司葉子は東宝の看板女優として活躍
三田佳子:1977年5月 - 1978年3月(木曜日)
三田佳子:1977年5月 - 1978年3月(木曜日)
3時のあなた(1977年5月 - 1978年3月、フジテレビ)
中学・高校時代から多数のテレビに出演。高校在学中から映画会社数社にスカウトされるが断り続け、高校を卒業した1960年春に第二東映へ入社した。同年、『殺られてたまるか』で女優デビュー。当初から主役級で起用され、佐久間良子に次ぐ東映現代劇の看板女優との扱いを受ける。1967年に東映を退社しフリーとなり、テレビと舞台を中心に活動した。
三田佳子のシングル「おあねぇさん」(1981年、東芝)
作詞:花登筺 / 作曲:小川寛興 / 編曲:小川寛興
フジテレビ系テレビドラマ「おあねえさん」挿入歌
(c/w 北陸の女)
坪内ミキ子:1977年5月 - 1978年3月(金曜日)と1978年4月 - 1980年3月(水曜日・木曜日)
坪内ミキ子は早稲田大学卒業の女優であることから、「学士女優」と呼ばれて、時代劇女優として人気を集める。インテリ女優・タレントの元祖的な存在。
「座頭市」「若親分」「悪名」などの各シリーズをはじめ、「影を斬る」「江戸無情」「巨人大隈重信」など30数本の映画に出演。
坪内ミキ子:1977年5月 - 1978年3月(金曜日)と1978年4月 - 1980年3月(水曜日・木曜日)
また、実母・雲井浪子を介護した経験を基にして、介護問題にも取り組んでいる。
中村メイコ:1978年4月 - 1979年3月(金曜日)
中村メイコ:1978年4月 - 1979年3月(金曜日)
東京府(現・東京都)出身。2歳の時にP.C.L映画製作所(現・東宝)制作の『江戸っ子健ちゃん』に出演し、映画デビューする。その後、映画やラジオに多数出演、複数の配役をこなす7色の声として有名となった。
天才子役としてデビューして以来、榎本健一や古川ロッパ、徳川夢声、柳家金語楼、森繁久彌らと共演した。幼い頃、菊池寛と会食している。
NHKにはテレビ本放送開始以前のラジオ時代から出演。テレビ放送においては、1940年に開催が予定されていた東京オリンピックに先立つ実験放送の頃から出演し、黒柳徹子と並んで日本のテレビ放送黎明期を語る上で欠かせない存在となっている。
対談:美空ひばり・中村メイコ - YouTube
加茂さくら:1979年4月 - 1980年3月(金曜日)
加茂さくら:1979年4月 - 1980年3月(金曜日)
1955年に宝塚歌劇団に花組公演『春の踊り[2]』で入団。宝塚入団時の成績は36人中20位。42期生。1956年、花組配属。1961年から1968年まで主に主演娘役として(主に雪組の明石照子や眞帆志ぶきの相手役)、声楽専科組替えを経て1971年に退団するまで活躍した。さくらの宝塚歌劇入団は、実母が歌劇団のファンだったという影響からだった
退団後は、女優としてテレビドラマや映画で活動している。
うつみ宮土理:1980年4月 - 1988年3月(水曜日)
うつみ司会時代に、『あの人は今!?』(日本テレビ系列)のような企画を組んでいた時期があったが、「『あの栄光の日々を今はどう思われますか?』などという失礼な質問ばかりしてしまったために出てくれる方がいなくなり、その企画は3回位で消滅してしまった(うつみ談)」という。