヌーピー、ミッキーマウス、ポパイなど他社の人気キャラクターを採用したものもあった。手元で遊べる手軽さが受けて社会現象にもなり、日本での売り上げ総数は1287万個、日本国外では3053万個で、合計4340万個。
当時の任天堂が抱えていた70億円近くもの莫大な借金を完済し、それでも40億円程の黒字がでるほどの大ヒットを記録、高収益を得る優良企業へと転身を果たしただけでなく、その黒字をファミリーコンピュータの開発に投資したことでも知られる。
任天堂のテレビゲーム路線のきっかけを作ったゲームとも言え、任天堂の出石武宏や上村雅之らは度々「ゲーム&ウオッチは任天堂のゲームの原点」という発言をしている。