3月20日、DDTプロレスリング旗揚げ20周年記念大会! 屋台村から始まった高木三四郎のプロレス挑戦、辿り着いたのはさいたまスーパーアリーナ!
2017年8月7日 更新

3月20日、DDTプロレスリング旗揚げ20周年記念大会! 屋台村から始まった高木三四郎のプロレス挑戦、辿り着いたのはさいたまスーパーアリーナ!

DDTプロレスリング社長兼レスラー、高木三四郎。現在のプロレス界において屈指の経営者、アイデアマンと呼ばれる彼が3月20日、さいたまスーパーアリーナにおいてDDTプロレスリング旗揚げ20周年記念大会を開催する。1990年代、新日、全日、UWF、FMWといった系譜とは異なる「屋台村プロレス」を発祥とする高木三四郎社長率いるDDTプロレスリングの強み、そして観客を魅了する仕掛け。プロレス界の異端児とも称される高木三四郎社長にお話を伺った。

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「あの頃プロレスって盛り上がってたよなあ」と思うすべての人へ。
「いま盛り上がっている」プロレスがある!

徹底してお客様に楽しんでもらうことを考えクリエイトし続けるプロレス集団、それがDDTプロレスリングだ。
激動のプロレス業界にあって躍進を続けるDDTプロレスリングが、20年の道程を経て辿り着いたのはさいたまスーパーアリーナという大舞台。

新日でも全日でもUWFでもない、DDTプロレスリングを率いるのは「大社長」高木三四郎。
そのスタイルを他団体に例えるならば世界最大のプロレス団体WWE、あるいはプロレスの枠を越えて90年代のジュリアナ、ヴェルファーレといった巨大なイベント空間ですらその比較対象に入るのかもしれない。

3月20日(月)、さいたまスーパーアリーナでDDTプロレスリング旗揚げ20周年記念大会が開催!

さいたまスーパーアリーナという大舞台での大会開催は、DDTプロレスリング旗揚げ20周年にして過去最大の大箱での興行となる。

記念すべき興行を直前に控えて多忙を極める同団体の高木三四郎社長兼レスラーに、編集部(ミド編)はお話を伺う機会を得た。
DDTプロレスリングの総帥、高木三四郎社長

DDTプロレスリングの総帥、高木三四郎社長

プロレス業界で躍進を続けるDDTプロレスリングの高木三四郎社長。
さいたまスーパーアリーナの大舞台を前に、その歩みの原点やプロレスへの想いを語っていただいた。
社長兼レスラーの肩書を持つ方は何人もいるが、まるでベンチャー起業家のお話を伺ったかのような、そんな高木社長とDDTプロレスリングについてご覧いただきたい。

屋台村からさいたまスーパーアリーナに辿り着くまで

1990年代、プロレスファンにとってプロレス業界の構図は新日、全日、UWF、FMWその他インディーではなかっただろうか。

闘魂三銃士に四天王、格闘王に涙のカリスマ。多士済々なプロレス界にあって、あの時代に横浜市鶴見区の屋台村で繰り広げられていた「屋台村プロレス」を憶えているプロレスファンはどのくらいいるのだろうか。
これが屋台村プロレスだ!!

これが屋台村プロレスだ!!

なんと、ヤフオク!に出品されているVHSを発見。
登場するレスラー名のなかには「高木三四朗」の文字が!
実はこの屋台村プロレス、当時学生の貴重な情報収集源だった「東京ウォーカー」で大々的に取り上げられたこともあるため、記憶に残っている読者の方も多いかもしれない。

屋台村プロレスよりも遡ること数年、話は80年代後半~90年代にかけてのバブル時代、ウォーターフロントから始まった。

クラブやディスコ、キラキラしていた学生時代

ミド編)DDTプロレスリング旗揚げ20周年、おめでとうございます!
今回はDDTプロレスリングの原点でもある、高木社長の歩みについてお伺いさせて下さい。

「よろしくお願いします。

そうですね、まず学生時代。大学のときに大阪から東京に出てきたんですね。
当時は新生UWF(1988年に前田日明が設立した第2次UWF)設立の旗揚げ興行で、立見席のチケットを手に入れるために徹夜で後楽園ホールに並びましたよ。

その一方でやっぱりバブルでしたから。
ウォーターフロントのジュリアナ東京、芝浦ゴールド、それに麻布マハラジャ…繰り出しては遊んでいたような大学生活でしたね。」

首都圏におけるウォーターフロント

首都圏では、東京の佃島・天王洲・臨海副都心(お台場・有明)・汐留・葛西、横浜市の横浜みなとみらい21、千葉市の幕張新都心などの再開発が行われた。芝浦の空き倉庫を利用したディスコやライブハウス、浦安市の東京ディズニーリゾートなども人気を集めた開発の一つである。
バブル、ウォーターフロント…早くも高木社長のバックボーンが「プロレスラーっぽくない」と感じてしまうミド編。
ここから、高木社長の「プロレスラーとは無縁の」キラキラした大学生時代の話が続いていく。

テレビ制作の裏側に携わることが出来た学生生活

「当時はフジテレビ黄金時代。夕やけニャンニャンが終わってパラダイスGoGo!!が始まり、さらにそこから派生した週刊スタミナ天国。アイドルグループではCoCoやribbonが出て…

そんな番組の裏方(AD見習い)のような体験をすることが出来たんですね。番組の構成会議に出たり、テレビの裏側の世界を見ることが出来ました。」
学生時代はメディア志向だった!

学生時代はメディア志向だった!

実は元々父親がテレビ局(毎日放送)だったため、幼いころからテレビの制作サイドがよく見えていた、と語る高木社長
読者諸氏の多くがご存知の、まさにフジテレビが隆盛を極めた時代の看板とも呼べるバラエティ番組。そんな番組構成に、学生時代に携われたという稀有な体験を語ってくれる高木社長。
普通なら当然、マスコミや広告代理店の道に進みそうなキャリアに見える。

「もちろん就職活動ではテレビ局、広告代理店、雑誌社受けたんですが、一通りダメでした。
それで留学(渡米)したのですが3か月で帰国しちゃいました。で、帰国してからかな。ディスコイベントを開くようになったんです。」

ミド編)ここまではまだ、プロレスとの具体的な接点が見えてきませんね(笑

「笑)

ディスコイベントでは、飯島愛さんをゲスト起用したジュリアナ東京でのイベントに大成功して、仕掛けることの楽しさを覚えましたよね。ヴェルファーレで一番最初の学生イベントも僕だったと思います。」

学生イベンターとして、メディアにもパイプが出来た高木社長。とくに「東京ウォーカー」とは高木社長が手掛けた学生イベントの多くを「夜遊び特集」内で紹介してくれる付き合いに。
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