中の島ブルースとは
『中の島ブルース』(なかのしまブルース)は、1973年に秋庭豊とアローナイツ(当時は秋庭豊とシャネル・フォー名義)が自主制作したシングル。作詞は須田かつひろ、作曲は吉田佐。
1975年7月には斎藤保が歌詞を補作した全国版が発売され、内山田洋とクール・ファイブとの競作になった。
この曲は『秋庭豊とアローナイツ』と『内山田洋とクール・ファイブ』の両グループが歌っていますが、セールス的には『内山田洋とクール・ファイブ』が勝ったとのこと。
中の島とは?
タイトルや歌詞の中でも出てくる中の島。
そもそもこの中の島とはどこなのか?
曲を聴いてみると判るのですが、全国版では北海道、大阪、長崎の中の島の地名に由来させていることが判ります。ただし、長崎だけは中島川になっていますね。
そもそもこの中の島とはどこなのか?
曲を聴いてみると判るのですが、全国版では北海道、大阪、長崎の中の島の地名に由来させていることが判ります。ただし、長崎だけは中島川になっていますね。
両グループの「中の島ブルース」の違い
『秋庭豊とアローナイツ』
via www.amazon.co.jp
秋庭豊とアローナイツ 中の島ブルース
via www.youtube.com
歌志内炭坑のアマチュア社内バンドだったアローナイツが、実力を認められプロになり、札幌に進出して成功。初のオリジナル曲として自主制作で発売された。この当時の歌詞は北海道札幌市豊平区の中の島のみを舞台としていた。
初めは北海道限定の歌詞だったのですね(^^)/
『内山田洋とクール・ファイブ』
中の島ブルース 内山田洋とクールファイブ
via www.youtube.com
有線放送を通じ人気が全国的になったことから、アローナイツにメジャーデビュー計画が持ち上がり、大阪府大阪市北区の中之島、長崎県長崎市の中島川と全国各地域のなかのしま(長崎については正確にはなかしまがわ)を補作して、内山田洋とクール・ファイブとの競作の形で再発売された。
競作となったこの曲ですが、知名度の高い『内山田洋とクール・ファイブ』に軍配が上がったそうです。
確かに『内山田洋とクール・ファイブ』の名前は知ってますねぇ
確かに『内山田洋とクール・ファイブ』の名前は知ってますねぇ
作詞
『秋庭豊とアローナイツ』の「中の島ブルース」の方は須田かつひろ。『内山田洋とクール・ファイブ』の「中の島ブルース」の方は斎藤保。両曲で作詞家が違うんですねぇ
ちなみに、現在Youtubeでもアップされている「中の島ブルース」は、全国版に補作された斎藤保版の「中の島ブルース」になります。
ちなみに、現在Youtubeでもアップされている「中の島ブルース」は、全国版に補作された斎藤保版の「中の島ブルース」になります。
作曲
吉田 佐(よしだ たすく、1937年(昭和12年) - 2006年(平成18年)2月7日)は、日本の作曲家。北海道生まれ。ムード歌謡を中心に2000余曲を手掛けた。
「中の島ブルース」を競作させることでミリオンセラーにしたそうです。
なかなかのやり手ですな(^^)/
なかなかのやり手ですな(^^)/
編曲
『秋庭豊とアローナイツ』の「中の島ブルース」 川上英一
川上 英一(かわかみえいいち)は、日本の作曲家・編曲家。
師匠は吉田矢健治。
キングレコード専属作家のひとりで、小町昭・白石十四男とともに歌謡曲の編曲を手掛けた。