4年に一度のオリンピック、歴代の夏季冬季大会の開催年と開催都市をまとめて確認します。
2017年3月29日 更新

4年に一度のオリンピック、歴代の夏季冬季大会の開催年と開催都市をまとめて確認します。

数々の記憶に残る選手や感動のプレーは憶えているのに「あれ、いつのオリンピックだったっけ?」なんて経験、ありませんか。そんなときのために夏季及び冬季オリンピックの開催年と都市、そして主な日本人メダリストをまとめてみました。大会ごとの印象的な画像と共に振り返っていきます。

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まずはコチラ、夏季オリンピックの開催年と開催都市をみていきましょう

夏季オリンピックは憶えている人が多いでしょうね、どのオリンピックが印象に残っていますか?

前回(1964年)東京オリンピック以降の各大会を、印象的な一枚と共に振り返っていきましょう。

1964年 東京オリンピック(日本)

日本は金:16個 銀:5個 銅:8個を獲得

日本は金:16個 銀:5個 銅:8個を獲得

1940年大会の開催権を返上した日本及びアジア地域で初めて開催されたオリンピックで、また有色人種国家における史上初のオリンピックでもある。

歴史的には、第二次世界大戦で敗戦し急速な復活を遂げた日本が、再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持った。
主な日本人メダリスト

主な日本人メダリスト

【金メダル】
桜井孝雄(日本、ボクシングバンタム級)
三宅義信(日本、ウエイトリフティングフェザー級)
市口政光(日本、レスリンググレコローマンバンタム級)
花原勉(日本、レスリンググレコローマンフライ級)
上武洋次郎(日本、レスリングフリースタイルバンタム級)
渡辺長武(日本、レスリングフリースタイルフェザー級)
吉田義勝(日本、レスリングフリースタイルフライ級)
中谷雄英(日本、柔道軽量級)
猪熊功(日本、柔道重量級)
岡野功(日本、柔道中量級)
早田卓次(日本、体操男子つり輪)
山下治広(日本、体操男子跳馬)
遠藤幸雄(日本、体操男子平行棒、体操男子個人総合)
遠藤幸雄・小野喬・鶴見修治・早田卓次・三栗崇・山下治広(日本、体操男子団体総合)
磯辺サダ・河西昌枝・近藤雅子・佐々木節子・篠崎洋子・渋木綾乃・谷田絹子・半田百合子・藤本佑子・松村勝美・松村好子・宮本恵美子(日本、バレーボール女子)

【銀メダル】
神永昭夫(日本、柔道無差別級)
鶴見修治(日本、体操男子あん馬、体操男子個人総合、体操男子平行棒)
遠藤幸雄(日本、体操男子床運動)

【銅メダル】
円谷幸吉(日本、陸上男子マラソン)
一ノ関史郎(日本、ウエイトリフティングバンタム級)
大内仁(日本、ウエイトリフティングミドル級)
堀内岩雄(日本、レスリングフリースタイルライト級)
吉川貴久(日本、ライフル射撃男子フリーピストル)
岩崎邦宏・岡部幸明・庄司敏夫・福井誠(日本、競泳男子800m自由形リレー)
相原俊子・池田敬子・小野清子・千葉吟子・辻宏子・中村多仁子(日本、体操女子団体)
池田尚弘・小瀬戸俊昭・小山勉・佐藤安孝・菅原貞敬・出町豊・猫田勝敏・南将之・森山輝久・中村祐造・樋口時彦(日本、バレーボール男子)

1968年 メキシコシティオリンピック(メキシコ)

日本は金:11個 銀:7個 銅:7個を獲得

日本は金:11個 銀:7個 銅:7個を獲得

メキシコシティオリンピックの開催は1963年10月18日、西ドイツ(現・ドイツ)のバーデン=バーデンで開かれた第60回国際オリンピック委員会総会で決定された。

しかしこの決定にはあまりにも高い海抜の地理条件から空気が薄いため反対の声も挙がった一幕もある。
主な日本人メダリスト

主な日本人メダリスト

【金メダル】
三宅義信(日本、ウエイトリフティングフェザー級)
宗村宗二(日本、レスリンググレコローマンライト級)
金子正明(日本、レスリングフリースタイルフェザー級)
上武洋次郎(日本、レスリングフリースタイルバンタム級)
中田茂男(日本、レスリングフリースタイルフライ級)
中山彰規(日本、体操男子つり輪、鉄棒、平行棒)
加藤澤男(日本、体操男子個人総合、床運動)
遠藤幸雄・加藤澤男・加藤武司・監物永三・塚原光男・中山彰規(体操男子団体総合)

【銀メダル】
大内仁(日本、ウエイトリフティングミドル級)
藤本英男(日本、レスリンググレコローマンフェザー級)
君原健二(日本、陸上男子マラソン)
遠藤幸雄(体操男子跳馬)
中山彰規(体操男子床運動)
池田尚弘・大古誠司・木村憲治・小泉勲・佐藤哲夫・嶋岡健治・白神守・猫田勝敏・三森泰明・南将之・森田淳悟・横田忠義(日本、バレーボール男子)
井上節子・岩原豊子・生沼スミエ・小野沢愛子・笠原洋子・小嶋由紀代・宍倉邦枝・高山鈴江・浜恵子・福中佐知子・古川牧子・吉田節子(日本、バレーボール女子)

【銅メダル】
三宅義行(日本、ウエイトリフティングフェザー級)
森岡栄治(日本、ボクシングバンタム級)
中山彰規(体操男子個人総合)
加藤武司(体操男子床運動)
加藤澤男(体操男子つり輪)
監物永三(体操男子鉄棒)
小城得達・片山洋・鎌田光夫・釜本邦茂・桑原楽之・杉山隆一・鈴木良三・富沢清司・浜崎昌弘・松本育夫・宮本輝紀・宮本征勝・森孝慈・八重樫茂生・山口芳忠・湯口栄蔵・横山謙三・渡辺正(日本、サッカー)

1972年 ミュンヘンオリンピック(西ドイツ)

日本は金:13個 銀:8個 銅:8個を獲得

日本は金:13個 銀:8個 銅:8個を獲得

ミュンヘンオリンピックは、1972年8月26日から9月11日まで、西ドイツ(現・ドイツ)のミュンヘンで行われた夏季オリンピック。

オリンピック史上最悪の悲劇と言われるミュンヘンオリンピック事件が発生したことで知られていた。
主な日本人メダリスト

主な日本人メダリスト

【金メダル】
加藤喜代美(日本、レスリングフリースタイル52kg級)
柳田英明(日本、レスリングフリースタイル57kg級)
田口信教(日本、競泳男子100m平泳ぎ)
青木まゆみ(日本、競泳女子100mバタフライ)
川口孝夫(日本、柔道軽量級)
野村豊和(日本、柔道軽中量級)
関根忍(日本、柔道中量級)
中山彰規(日本、体操男子つり輪)
塚原光男(日本、体操男子鉄棒)
加藤澤男(日本、体操男子個人総合、平行棒)
岡村輝一・笠松茂・加藤澤男・監物永三・塚原光男・中山彰規(日本、体操男子団体総合)
大古誠司・木村憲治・佐藤哲夫・嶋岡健治・中村祐造・西本哲雄・猫田勝敏・野口泰弘・深尾吉英・南将之・森田淳悟・横田忠義(日本、バレーボール男子)

【銀メダル】
平山紘一郎(日本、レスリンググレコローマン52kg級)
和田喜久夫(日本、レスリングフリースタイル68kg級)
加藤澤男(日本、体操男子あん馬、鉄棒)
笠松茂(日本、体操男子平行棒)
監物永三(日本、体操男子個人総合)
中山彰規(日本、体操男子床運動)
飯田高子・岩原豊子・生沼スミエ・岡本真理子・塩川美知子・島影せい子・白井貴子・浜恵子・古川牧子・松村勝美・山崎八重子・山下規子(日本、バレーボール女子)

【銅メダル】
田口信教(日本、競泳男子200m平泳ぎ)
西村昌樹(日本、柔道重量級)
笠松茂(日本、体操男子床運動、鉄棒)
監物永三(日本、体操男子あん馬、平行棒)
中山彰規(日本、体操男子個人総合)
塚原光男(日本、体操男子つり輪)

1976年 モントリオールオリンピック(カナダ)

日本は金:9個 銀:6個 銅:10個を獲得

日本は金:9個 銀:6個 銅:10個を獲得

モントリオールオリンピックは、1976年7月17日から8月1日まで、カナダのモントリオールで行われた夏季オリンピック。1974年第75回IOC総会で、オリンピック憲章からアマチュア条項を削除してから、初めての夏季オリンピックであった。

当初の予算は3億2000万ドルの予算でスタートしたが、オイルショックが発端になった物価高騰で最終的には約13億ドルにも達した。その為膨大な赤字を計上したため、モントリオール市ではその後何十年ものあいだ、返済のために税金が使われることとなった。

以降、1980年開催の社会主義国であったソ連で行われたモスクワオリンピックをはさみ、1984年開催のロサンゼルスオリンピックで商業化が著しくなってゆく端緒となった大会ともいえる。
主な日本人メダリスト

主な日本人メダリスト

【金メダル】
伊達治一郎(日本、レスリングフリースタイル74kg級)
高田裕司(日本、レスリングフリースタイル52kg級)
園田勇(日本、柔道中量級)
二宮和弘(日本、柔道軽重量級)
上村春樹(日本、柔道男子無差別級)
塚原光男(日本、体操男子鉄棒)
加藤澤男(日本、体操男子平行棒)
五十嵐久人・梶山広司・加藤澤男・監物永三・塚原光男・藤本俊(日本、体操男子団体総合)
荒木田裕子・飯田高子・岡本真理子・加藤きよみ・金坂克子・白井貴子・高柳昌子・前田悦智子・松田紀子・矢野広美・横山樹理・吉田真理子(日本、バレーボール女子)

【銀メダル】
道永宏(日本、アーチェリー男子個人総合)
蔵本孝二(日本、柔道軽中量級)
加藤澤男(日本、体操男子個人総合)
監物永三(日本、体操男子あん馬、鉄棒)
塚原光男(日本、体操男子跳馬)

【銅メダル】
安藤謙吉(日本、ウエイトリフティングバンタム級)
平井一正(日本、ウエイトリフティングフェザー級)
工藤章(日本、レスリングフリースタイル48kg級)
荒井政雄(日本、レスリングフリースタイル57kg級)
菅原弥三郎(日本、レスリングフリースタイル68kg級)
平山紘一郎(日本、レスリンググレコローマン52kg級)
遠藤純男(日本、柔道重量級)
梶山広司(日本、体操男子跳馬)
塚原光男(日本、体操男子個人総合、平行棒)

1980年 モスクワオリンピック(ソビエト連邦)

日本はボイコット(不参加)

日本はボイコット(不参加)

冷戦下において東側諸国の盟主的存在であるソ連で行われたこの大会は、前年1979年12月に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け、集団ボイコットという事態に至った。
西ドイツもボイコットしたが、西ドイツのポップグループであるジンギスカンがモスクワをモデルにして作った曲『めざせモスクワ』が世界的にヒット。

【MV】ジンギスカン「めざせモスクワ」(1979年) / "Moskau" by Dschinghis Khan - YouTube

歌:Dschinghis Khan(ジンギスカン) 原題:Moskau(ドイツ語でモスクワ)

1984年 ロサンゼルスオリンピック(アメリカ)

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