【サッカー列伝】獅子王ガブリエル・バティストゥータは、引退後にプレーの代償と戦っていました
2016年11月25日 更新

【サッカー列伝】獅子王ガブリエル・バティストゥータは、引退後にプレーの代償と戦っていました

元アルゼンチン代表のガブリエル・バティストゥータは、現役時代荒々しいまでの点取り屋として名を馳せました。しかし、引退後はそのダイナミックなプレーの代償である足首の痛みと戦っていました。それも強烈な痛みでした。

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ガブリエル・バティストゥータ

ガブリエル・バティストゥータ

ゴール後に見せるこのポーズ。
どこを見つめているんでしょう。

日本でも、結構マネしている人もいたんではないでしょうか?

経歴

筋肉!

筋肉!

アルゼンチンのサッカー選手。ポジションはフォワード。

1969年2月1日生まれ、サンタ・フェ州リコンキスタ出身。身長185センチ、体重73キロ。

ニックネームは獅子王、バティ。

エピソード

ダイナミックなプレーが売りでした!

ダイナミックなプレーが売りでした!

バティストゥータは1969年2月1日にアルゼンチンで生まれました。

小さな頃からバスケットが大好きな少年で、将来の夢はバスケットボールでアルゼンチン代表としてオリンピックに出場することだったそうです。
また、学業も優秀で医者になることも考えていました。

そんなバティストゥータ少年にとって、ヒーローとの出会いがありました。
9歳の頃に行われた1978年のアルゼンチンで開催されたワールドカップでの「マリオ・ケンペス」のプレーでした。

このプレーでサッカーに少し興味を持ったバティストゥータでしたが、依然バスケットボールを続けており本格的にサッカーを始めたのは17歳からと遅めでした。

所属クラブ

ACFフィオレンティーナ

ACFフィオレンティーナ

1988~1989年
ニューウェルズ・オールドボーイズ

1990年
CAリーベル・プレート

1990~1991年
ボカ・ジュニオールズ

1991~2000年
ACFフィオレンティーナ

2000~2003年
ASローマ

2003年
インテルナツィオナーレ・ミラノ

2003-2005年
アル・アラビ
代表歴

活躍

フィオレンティーナ

フィオレンティーナ時代

フィオレンティーナ時代

フィオレンティーナ在籍時、胸のスポンサー名は「Nint...

フィオレンティーナ在籍時、胸のスポンサー名は「Nintendo」

バティが海外移籍として、最初に選んだセリエAのフィオレンティーナ。
バティは、ルイ・コスタとの連携で数々のゴールをゲットしていました。

しかし、その後クラブの経営難から、中田英寿と同僚となる同じセリエAのASローマへと移籍します。
そこでも、20得点を決め、ASローマのスクデット(優勝)に貢献します。

ちなみに、ユニフォームの遍歴を見ると、「MAZDA」や「TOYOTA」とスポンサーに日本企業名が記載されていますね。
また、後年フィオレンティーナには、中田英寿も在籍しました。

アルゼンチン代表

アルゼンチン代表時代

アルゼンチン代表時代

・(1991年)対ブラジル戦でアルゼンチン代表デビューを飾る。コパ・アメリカチリ大会では6ゴールを挙げ、アルゼンチン代表を優勝へ導く。また、個人タイトルとして得点王も獲得。一躍世界的なプレイヤーとしてブレイクを果たす。

・W杯アメリカ大会、ギリシャ戦でハットトリックなどの活躍で大会4ゴール(チーム内得点王)。チームは強豪アルゼンチンとしては不本意なベスト16の成績。

・W杯フランス大会の南米予選で当初バティストゥータはダニエル・パサレラ監督に出場機会をあまり与えられていなかったが、最終的には実力を認められレギュラーとして代表に復帰する。

・ワールドカップフランス大会。初戦はW杯初出場である日本戦。ここで1点を決め、勝利に貢献した。また、ジャマイカ戦ではW杯記録となる(1994年大会と続いての)2大会連続のハットトリックを決める。大会を通じて5ゴール(チーム内得点王)、チームはベスト8の成績。

・W杯韓国・日本大会 南米予選では、マルセロ・ビエルサ監督がバティストゥータとエルナン・クレスポを決して同時起用することがなく、2人のレギュラー争いが話題となる。

・ワールドカップ日韓大会。アルゼンチン代表のエースとして参加するが、1得点しか挙げられず、チームはグループリーグ敗退。バティストゥータはアルゼンチン代表からの引退を宣言。
日韓ワールド杯 前列真ん中がバティストゥータ

日韓ワールド杯 前列真ん中がバティストゥータ

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