酒井法子プロフィール
生年月日: 1971年2月14日 水瓶座
血液型: B型
出身地: 福岡県
酒井 法子(さかい のりこ、1971年2月14日 - )は、日本の女優、歌手である。サンミュージックプロダクション(1986年 - 2009年夏)を経て、オフィスニグンニイバ(2012年 - )所属。愛称はのりピー。
酒井法子。良くも悪くもその名を知らない人は少ないでしょう。1980年代中盤〜後半からのリピー語を大流行させるなどトップアイドルとして活躍した後、女優としても輝かしい実績を残しながらも、2009年、夫とともに覚せい剤取締法違反で逮捕されたのち有罪判決を受けるに至った悲劇の女優です。
その罪の重さからも服役を終え罪を償いながら社会復帰を果たそうとしている今でも、様々な方面からの追及やバッシングを受けている彼女ですが、改めて酒井法子の輝かしい活動の歴史と、本来の魅力を振り返ってみたいと思います。
デビューのきっかけ
1985年(昭和60年)10月、オーディション企画「'86 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(主催・資生堂)に出場、グランプリは水谷麻里が受賞したが、酒井には「BOMB!賞」が授与された[注 1]。本来このコンテストには、このような賞はなく、芸能事務所 サンミュージックの専務が酒井を見初め、「『彼女の』才能を試してみたい」との希望で急遽用意されたものだった[注 2]。こうして、酒井の芸能界デビューは決定した[3]。
via www.geocities.jp
サンミュージックの専務の鶴の一声で、酒井の芸能界入りが決まったそうです。当時住んでいた福岡市から上京し、サンミュージック社長の相澤秀禎の自宅で下宿生活を始めました。例の事件の際にも、相澤社長が必死になって酒井に呼びかける姿が思い出されます。
Sun Music Group Official Web Site
森田健作、ベッキー、カンニング竹山、塚本高史等の所属タレント紹介、活動情報、ファンクラブ案内。。
モモコクラブとしてデビュー
1985年末から翌年にかけて、テレビドラマに出演し芸能界にデビューしていきます。また同時期にアイドル雑誌「Momoco」の特別コーナーから派生したモモコクラブ(No.1482)となり、その後しばらくその中心メンバーとして人気を高めていきます。
『Momoco』(ももこ)は、かつて学習研究社(現・学研ホールディングス)から出版していた、日本の月刊女性アイドルグラビア雑誌。同社(事業部門は学研パブリッシングに分割)が発行している『BOMB』の姉妹誌として1983年11月に創刊した。大判のグラビアが特徴で、投稿写真の多かったBOMBよりも読者の対象年齢をやや高く設定しており、ヌードも併せて掲載していた。
モモコクラブに登場し現在でも芸能人として活動を続けている代表的なタレントとして、工藤静香、鈴木保奈美、森口博子、西村知美、などが挙げられます。ちょっと面白いところではその後AV女優として一斉を風靡した桜樹ルイ(当時の芸名は相沢美紀)なんかもいます。
酒井法子 モモコクラブ 第1回 オープニング
via www.youtube.com
一斉を風靡したのりピー語
モモコクラブを中心に人気が出てくるにつれ、「のりピー」と自称しつつ、「のりピー語」なる独自の言葉遣いを用いるようになりました。当時の中高生を中心に「のりピー語」が大流行するとともに、自身のイラストに基づくキャラクラーグッズなど、「のりピーワールド」とも言える独自の活動を展開していきました。
@BabyBabyBaby103 えー!私可愛い小学生だったのでのりピーノート買ってのりピー語練習しましたよ☆いただきマンモス♪
— まるのこ☆ウーハイジョッキ↑↑ (@marupooh127) August 30, 2016