歴代の笑点司会者の経歴をプレイバック
2016年6月16日 更新

歴代の笑点司会者の経歴をプレイバック

放送開始から50年も経つ今も、視聴率が20%を超える日曜夕方の定番番組「笑点」。テレビは見ないけど、笑点だけは習慣で見る!なんて人も多いのではないでしょうか。50年を機に、司会者が春風亭昇太に変わりましたが、今までで6名変わっています。歴代司会者から笑点をプレイバックしていきましょう。

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約23年に渡り、笑点の司会を務め、創成期から出演している歌丸とともに笑点の顔。ミドルエッジ世代では、この人の司会が一番記憶に残っているのではないでしょうか?
芸に厳しいことで知られ、好楽などはあまりにも激しいダメ出しで、泣きながら逃げようとしたことも。
5代目三遊亭 圓楽(さんゆうてい えんらく、1932年12月29日 (戸籍上は1933年1月3日) - 2009年10月29日[1])は、東京府東京市浅草区(現:東京都台東区)出身の落語家。本名、吉河 寛海(よしかわ ひろうみ)。

落語円楽党党首、『笑点』司会者(第4代)、円楽一門会総帥、円楽一門会最高顧問などを歴任した。

桂歌丸や林家こん平とともに前身番組の『金曜夜席』(日本テレビ)時代から出演しているメンバーである。1977年(昭和52年)3月27日、落語に専念するため番組を卒業したが、1982年(昭和57年)12月8日に当時の司会であった三波伸介の急死に伴い、1983年(昭和58年)1月9日から司会者として番組に復帰した。しかし当人は、2回限りの臨時司会のつもりで引き受けたという(そのためか司会就任後しばらくはさまざまな紋付を着ており、徐々に紺の色紋付に定着する)。

就任してからしばらくは、答えの合間にその博識を生かした都々逸をしばしば披露したり、40分時代の初期には落語に専念していた時代に学んだ知識を生かして「よろずガイダンス」というコーナーで落語にまつわる話を披露するなどしていたが、徐々に出題、指名、座布団の差配など最小限の仕事に絞られていく。これは放送時間の短縮に加え、三波が司会をしていたころの司会者の強烈なキャラクターを柱とした番組から[6]、スピーディーにやり取りする中でメンバーのキャラクターにクローズアップし、司会者だけでなくメンバー全員を主役とするという新しいスタイルに移行した結果である。司会就任後しばらくは視聴率面で苦戦を続けたものの、こうした番組作りの変化が功を奏し、次第にかつてのような人気番組の地位を取り戻していった。

面長な容姿から「馬」呼ばわりされたり、若竹を潰した・小言が長いなどとネタにされたり、回答者の家族の悪口や(歌丸の妻・冨士子夫人など)下ネタを織り交ぜた回答をすると爆笑しつつも容赦なく座布団を没収していた。回答者(主にこん平及び弟子のたい平)による座布団運びの山田隆夫罵倒ネタの際には、山田の判断に一任したり、彼を擁護する発言をすることも多かった。

笑点 罵倒集 神回 - YouTube

5代目 桂歌丸(2006年5月21~2016年5月22日)

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5代目圓楽とともに、長年笑点を支えてきた笑点の顔!惜しまれつつ2016年5月に司会者を引退しましたが、今も終身名誉司会者となっています。
5代目圓楽の歌丸死にぞこないネタはもやは鉄板。
桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14日 - )は、日本の落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。

神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)の出身・在住。定紋は『丸に横木瓜』。血液型はA型。横浜市立横浜商業高等学校定時制中退。

前身番組の『金曜夜席』第1回から出演。『笑点』になった後も、降板していた1969年(昭和44年)4月6日から11月2日まで、および腰部脊柱管狭窄症の手術・療養のため休んだ2008年(平成20年)6月29日・7月6日、および肺炎に伴う入院が長引いたことに伴う休演となった2010年(平成22年)3月7日・3月14日、肋骨骨折他で休演した2014年(平成26年)5月11日〜6月1日、インフルエンザによる休養で休演した2015年(平成27年)1月25日・2月1日、手術後の体調不良で休演した同年7月12日〜9月6日を除き、出演を続けていた。

笑点大喜利 歌丸vs円楽 - YouTube

6代目 春風亭昇太(2016年5月14日~現在)

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歌丸勇退後の司会者ですが、本命6代目圓楽と言われ、タモリやビートたけしなどの外部招へいの噂もあったものの、意外な春風亭昇太となり、将来を見越した若手の起用と話題となりました。
春風亭 昇太(しゅんぷうてい しょうた、本名:田ノ下 雄二(たのした ゆうじ)、1959年12月9日 - )は、静岡県静岡市清水区(旧・清水市)出身の落語家。5代目春風亭柳昇の弟子。大師匠は「春風亭の先生」こと6代目春風亭柳橋。前座名は、春風亭 昇八。愛称は「ちび師匠」。落語芸術協会に所属。現在同協会理事。

演芸コーナーで若手大喜利を放送していた頃には大喜利メンバーの1人として出演していたことがあり、1990年代後半に入ってからは大喜利下剋上(若手大喜利)の司会を務めるようになった(『BS笑点』→『笑点Jr.』での総合司会につながる)。

大喜利メンバーの新加入年齢では、4代目三遊亭金馬の41歳を抜いて歴代最高齢である(46歳)。また1988年に三遊亭好楽が復帰して以来長らくメンバーはほぼ不変(林家こん平の病気によってその弟子の林家たい平が代理出演していた時期もあった)であったが、その三遊亭好楽以来18年ぶりとなる新メンバーとなった(同時に林家たい平も正式に新メンバーとなった)。

5代目三遊亭圓楽とは1999年1月1日放送の師弟大喜利で昇太が司会者で5代目三遊亭圓楽と三遊亭洋楽が師弟で回答者、林家こん平とは同師弟大喜利で林家こん平と林家たい平が師弟で回答者として出演して共演している。

こん平とは2009年11月8日の5代目圓楽追悼特番「ありがとう圓楽さん」で共演(こん平が杖を突いて出演)したことがある。5代目圓楽追悼特番では師弟大喜利で故5代目圓楽と昇太が笑点で共演で絡んだことがあったことや、5代目圓楽が弟子を思うばかりに小言を言ってしまう素晴らしい師匠だった旨などが紹介された。

加入して日が浅い頃には奇をてらうことのない答えが多く、答えた後に会場が一瞬沈黙状態になることもあった。喋る途中で呂律が回らない、舌を噛むという師匠柳昇と同様の欠点があり、「カミカミ王子」を自虐ネタとしている。歌丸司会時代では座布団10枚を4回経験している一方で、6代目円楽(前名楽太郎)が率いるブラック団の一員として団長の6代目円楽以上に毒のきつい歌丸罵倒ネタを時折言い放つこともあることから、「一度の座布団剥奪の最高記録(9枚)」という不名誉な記録も持っている(5代目司会者の歌丸も回答者時代に経験あり)。

兄弟番組の『笑点Jr.』では、『BS笑点』としてスタートしてから放送終了に至るまで総合司会を務め、ハキハキと取り仕切る様が映る。大喜利でも司会を務めるが威厳を敢然と振りかざすには至らず、メンバーに振り回される様子もしばしば映る。本家『笑点』の大喜利でも代理司会を務めたことがあるが、たい平以外のメンバー全員が先輩だったことから『Jr.』に輪をかけて振り回されていた。

2016年5月22日、桂歌丸の司会引退に伴い6代目司会に抜擢された。その起用理由はプロデューサーから「消去法」と冗談めかして語られた。

笑点 新メンバー発表SP・番組冒頭あいさつ (2016年5月) - YouTube

いかがでしたでしょうか?やはり今も昔も笑点は、日本の日曜夕方の心ですよね。今後もずっと、微笑ましい笑いを届け続けて欲しいです。
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