黒柳徹子のふしぎ発見!  38歳でタマネギ頭、そしてノーブラになるまで
2022年8月2日 更新

黒柳徹子のふしぎ発見! 38歳でタマネギ頭、そしてノーブラになるまで

6歳のとき、演劇でキリストを演じ、羊役の子にティッシュペーパーを突きつけ「アナタ、羊でしょ。食べなさい」といってから、38歳でニューヨークへ演劇留学し、タマネギ頭、ノーブラになるまで。

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5月、スターが45人も集まって、歌あり、笑いありのコメディドラマ「若い季節」に出演。
歌やコントで構成されたバラエティ番組「夢であいましょう」では、渥美清と組んでコントをやった。
2人は
「お嬢さん」
「兄ちゃん」
と呼び合い、頻繁に映画や食事に出かけ、周囲には渥美が徹子に心を寄せているようにみえた。
「もしかするとそうかもしれません。
今思うとね。
だけど渥美さんにとって私の第1印象はさんざんだったのよ。
初めて共演したとき、本番前なのに私はなぜか台本を持ってなくて、渥美さんが読んでいた台本を『貸して!』ってふんだくって、自分のところを読んで、本番直前にそのまま返したみたいなの。
それで渥美さんは自分のセリフがあるページがどこだかわかんなくなっちゃって困ったそうなのね。
『お嬢さん、あなたはね、そういう人でしたよ』って。
『ウソッ、私そんなことしないわよ』っていったんだけど、したに違いないと思うのね。
でも今、渥美さんの奥さまととても仲良くなって、一緒にご飯食べに行ったりしてます」
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1965年年末、「まんが海峡クイズ」という番組で司会を務めた徹子は、「天才バカボン」「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」など多くの代表作を持つギャグマンガの大御所、赤塚不二夫と出会った。
このとき2人は20代。
週刊誌が2人のロマンスを取り上げることもあり、3歳上の赤塚は、徹子に恋愛感情があったかもしれないが、結局、50年以上、友人として交流を続けた。
「私が鈍感で気がつかなかったんです。
大阪でお芝居をやったとき、突然楽屋に赤塚さんが現れて「どうしたの?」と聞いたら「来ちゃった」って。
そこで「何しに来たの?」とでも聞いたら違った展開になっていたかもしれないけど、私は「それで、いつ帰るの?」って聞いちゃって。
でも最後まで仲良くして、お互いに笑わせることができたから良かったと思います」
赤塚は、2008年に72歳で他界するが、その少し前、脳内出血で寝たきりになったとき、病室に見舞いにいった徹子は、初めて赤塚さんの手を握った。
そして我慢できなくなって
「ねえ、もうこんなに長いこと寝てるんだから、いいかげん起きたら?」
と大きな声でいってしまった。
すると赤塚の顔は明らかに変化。
妻の真知子は
「笑ってる!
これ笑うときしか出来ないシワです。
絶対笑ってます」
といった。
徹子も
「表現できないだけでちゃんと全部わかってるんだろうなあ」
と思った。
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徹子は、仕事があるから恋愛や結婚をやめるというのではなく、むしろ恋愛優先と思っていた。
好きな男性のタイプは、仕事を夢中にやっている人。
そして
「ショーン・コネリーとかヨン様(ペ・ヨンジュン )みたいに」
エレガントで平和的な男性が好き。
残酷で暴力的なのはダメ。
そしてどちらかというと年上のほうが好きだった。
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たくさんのお見合い話があり、実際に3回、お見合いをしたが、人生で最初に結婚を考えたのは、その3回目のお見合い相手の脳外科医。
「正直いうとお見合い相手よりお父様のほうが私の趣味でした」
と相手の父親が素敵だったことが
「結婚してもいいかな」
と思った理由の1つだった。
相手もとてもいい人で、相手の母親にも気に入ってもらい、何の問題もなく、ほとんど結婚する運びになり、自分の母親に
「お嫁に行ったらもうあげられないから」
と4枚もコートをもらった。
その中の1枚は、薄いピンク色で、すごく気に入って毎日着ていた。
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ところがもうすぐ結納という時期に仕事場で作曲家に
「結婚したら、その相手とずっと一緒に暮らすわけだから、何か1つ嫌なとこがあったらやめておいたほうがいいね」
といわれた。
「えーそうか」
と思って素直に考えてみると、相手の歩き方が気に入らないことに気づいた。
それともう1つ、ずっと心に引っかかっていたのが
「お見合い結婚って結婚した後に恋愛すればいいっていうけれど、もし結婚式場を出たところで『うわあ、この人と結婚したい!』と思えるような人と出会っちゃたらどうなるんだろう」
ということ。
結局、自分の母親に
「私、やめる」
というとあっさり
「そうね。
そのほうがいいわね」
と許してもらった。
しかしその後、ピンクのコートを着る度に
「結婚詐欺!」
といわれた。
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恋愛に関して、最初は
「風と共に去りぬのクラーク・ゲーブルのような」
ルックスのよい男性に憧れていたが、
「男らしくみえる人でも小心者だったり、見た目と中身にギャップがあることが圧倒的に多い」
ということに気づくと
「見場が悪い人のほうが得」
と思うようになった。
「それは女の人にもいえることで、例えば会社に新人社員で入ったとして、見場がいい人はチヤホヤされるのに見場があまりよくないとゾンザイに扱われるってあるでしょう?
でもそういうことがあるとかえって燃えるというか、自分の道は自分で切り開こうと思えるじゃない。
見場のいい人みたいに大事にされて、その状況に甘んじてしまったら、そのときはいいけど成長はあまりしないと思うの。
それに男も女もある年齢になったら必ず、中身で勝負のときが来ます。
そのときが見場のよくない人のチャンスです。
人と自分を比べないことも大切ね。
比べたらキリがないの。
『なんであの人はきれいなの』『あの人のボーイフレンドお金持ちでいいわね』なんて人と比べていいことは何もない。
私は私。
自分でやれることは自分でやっていく。
女の子たちには、そんなふうに生きてほしいわね」
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1970年、帝国劇場でミュージカル「スカーレット」に出演。
このときブロードウェイのスタッフと親しくなり、
「ぜひニューヨークにいらっしゃい!」
と誘われた。
25~30歳前半の徹子は、毎日仕事、仕事で
「休まなくちゃ」
とばかり考えていた。
そして
「シワをつくらないようにしなきゃ」
「年齢にふさわしいブランド物を身につけなくちゃ」
など外見的なことよりも、どちらかというと内面的なことで焦りがあり、絵を観たり、展覧会にいったり、本を読んだり、そういう心磨きのようなことに夢中だった。
この招きを受けて、
「もっと勉強したい」
とニューヨーク留学を決意した。
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1971年、NHKの朝のテレビ小説「繭子ひとり」で演じた、青森県出身の働き者の家政婦、田口ケイ役は、そのリアリさに徹子だと気づかない人も多くいた。
10月、1年間休暇をとって、38歳で渡米。
思い切って仕事を休んでニューヨークにいくと、街には仕事のない人がたくさんいて、自分を必要としてくれる人がいて、仕事があるということのありがたさに気づかされた。
「人と自分を比べることは無意味なことだけど、自分が置かれている状況がいかに恵まれているかを知ることは、虚栄心を排除するのにつながるかもしれません。
生きることは大変だし、難しいんだけど『日本はなんて自由なんだ』『自分は仕事があって人に必要とされているだけでも幸せだ』って思えれば、生活なんてつつましくてもいいんじゃない?」
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1970年代のアメリカはフェミニズムが台頭していた。
20代前半は、女優という女性にしかできない仕事が多くて、あまり感じなかったが、20代後半になって、いろいろな仕事を始めると
「女だから」
と制約を受けたり、立場の弱さを感じることが多くなり
「ほんと嫌になっちゃう」
と思っていた徹子は、この運動に共感した。
一方で女性活動家たちの中には頑張りすぎて女性らしさがない人もいて
「あんなに頑張ると男の人みたいになっちゃうのかな?」
と不安になったりもした。
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メリー・ターサイ演劇スタジオ、ルイジ・ダンススクールで演技やダンスを学び、モノローグ(登場人物が相手なしで心中の思いなどをしゃべるセリフ)のレッスンでは
「私、気がついていなかった。
時がこんなに早く過ぎていくなんて。
お互いの顔を見合わす暇もないくらい。
さようなら、ママのひまわりも、私の栗の木も。
さようなら。
私の小さな町。
何もかもが懐かしい・・・」
と映画にもなったアメリカの戯曲「わが町」の中の主役のエミリーという少女がつぶやくセリフを行った。
すると先生は
「セリフをいわなくていい。
代わりにABCDとアルファベットでいうだけでいい。
ただ感情だけはちゃんと込めてね」
と指示。
その後、「ABC」だけで一生懸命、「本当の幸せとは何か」という感情を伝えようとした。
やり終えると驚いたことに、先生を含め、そこにいたみんなが泣いていた。
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