西ドイツ屈指のドリブラー・リトバルスキー
ドイツ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。愛称は「リティ」。
1960年4月16日ベルリン生まれ。
現役時代のポジションは攻撃的ミッドフィルダー。
1990年FIFAワールドカップの西ドイツ代表優勝メンバー。いまだに「ドイツ(西ドイツ)最高のドリブラー」と一部では称されている。
晩年は日本のJリーグで選手生活を送った。
リトバルスキーのドリブル
ベルリンで生まれ少年時代からドリブルの得意な選手で、地元でも有名な存在になっていった。彼の武器のドリブルは小さい頃のストリートサッカーで培われたものである。
Pierre Littbarski 17/18 Goals (West Germany) - YouTube
via www.youtube.com
非常に柔らかく細かいタッチのドリブルが特徴。
DFとの間合いを計りながら、一瞬のスキを見逃さずに抜き去る。
小柄ながらもDFに身体を当てて、ボールを失なわず、シュートまで持ち込んでいた。
DFとの間合いを計りながら、一瞬のスキを見逃さずに抜き去る。
小柄ながらもDFに身体を当てて、ボールを失なわず、シュートまで持ち込んでいた。
1993年ジェフユナイテッド市原へ入団
1993年、ジェフユナイテッド市原へ移籍した。契約以前に日本を訪れたことはなかったが、1.FCケルン時代にチームメイトだった奥寺康彦に「お前は前から日本人だったんだよ」と言われるリトバルスキーの性格と、控え目で秩序正しい日本人の性質がマッチし、創成期のJリーグにおいて健在振りをアピールした。
リトバルスキーは1993年にJリーグに在籍していた外国人選手の中で唯一、FIFAワールドカップ優勝経験がある選手である。
1994年になると清雲栄純監督と激しく対立し、さらにネナド・マスロバルの加入により後半戦はまったく出場機会がなく、1995年に現役引退を表明した。
1996年に現役復帰してジャパンフットボールリーグ(旧JFL)のブランメル仙台で2年間プレーした。
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Jリーグでも得意のフリーキックを披露!
プレースキックが得意であり、ジェフユナイテッド市原移籍後2戦目のヴェルディ川崎戦では25mの位置から直接フリーキックを決め、1993年にはどの選手よりも多くのフリーキックによる得点を挙げた。
同年8月に札幌厚別公園競技場で行われたヴェルディ川崎戦ではコーナーキックを直接ゴールに沈めた。
(リトバルスキー)Jクロニクルベスト;1993ベストゴール - YouTube
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リトバルスキーの伝説キック Legend kick of Littbarski - YouTube
直接コーナーキックを決めたシーン!
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母国・西ドイツではW杯優勝に導く!
80年代は西ドイツ代表の中核としてプレー。W杯ではチームを三度も決勝へと導いた。
1982年スペイン大会と1986年メキシコ大会で準優勝。
20代後半になってからは代表で控えに回ることが多くなったが、1990年の代表引退までに73試合に出場し18得点を記録。1990年イタリア大会では優勝の原動力となった。
背番号7はリトバルスキーのトレードマークだった。
1982年スペイン大会と1986年メキシコ大会で準優勝。
20代後半になってからは代表で控えに回ることが多くなったが、1990年の代表引退までに73試合に出場し18得点を記録。1990年イタリア大会では優勝の原動力となった。
背番号7はリトバルスキーのトレードマークだった。
via ultra-soccer.jp
ドリブルだけでなく、シュートの正確さも秀逸。