ビアホフ!EURO96決勝のゴールで一躍スターへ!191cmのジャーマンタワー!
2017年5月14日 更新

ビアホフ!EURO96決勝のゴールで一躍スターへ!191cmのジャーマンタワー!

ビアホフのニックネームは「ジャーマンタワー」。強烈かつコースを狙ったヘディングで得点を重ねた。90年代にドイツ代表やACミランで活躍した。

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大きな身体を生かしたヘディングが得意だったビアホフ

オリバー・ビアホフ。サッカードイツ代表。
1968年5月1日生まれ。カールスルーエ出身。

ニックネームは「ジャーマンタワー」、「ゴールデンボーイ」。
強烈かつコースを狙ったヘディングで得点を重ねた。
ビアホフ

ビアホフ

【個人データ】
身長:191cm
体重:90kg
ポジション:FW
利き足:右足

ビアホフの経歴

1986年、バイエル・ユルディンゲンでキャリアをスタート。その後西ドイツやオーストリアのクラブに移籍。
1990年からのシーズン、SVザルツブルクで32試合に出場し、23得点の成績を残した。1991年にセリエB・アスコリに移籍し得点を重ねた。

その活躍が認められて1995年に、後に日本代表監督を務めることになるアルベルト・ザッケローニ率いるウディネーゼへ移籍。

また、ドイツ代表にも選抜され、1996年2月21日のポルトガル戦でデビューを飾った。
ウディネーゼ時代のザッケローニ監督

ウディネーゼ時代のザッケローニ監督

ウディネーゼ時代の1997年シーズンに、27得点を挙げ、その後ビッグクラブACミランへと移籍する。ここでACミランの監督にキャリアアップしていたザッケローニの下で再び働くことになった。

この移籍は、90年代前半の黄金期と比べ、成績が低迷していたACミランにとっても、ビアホフ本人にとっても非常に大きな意味を持っていく。
ACミラン時代のビアホフ

ACミラン時代のビアホフ

入団後、FWの一角として活躍し、移籍1年目に20得点を挙げた。チームは序盤こそ苦戦していたが、なんとか上位に食らいつき、終盤に勝ち点を逆転しスクデッド(優勝)を獲得した。ビアホフはその後もチームに数々のタイトルをもたらす活躍をしていく。

しかし、後にバロンドールを受賞するアンドレイ・シェフチェンコの加入で出場機会が減り、2001年にリーグ・アン・モナコへ移籍。翌年セリエAのキエーボへ移籍した後、現役を引退した。

2002年の日韓W杯では、ドイツ代表に選ばれ、来日しており、サウジアラビア戦でゴールも決めている。横浜で行われたブラジルとの決勝戦での途中出場が、ドイツ代表としての最後の出場となった(W杯以降、代表引退セレモニーあり)。
2600万ユーロもの移籍金でACミランに加入したシェフ...

2600万ユーロもの移籍金でACミランに加入したシェフチェンコ

背番号「20」と同じ得点数を挙げた!

背番号「20」と同じ得点数を挙げた!

EURO96(UEFA欧州選手権)の決勝で決勝点を挙げ、一躍スターへ!!

彼の運命を変えるビッグトーナメントが1996年にイングランドで行われる。ドイツ代表監督ベルティ・フォクツの夫人の提言もあり欧州選手権のメンバーに選ばれたビアホフは、途中出場の僅かな時間で一躍スターダムにのし上がった。

決勝戦までは僅か2試合に途中出場し得点も挙げることができなかったが、決勝のチェコ戦で全てが一変する。1点リードされて迎えた後半24分、ついにビアホフがピッチに姿を現す。

出場から僅か4分後に得意のヘディングシュートで1点を返し同点に追いつくと、延長戦ではユルゲン・クリンスマンからのパスを受け素早く反転、間髪入れずに左脚でシュートを放ちこれがゴールデンゴールとなった。

この2得点でドイツを3度目の欧州王者に導くと、つい先ほどまで低迷するドイツ代表の控えFWでしかなかったビアホフの名は瞬く間に世界中に広まり、一躍欧州でも屈指のFWと目されるようになる。
強烈なシュートを放つビアホフ

強烈なシュートを放つビアホフ

エピソード

・引退試合は日本(仙台)で行われている。当時所属していたセリエAのキエーボが、ベガルタ仙台と親善試合を行う機会があり、それに参加していたため。
その際、仙台市から日本の兜を贈られている。

・アビトゥア資格(ドイツの大学入学資格)を有しており、ドイツで有名なハーゲン通信大学で経営学を専攻した。10年前後にわたり籍を置き、その後卒業している。
テレビに出演するビアホフ(右)

テレビに出演するビアホフ(右)

動画

サッカー SERIEA オリバー・ビアホフ

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