まだサッカー日本代表が「全日本」と呼ばれていた頃、短期間だけ赤いユニフォームの時期があった!
サッカーの日本代表と言えば「サムライブルー」の愛称で知られるように青色がイメージカラーですよね。
Jリーグが開幕して、サッカー人気が定着して以降、日本代表の選手だけでなく、サポーターも青い代表ユニフォームを着て、スタジアムを青一色で包むのが当たり前の光景となっています。
Jリーグが開幕して、サッカー人気が定着して以降、日本代表の選手だけでなく、サポーターも青い代表ユニフォームを着て、スタジアムを青一色で包むのが当たり前の光景となっています。
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90年代に日本代表に起きた「ドーハの悲劇」、「マイアミの奇跡」、「ジョホールバルの歓喜」を知るサッカーファンにとっては、「蒼き日本代表」がやはり身近に思えますね。
また、今のように「日本代表」との呼称ではなく、かつては「全日本」との呼び方もありましたね。特にJリーグ開幕以降、「日本代表」と呼ぶようになって久しいですが、「全日本」は非常に懐かしく感じます。
また、今のように「日本代表」との呼称ではなく、かつては「全日本」との呼び方もありましたね。特にJリーグ開幕以降、「日本代表」と呼ぶようになって久しいですが、「全日本」は非常に懐かしく感じます。
《思い出深い 日本代表ユニフォーム》
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「赤い」日本代表のユニフォームが存在!
「青」が強くイメージされる日本代表のユニフォームにおいて、80年代末に一つの異変が起きます。それが「赤」のユニフォームの採用でした。
永遠のライバル・韓国代表を思わせるその赤いユニフォームは、1988年から1991年にかけて着用されました。
永遠のライバル・韓国代表を思わせるその赤いユニフォームは、1988年から1991年にかけて着用されました。
胸にあった日の丸が消え、現在日本サッカー協会を象徴するエンブレム「ヤタガラス」が付けられました。ユニフォーム全体が日の丸を想起させていますね。
上記画像のサッカー雑誌「ストライカー」の表紙で、赤い日本代表ユニフォームを着ている選手には、奈良橋や沢登、下川、小村、相馬、三浦文丈などが映っています。90年代中頃から後半にかけて日本サッカー界を担った選手たちもこのユニフォームに袖を通していました。
上記画像のサッカー雑誌「ストライカー」の表紙で、赤い日本代表ユニフォームを着ている選手には、奈良橋や沢登、下川、小村、相馬、三浦文丈などが映っています。90年代中頃から後半にかけて日本サッカー界を担った選手たちもこのユニフォームに袖を通していました。
それまでは青と併用して現在と同じように白をベースとしたユニフォームが採用されていました。当時はその両カラーに憧れてた選手もいたでしょうか。だとしたら、全く印象の異なる赤いユニフォームには、どのような印象を持ったのでしょうか?気になるところです。
「赤い」ユニフォームを採用していた頃の成績は?
赤いユニフォームを採用していた時期は、はたしてどのような成績だったのでしょうか。
この頃の日本代表はまだアジアの強豪でもなく、中堅国のひとつでした。ワールドカップの出場は悲願であり、夢のまた夢で、オリンピックも釜本が活躍したメキシコオリンピックから出場は遠のいていました。
この頃の日本代表はまだアジアの強豪でもなく、中堅国のひとつでした。ワールドカップの出場は悲願であり、夢のまた夢で、オリンピックも釜本が活躍したメキシコオリンピックから出場は遠のいていました。