反体制の音楽だったフォークソングのイメージを一変させ、フォークのプリンスと呼ばれた吉田卓郎の「結婚しようよ」
2017年1月23日 更新

反体制の音楽だったフォークソングのイメージを一変させ、フォークのプリンスと呼ばれた吉田卓郎の「結婚しようよ」

レコード会社の移籍と共に発表された「結婚しようよ」は、それまでの反戦運動や学園闘争など、反体制のシンボルとしてのフォークソングのイメージを一変させました。ブライダル業界へも影響を与えた「結婚しようよ」を振り返ります。

4,804 view

「結婚しようよ」とは

「結婚しようよ」(けっこんしようよ)は日本の歌手、よしだたくろう(吉田拓郎)が1972年に発表したシングルである。
フォークをメジャーに押し上げた楽曲で、"J-POPの原点"とも評される。この年2月に発生したあさま山荘事件の頃から全国的にヒットしはじめ、春の訪れとともに順位を挙げて3月にオリコンチャート3位を記録し、40万枚以上を売る大ヒットとなった。 

吉田拓郎について

デビュー前の活動

広島育ちの吉田拓郎は、1966年に日本コロンビア洋楽部主催のフォークコンテストにソロで出場し、全国大会3位になります。1967年のヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト中国地区で優勝し、1968年には全国大会でヴォーカル・グループサウンズ部門で4位になりました。
まだレコード化もされていなかったのですが、ラジオ出演やDJを担当したりして、ラジオにもリクエストが殺到するほどでした。吉田拓郎の発案で、3つのフォークグループにより「広島フォーク村」を結成し、学生運動のバリケードで囲まれたステージで「イメージの詩」を歌い、終了後に学生たちに取り囲まれるということもありました。

エレックレコード時代

1970年にエリックレコードに入社して、「イメージの詩」、「青春の詩」を発売しましたが、NHKのオーディションに落ちてしまったり、広島フォーク村のアルバム発売記念コンサートにも客がほとんどいないなど、目立った活躍はできませんでした。
イメージの詩のジャケット

イメージの詩のジャケット

インディーズレーベルだったエレックレコードから「イメージの詩」、「青春の詩」を発売しました。

CBSソニー時代

1971年にCBSソニーから「今日までそして明日から」を発売し、1972年に発売した「結婚しようよ」がヒットしたことで、吉田拓郎の名前が知られるようになります。
オリコンチャート3位、40万枚を売り上げたこの「結婚しようよ」のヒットにより、それまでの長髪の若者が歌う反体制的なものとされていたフォークソングが、普通の音楽として認知されるようになりました。
続く「旅の宿」もヒットしたことにより、他のアーティストへの作曲の依頼も入り、作曲家としての人気も高まりました。
結婚しようよのジャケット

結婚しようよのジャケット

「結婚しようよ」のヒットにより、フォークソングのイメージは一変し、社会に受け入れられるようになりました。

よしだたくろうから吉田拓郎への改名

1975年には、井上陽水、泉谷しげる、小室等らとアーティストによる初めてのレコード会社フォーライフレコードを設立します。それまではひらがなの「よしだたくろう」としていましたが、これを機に漢字の「吉田拓郎」に改名しました。
森山良子の「歌ってよ夕日の歌を」、キャンディーズの「やさしい悪魔」、石野真子の「狼なんて恐くない」など、多くの楽曲を提供しヒットさせました。
その後、2003年には肺がんの手術を受けましたが、手術は成功し復活コンサートも開催、2013年にはライブアルバム「吉田拓郎LIVE2012」がオリコンDVD週間ランキングトップ10入りして、史上最年長66歳を記録しました。
吉田拓郎LIVE2012のDVDジャケット

吉田拓郎LIVE2012のDVDジャケット

3年ぶりのNHKホールでのLIVEの模様を収録しています。

「結婚しようよ」が与えた影響

長髪・フォークソングの認知

それまでのフォークソングは、ギターをかき鳴らして自分の主張を叫ぶ、反体制的な音楽というイメージが強いものでした。「結婚しようよ」とストレートに自分の思いを告げる拓郎の歌は、従来のフォークファンたちには「商業主義」、「軟弱」などと非難され、他のアーティストとのジョイントライブなどでは歌が聞こえないほどの「帰れ」コールが起こるほどでした。本当に帰ってしまったこともあったようですが、「帰れ」コールの中で歌い続ける姿が共感を呼んだことと、あさま山荘事件が起きたことにより、学生運動に共感していた若者たちの気持ちが変わりつつあったことも影響していたようです。
長髪でギターを持っているだけで「不良」と呼ばれていた若者たちですが、当時としては異質の「長髪」と、常識である「結婚」をシンプルに歌う「結婚しようよ」は、大人たちも微笑ましく受け入れていきました。
旅の宿のジャケット

旅の宿のジャケット

長髪とジーンズは若者のスタイルとして広がっていきました。

ブライダル産業への影響

「結婚しようよ」の発売後、歌詞の内容通り、軽井沢の「聖パウロ教会」で結婚式を挙げました。それまでの家同士の結婚式という儀式から、若者の新しいスタイルとして受け入れられ、教会での結婚式が女性の憧れとなり、「結婚しようよ」は結婚式での定番となりました。
52 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • 📺♪ 🎸 2021/5/7 07:06

    サザンの「吉田拓郎の歌」は吉田拓郎氏が引退のほのめかしや噂を桑田圭祐氏が危惧して書いたそうです
    実際引退は避けられたそうです(YAHOO知恵袋によると)

    すべてのコメントを見る (1)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

人生の応援歌、あのフォークソングをもう一度

人生の応援歌、あのフォークソングをもう一度

人は人生を行く抜く間に、様々な壁にぶつかったり大きな挫折を繰り返しています。失恋をしたり仕事に失敗したり、その内容は千差万別、人によって違っています。そんな時たまたま耳にしたあの歌、なんとなく聞いていただけなのに、訳もなく笑顔になれたり前向きになれたり、そんな経験を誰もがしています。それがあなたが巡り合った人生の応援歌なんです。
五百井飛鳥 | 424 view
もしかすると過小評価されてるんじゃないの?80年代前半の吉田拓郎。

もしかすると過小評価されてるんじゃないの?80年代前半の吉田拓郎。

70年代があまりにも華々しかったこともあって、80年代の吉田拓郎は余り語られる機会がないように感じます。確かに80年代の吉田拓郎は、もう既にやりきった。疲労困憊、そんな言葉が脳裏をよぎらなくもありません。しかし、吉田拓郎の才能は巨大!70年代だけで枯れる筈もありません!
obladioblada | 4,833 view
世紀の破天荒男『泉谷しげる』。シャイな男の「コノヤロー」「バカヤロー」は照れ隠し!?

世紀の破天荒男『泉谷しげる』。シャイな男の「コノヤロー」「バカヤロー」は照れ隠し!?

23歳でシンガーソングライターでデビューし、ラジオに、ドラマに、映画に、数多くの作品に出演し、多才な一面を見せつつも、毒舌、乱暴者、奇怪な行動等々話題には事欠かない彼の生きざまを振り返ってみましょう。
ナベゲン | 4,465 view
ポプコンの開催で知られている”フォークソングの聖地”「つま恋」リゾート終了!!

ポプコンの開催で知られている”フォークソングの聖地”「つま恋」リゾート終了!!

 吉田拓郎や中島みゆきなど多くのアーティストが熱唱し、「フォークソングの聖地」として知られているリゾート施設「つま恋」が、12月25日で42年間の営業に幕を下ろすことが明らかになった。
red | 2,355 view
WOWOWにて、吉田拓郎 2カ月連続特集を6月よりお届け!最新映像作品を含む全4作品を放送&配信!

WOWOWにて、吉田拓郎 2カ月連続特集を6月よりお届け!最新映像作品を含む全4作品を放送&配信!

WOWOWでは、映像作品「吉田拓郎 Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL “ah-面白かった” Live Session-」に加え、2019年、2014年、そして2012年のステージの模様を放送。吉田拓郎の10年間のライブを振り返る。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト