2020年11月28日 更新
【新沼謙治】昭和の演歌歌手!亡くなった嫁との秘話や息子・娘・孫のについても調査!
演歌歌手として、俳優・タレントとしても活躍された新沼謙治さん。当時は、そのイケメンぶりで多くの女性ファンを虜にしました。今回の記事では、そんな新沼謙治さんの半生や、プライベート情報・現在の活動ぶりをまとめました。代表作品もご紹介しますので、ぜひ記事をご覧になってくださいね。
愛妻家として知られた演歌歌手・新沼謙治さん
新沼謙治さんの経歴
1956年、岩手県大船渡市に生まれた新沼謙治さん。地元の公立高校を卒業すると、集団就職で栃木県宇都宮市にある左官業の会社で働いたといいます。
その後、新沼謙治さんが端正な容姿だったこともあって、17社の芸能事務所からオファーを受けています。1976年に第一プロダクションの所属となり、日本コロムビアから数々のヒット曲を発売しました。その年のうちに、『嫁にこないか』で日本レコード大賞新人賞を獲得され、NHK紅白歌合戦にも出場しています。
その後、東日本大震災の復興支援プロジェクトにも積極的に参加され、歌手として、NHK主宰のプロジェクトのテーマソングを歌う一員としても参入されました。故郷への想いを込めて作曲した『ふるさとは今もかわらず』は、新沼謙治さんの母校であるに大船渡市立第一中学校の生徒たちを含んだ44名のコーラスとのレコーディングが行なわれています。
新沼謙治さんにまつわるエピソード
愛妻家としても有名
経歴でも触れたように、新沼謙治さんの奥様はバトミントンで世界のトッププレイヤーとして活躍された湯木博恵さん。結婚してからは、姉さん女房ぶりを発揮して家庭を支えたといいます。
夜の公演は必死に涙を押し殺し、最後まで観客の期待に応えましたが、その後の落込み具合は周囲もかなり心配するほどだったそうです。そうなると予想していた湯木博恵さんは遺書に「自立してください」と書き残していました。愛妻からのメッセージを受け、新沼謙治さんは葬儀の場で「自立します」と語っています。
息子や娘・孫について
湯木博恵さんとの間に一男一女を授かった新沼謙治さん。ご長男の名前は新沼翔大さん、ご長女の名前は新沼文那さんといいます。
新沼翔大さんは父親と同じように歌手を目指していたそうですが、現在では、芸能活動から身を退いて介護の仕事をされているそうです。新沼文那さんも声優として活動していたようですが、こちらも現在は目立った活動をしている様子はありません。
新沼謙治さんの主な代表作品
歌手としてだけではなく、俳優としても活躍した新沼謙治さん。こちらでは代表的なところをピックアップして紹介させていただきます。
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出身地 :岩手県大船渡市
血液型 :A型
職業 :演歌歌手
俳優
タレント
活動期間:1976年~