人生の応援歌、あのフォークソングをもう一度
2022年6月13日 更新

人生の応援歌、あのフォークソングをもう一度

人は人生を行く抜く間に、様々な壁にぶつかったり大きな挫折を繰り返しています。失恋をしたり仕事に失敗したり、その内容は千差万別、人によって違っています。そんな時たまたま耳にしたあの歌、なんとなく聞いていただけなのに、訳もなく笑顔になれたり前向きになれたり、そんな経験を誰もがしています。それがあなたが巡り合った人生の応援歌なんです。

423 view

道標ない旅 永井龍雲

道標ない旅―永井龍雲

永井龍雲は、キャニオン・レコードから1978年にデビューしました。デビュー曲は「想い」、そして翌年の1979年に出した5枚目のシングル「道標しるべない旅」が、グリコアーモンドチョコレートのCMソングに採用となりヒット曲となります。人気が上がった永井龍雲は、1981~82年の間「オールナイトニッポン」木曜2部のパーソナリティも担当しています。

人生の応援歌としておすすめの「道標ない旅」は、青春の中で迷う若者達にぜひとも聴いて欲しい曲ですね。「青春を旅する若者よ 君が歩けばそこに必ず道はできる」、このフレーズに元気をもらえる人も多いのでしょうか。

人生を語らず 吉田拓郎

人生を語らず  吉田拓郎

「人生を語らず」は、吉田拓郎の生き方が書かれた曲だと言われています。まだまだとんがっていた頃のこと、ジョイントコンサートに出演した際に帰れコールが起こったり、歌っている最中に物が投げ込まれた時もありました。それでも、全くめげるそぶりを見せず…というか気にもしないで、ただただ前に向かって走り続けてきたのです。

「人生を語らず」は、その強烈な反骨精神を思い切り表現した一曲と言えるでしょう。1970年代、吉田拓郎は音楽なら誰にも負けないと思っていたそうです。それ故に、自信満々で風をきって歩いていたとか。時代を変革する力を持っている人は、反発も大きく最初は受け入れられないことも多いですね。そしてその逆風に耐え得る人こそが、時代を変えていく人となるのでしょう。

青空に問いかけて 小室等

松崎しげる「俺たちの朝」

小室さんバージョンの動画がないので、松崎しげるさんバージョンで。
「青空に問いかけて」は、松崎しげるが歌っていた人気テレビドラマ「俺たちの朝」の主題歌です。当時の若者なら、誰もが知っていた曲ですね。その「俺たちの朝」の作曲を担当した、小室等がセルフカバーしたのが「青空に問いかけて」です。小室等の優しく語りかけてくるような歌い方で、「俺たちの朝」とはまるで別物の曲ななっていますね。

何をすれば良いのかわからずに、とにかく落ち込む人にやさしく語り掛けるのは小室等さん。静かに、「明けてゆく青空に問いかけてみようよ」って言われると、思わず納得してしまいそうですね。これが松崎しげるさんの場合だと、「空に聞いてみるんだ!」って、叱咤激励しているようですね。

風に吹かれていこう やまがたすみこ

風に吹かれて行こう / やまがたすみこ

やまがたすみこは、カレッジ・フォークの新星として注目された、シンガーソングライターです。作詞・作曲での名前は山県すみ子になっています。その澄み切った歌声は、当時のフォークソングファンを魅了しました。「風に吹かれていこう」は、1973年2月10日に発売されたデビュー曲となります。

1973年3月にファーストアルバム「風、空、そして愛」を、フォークアルバム第1集としてリリース。そして、同じ年の9月には「あの日のことは…」をフォーク・アルバム第2集』、更に翌年の5月には「Melodies Come From My Hear」をフォーク・アルバム第3集と、フォークアルバム3部作として立て続けにリリースしました。

デビュー当時のやまだたすみこは、自作曲の他に森山良子・千賀かほる・赤い鳥などをカバー、カレッジ・フォークのスタイルを取っていました。その後、ニューミュージック系の曲風に移行し、1976年に出した6枚目のアルバム「サマー・シェイド」からはシティ・ポップに路線を変更して、新たなファン層も獲得にも成功しています。

人として 海援隊

【海援隊】人として

「人として」は、武田鉄也が主演して国民的な大ヒットとなったTBS系ドラマ「3年B組金八先生(第2シリーズ)」の主題歌に採用された曲です。更に1983年に放送された「3年B組金八先生スペシャルII」でも、再び主題歌として使われました。

人は、「出会い」・「迷い」・「傷つき」・「別れて」などの悲しみを繰り返しているんです。そんなことがあれば、人を嫌いになってしまいそうにも思いますが、歌詞では「それでも人しか 愛せない」と語りかけています。

人に憑かれて、心が砕かれてしまう人も多いことでしょう。まさに、そんな落ち込んだ人に聴いて欲しい応援歌ですね。
15 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

もしかすると過小評価されてるんじゃないの?80年代前半の吉田拓郎。

もしかすると過小評価されてるんじゃないの?80年代前半の吉田拓郎。

70年代があまりにも華々しかったこともあって、80年代の吉田拓郎は余り語られる機会がないように感じます。確かに80年代の吉田拓郎は、もう既にやりきった。疲労困憊、そんな言葉が脳裏をよぎらなくもありません。しかし、吉田拓郎の才能は巨大!70年代だけで枯れる筈もありません!
obladioblada | 4,831 view
日本最初のインディーズレーベル「エレックレコード」。実に錚々たるミュージシャンを輩出しています!

日本最初のインディーズレーベル「エレックレコード」。実に錚々たるミュージシャンを輩出しています!

1969年の設立から1976年に倒産するまで、吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸、ケメ、海援隊、大瀧詠一にシュガー・ベイブなどなど、数多くのミュージシャンを輩出した日本最初のインディーだったエレックレコード。奇跡としか言いようがありませんね。
obladioblada | 1,464 view
反体制の音楽だったフォークソングのイメージを一変させ、フォークのプリンスと呼ばれた吉田卓郎の「結婚しようよ」

反体制の音楽だったフォークソングのイメージを一変させ、フォークのプリンスと呼ばれた吉田卓郎の「結婚しようよ」

レコード会社の移籍と共に発表された「結婚しようよ」は、それまでの反戦運動や学園闘争など、反体制のシンボルとしてのフォークソングのイメージを一変させました。ブライダル業界へも影響を与えた「結婚しようよ」を振り返ります。
ybanzawa | 4,803 view
世紀の破天荒男『泉谷しげる』。シャイな男の「コノヤロー」「バカヤロー」は照れ隠し!?

世紀の破天荒男『泉谷しげる』。シャイな男の「コノヤロー」「バカヤロー」は照れ隠し!?

23歳でシンガーソングライターでデビューし、ラジオに、ドラマに、映画に、数多くの作品に出演し、多才な一面を見せつつも、毒舌、乱暴者、奇怪な行動等々話題には事欠かない彼の生きざまを振り返ってみましょう。
ナベゲン | 4,463 view
BS松竹東急で『プロゴルファー織部金次郎』&『海援隊50周年コンサート』が放送決定!武田鉄矢からのコメントが到着!!

BS松竹東急で『プロゴルファー織部金次郎』&『海援隊50周年コンサート』が放送決定!武田鉄矢からのコメントが到着!!

BS松竹東急(BS260ch・全国無料放送)の放送枠「よる8銀座シネマ」にて、武田鉄矢が原作・脚本・監督(2~5作)・主演を兼ねた未配信の映画『プロゴルファー織部金次郎』シリーズ全5作が6月に全国無料放送されます。
隣人速報 | 382 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト