”アルゴリズム体操”演技中の歴代歌・体操おにいさん・おねえさん
NHKEテレで放映されている「ピタゴラスイッチ」の中の1コーナーに”アルゴリズム体操”というのがあるが、これを「おかあさんといっしょ」に出演していた歴代おにいさん・おにいさんと一緒に行っている写真である。さすがはNHKだけに、こんなことも、いとも簡単にこなしています!!
via img03.ti-da.net
「おかあさんといっしょ」の基礎知識!!
おかあさんといっしょ 【坂田おさむ 神崎ゆう子 天野勝弘】 1991
「おかあさんといっしょ」とは、NHK Eテレ(HHK教育テレビ)および、国際放送のNHKワールドプレミアムで放送している2~4歳児向け教育・音楽番組。日本のテレビ放送開始期より今に至るまで続いており、NHKを代表する番組のひとつである。
放送開始は、1959年10月5日からで、番組構成が変更されながらも現在に至るまで放送されている。NHKを代表する長寿番組であり、番組開始当初はその名の通り『母と子が一緒に楽しむエンターテイメント番組』というスタイルで、毎週月曜日、20分の生放送だった。1966年3月より同局の幼児番組『うたのえほん』が同番組の歌および体操のコーナーとして併合され、1976年に同コーナーが終了したことに伴い、1976年4月に放送内容が改変され、その後、朝の本放送はNHK総合テレビで月 - 土曜日の朝9:30 - 9:55枠で放送され、夕方の再放送は教育テレビで(1984年度までは総合テレビでの放送)放送されていたが、1997年4月からは土曜日のみ本放送も教育テレビに移動され、1998年4月より平日の本放送も教育テレビに移動された。1995年9月収録、同年10月放送分よりハイビジョン制作開始。これはNHKを含め、子供番組で初めての事だった。2011年度までは有効走査線数の少ないアナログハイビジョンになっていたが、2012年度以降は過去のクリップを含めデジタルハイビジョン映像になった。
放送開始は、1959年10月5日からで、番組構成が変更されながらも現在に至るまで放送されている。NHKを代表する長寿番組であり、番組開始当初はその名の通り『母と子が一緒に楽しむエンターテイメント番組』というスタイルで、毎週月曜日、20分の生放送だった。1966年3月より同局の幼児番組『うたのえほん』が同番組の歌および体操のコーナーとして併合され、1976年に同コーナーが終了したことに伴い、1976年4月に放送内容が改変され、その後、朝の本放送はNHK総合テレビで月 - 土曜日の朝9:30 - 9:55枠で放送され、夕方の再放送は教育テレビで(1984年度までは総合テレビでの放送)放送されていたが、1997年4月からは土曜日のみ本放送も教育テレビに移動され、1998年4月より平日の本放送も教育テレビに移動された。1995年9月収録、同年10月放送分よりハイビジョン制作開始。これはNHKを含め、子供番組で初めての事だった。2011年度までは有効走査線数の少ないアナログハイビジョンになっていたが、2012年度以降は過去のクリップを含めデジタルハイビジョン映像になった。
via www.youtube.com
初代体操のおにいさんは何と初代ドラえもん声優の大山のぶ代のだんなさんだった!!
子供たちと体操をする砂川啓介
砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年2月12日 - )は、日本の俳優、タレント。東京都出身。ちなみに妻は女優、声優の大山のぶ代。初代体操のおにいさんを、1961年4月3日 - 1969年10月1日まで受け持った。体操名称は「元気に一、二」で、約8年間けいすけお兄さんとして活躍した。
体操のおにいさんを卒業後は司会業や俳優業をしながら、芸能界で妻と一緒に活躍した。
妻の大山のぶ代とは1963年(昭和38年)8月に舞台『孫悟空』での共演で知り合い、翌年に結婚した。NHKの『おかあさんといっしょ』でも共演していたが、お互いに面識はなく会うことはなかったため、砂川が楽屋に挨拶に行った際に大山は出前のそば屋だと勘違いしたという逸話が残っている。その後一緒にドライブに行った際、不良に絡まれている中学生を見つけ、お互い相談もしていないにもかかわらず、とっさに田舎から出てきた夫婦を演じ、その不良に道を尋ねるふりをして、その隙に中学生を逃がしてあげたといい、それをきっかけに結婚を考えるようになったという。また、その際とても丁寧に道を教えてくれたといい「不良とは言え、みんな優しい心を持っているんだと思った」と語っているそうだ。
体操のおにいさんを卒業後は司会業や俳優業をしながら、芸能界で妻と一緒に活躍した。
妻の大山のぶ代とは1963年(昭和38年)8月に舞台『孫悟空』での共演で知り合い、翌年に結婚した。NHKの『おかあさんといっしょ』でも共演していたが、お互いに面識はなく会うことはなかったため、砂川が楽屋に挨拶に行った際に大山は出前のそば屋だと勘違いしたという逸話が残っている。その後一緒にドライブに行った際、不良に絡まれている中学生を見つけ、お互い相談もしていないにもかかわらず、とっさに田舎から出てきた夫婦を演じ、その不良に道を尋ねるふりをして、その隙に中学生を逃がしてあげたといい、それをきっかけに結婚を考えるようになったという。また、その際とても丁寧に道を教えてくれたといい「不良とは言え、みんな優しい心を持っているんだと思った」と語っているそうだ。
via shouwashi.com
保存盤!キッズたいそうベスト12/Hoick MusicPlayer
当時担当していた「元気に一、二」の音源です。
2代目体操のおにいさんは何と初代ピンポンパン体操のおにいさんだった!!
佐久間 俊直(さくま としなお、1932年6月 - 2004年4月)は、日本のタレント、幼児教育の教育者(造形・絵本作り・グループワークなど)である。小児科医師志望だったらしいが、「おかあさんといっしょ」の2代目たいそうのおにいさん(厳密に言えば、「うたのえほん」の体操のおにいさん)として、1963年10月 - 1967年3月の3年半、体操「おもちゃのラッパ」を担当した。1966年、おかあさんといっしょに出演する傍ら、「ママとあそぼう!ピンポンパン」の初代お兄さんとしても活動した。1967年4月からはおかあさんといっしょで始まった外へ飛び出した野外ロケコーナー、「手をつなごう」にも出演し、番組は1976年3月まで続いた。
その他、テレビ東京の「おはなしたまてばこ」人形製作、人形劇作家の内山澄子らと「子供の生活と遊び研究室」を持っていて、幼稚園の遊び担当理事、保母・学生達とのゼミや、カルチャースクールで講師としても、活躍していた。
あいにく、写真を発見できませんでした。悪しからず!!
その他、テレビ東京の「おはなしたまてばこ」人形製作、人形劇作家の内山澄子らと「子供の生活と遊び研究室」を持っていて、幼稚園の遊び担当理事、保母・学生達とのゼミや、カルチャースクールで講師としても、活躍していた。
あいにく、写真を発見できませんでした。悪しからず!!
「おもちゃのラッパ」の音源(NHK おかあさんといっしょ 50年 うたのBEST110)
NHK教育テレビ『おかあさんといっしょ』の歩みは“こどもの歌”の歴史。時代を超えてきた名曲が詰まった永久保存版アルバム。1959年に放送スタートしてから2009年で50年を迎える国民的幼児番組。これまで生まれた数多の名曲や体操曲、人形劇やアニメで親しまれた曲を4枚組で収録。 (C)RS
「おもちゃのラッパ」の音源がなかったのですが、このリンクをクリックすると試聴ページが現れますのでDISC1の16番目をクリックして下さい。
3代目体操のおにいさんは何とバレーダンサーとして大成していた!!
岡田 祥造
岡田 祥造(おかだ しょうぞう、1942年生まれ)は、日本の男性バレエダンサーである。
1965年、チャイコフスキー記念東京バレエ団創立に参加する。1967年4月から1969年9月まで「うたのえほん」(「おかあさんといっしょ」の前身)のたいそうのおにいさんを前出の佐久間 俊直から引き継ぐ。体操は「おもちゃのラッパ」であった。
1971年、ヨーロッパへ渡り、ロイヤルバレエ・デ・ワロニー(ベルギー)シーズン途中からソリスト契約したのを皮切りに、海外の有名バレエ団を渡り歩いた。
1985年、妻の素子と「岡田祥造&素子エコール・ドゥ・バレエ」というバレエ教室を設立し、現在は藤井香主催彩の国舞踊団、札幌シティバレエの講師を務める。
1965年、チャイコフスキー記念東京バレエ団創立に参加する。1967年4月から1969年9月まで「うたのえほん」(「おかあさんといっしょ」の前身)のたいそうのおにいさんを前出の佐久間 俊直から引き継ぐ。体操は「おもちゃのラッパ」であった。
1971年、ヨーロッパへ渡り、ロイヤルバレエ・デ・ワロニー(ベルギー)シーズン途中からソリスト契約したのを皮切りに、海外の有名バレエ団を渡り歩いた。
1985年、妻の素子と「岡田祥造&素子エコール・ドゥ・バレエ」というバレエ教室を設立し、現在は藤井香主催彩の国舞踊団、札幌シティバレエの講師を務める。
via yt3.ggpht.com
4代目体操のおにいさんは何と体育指導者の草分け的存在となった!!
向井 忠義(むかい ただよし、1944年 - )は、日本の体操指導者。日本の社会体育指導者の草分け的存在となった人物でもある。1967年から1969年には警視庁警察官の体育指導を行った後、1969年から1977年にはアスレティッククラブを指導した。警視庁警察官体育とアスレティッククラブ指導の傍ら、1969年10月より、『うたのえほん』(現『おかあさんといっしょ』)に登場し、4代目たいそうのおにいさんに就任した。一日遅れで5代目として登場したのが小西幸男であった。登場した時から2人で出演し、人気を二分していた。体操は「ジャンポンポン」を1971年3月までは小西と、同年4月からは6代目輪島直幸と共に担当していた。1973年3月に番組を卒業し、現在は三鷹アスレティッククラブ(「まっく体操クラブ」)の代表者である。
via mactaiso.com
「ジャンポンポン」の音源(オムニ7 - セブンネットショッピング|NHK おかあさんといっしょ 40年の300曲 通販)
NHK おかあさんといっしょ 40年の300曲:CD・グッズならセブンネットショッピング 。 7net、西武・そごう、イトーヨーカドー、アカチャンホンポ、LOFTが集結した「オムニ7」。nanacoポイントが貯まりセブン-イレブンでの店舗受取・返品が可能、セブン&アイの安心安全なネットショッピングです。
「ジャンポンポン」の音源がなかったのですが、このリンクをクリックすると試聴ページが現れますのでディスク3の22番目をクリックして下さい。
5代目は俳優の道に早くから天職と気付いたのか!?
小西幸男(現:大佳央)
大 佳央(だい かおう、1943年8月12日 - )は、日本の俳優。兵庫県尼崎市出身。おかあさんといっしょ(1969年10月 - 1971年3月)5代目たいそうのおにいさん(当時は本名の小西幸男名義で出演していた)として活躍した。番組では「ジャンポンポン」を担当し1年半務めたが、向井忠義よりも先に番組を卒業
6代目は筋金入りの体育おたく?!
輪島 直幸
輪島 直幸(わじま なおゆき、1949年 - )は、おかあさんといっしょ(登場した当初はうたのえほん)6代目体操のおにいさん。北海道出身。1972年、日本体育大学体育学部体育学科卒業した。担当した体操は「ジャンポンポン」、のちに「地球をどんどん」や「ようじ体操・スイッチオン」を担当。1971年4月~1978年3月の7年間、たいそうのおにいさんとして務めた。なお、1980年4月~1981年3月の1年は「ハイ・ポーズ」のルーツにもなる親子体操「親子たいそう」や当時のエンディング「ブンブンホイ」などに出演していた。当時の歌のコーナーやレコードでは宮内良・奈々瀬ひとみ・瀬戸口清文らと共に「大きなかぶ」などを歌っていたが、NHKのグラフィティでは出演期間は1971年4月~1978年3月までとされる。また、「ママとあそぼう!ピンポンパン」にも活動していた。番組卒業後は数々の番組(特に幼児番組)の体操指導や、NHKラジオ体操・テレビ体操の指導者を1985年春~2003年秋まで歴任後、現在は武蔵野学院大学教授を務めている。
via http://www.worldkikaku.jp/image/instructor001195instructor_image
地球をどんどん【ノーマル版】@子どもたちと一緒に踊れる楽しい体操
やっとこさ、ユーチューブがありました!!
via www.youtube.com
ようじたいそうスイッチ・オン
輪島 直幸の声も入っている。
via www.youtube.com