砂原良徳
1969年9月13日生まれ。北海道札幌市豊平区出身。北海高等学校卒業。
愛称は「まりん」。
テクノミュージシャン、音楽プロデューサー。担当楽器はキーボード、プログラミング。
愛称は「まりん」。
テクノミュージシャン、音楽プロデューサー。担当楽器はキーボード、プログラミング。
via www.cinra.net
1991年から1999年まで電気グルーヴのメンバーとして活動。
2013年現在はプライベートスタジオ「Y.Sunahara's STUDIO」(YSST)を設け、活動の拠点としている。
2013年現在はプライベートスタジオ「Y.Sunahara's STUDIO」(YSST)を設け、活動の拠点としている。
via img.discogs.com
YMOで音楽に目覚め、1991年に電気グルーヴへ加入!
小学4年の時、地元のロボット展示会で耳にしたYMOの『中国女』が、自らの音楽的な出発点という。
中学生でシンセサイザーを始め、YMOやクラフトワークなどの、テクノポップ・ニューウェーブの影響を強く受ける。メガドライブ版ゲームソフトギャラクシーフォースの音楽担当や自らのバンド「オーティズム」、1991年には平沢進のコンサートツアー「ヴァーチュアル・ラビット・ツアー」でのサポートメンバーを経て、1991年かねてから交流のあった石野卓球に渡したデモテープがきっかけとなり、CMJK脱退後の電気グルーヴのメンバーとして同年夏に加入。
8年間の活動後、フランスで開催された音楽ビジネスの国際見本市“MIDEM”でのライヴを最後に1999年4月2日付で正式に脱退。
via tower.jp
改名?
電気グルーヴに加入した当初の名義は「良徳砂原(よしとく すなはら)」表記を使用していたが、1994年の電気グルーヴのアルバム『DRAGON』以降は「砂原良徳」表記になっている。
これに関しては特に改名の意向が示されたわけでもなく、レコード会社との契約上は当初より「砂原良徳」であった。1995年のソロデビュー作『CROSSOVER』がテクノ以外の多方面でも広く話題を集めた結果、単に人気バンドメンバーのソロ作という枠を超え、本名での知名度も広まっていくこととなった。
電気グルーヴ脱退後、石野卓球からは批判!?
1999年に音楽性のズレと病気療養の為に電気グルーヴを脱退。以降「ノイローゼがこじれた」「多額の借金を抱えていたので飛んでもらった」「惜しい人を亡くしたね」「でもまりん死んじゃったからなあ」等、卓球や瀧には散々な言われようだが決して喧嘩別れではない。
via i1.wp.com
脱退後もサポートメンバーで電気グルーヴに参加!
電気グルーヴのメンバーとして作品への参加は、最大のヒット曲『Shangri-La』を含む『A(エース)』までとなるが、2001年に発売された電気グルーヴのアルバム『The Last Supper』や、2005年に発売された電気グルーヴ×スチャダラパーのアルバム『電気グルーヴとかスチャダラパー』では砂原もサポートとして参加しており、脱退したとはいえ電気グルーヴとの交流は盛んである。
DENKI GROOVE - shangri-la
via www.youtube.com
Denki Groove - Wicked Jumper (HD)
via www.youtube.com