あのハマのマリオが大活躍!【カルロス・ポンセ】の凄さに迫る!!
2016年11月25日 更新

あのハマのマリオが大活躍!【カルロス・ポンセ】の凄さに迫る!!

決して、メジャーリーグで活躍した選手ではないカルロス・ポンセは日本に来て大当たり。口髭の風貌から、マリオと呼ばれ、大人気に。そんな大人気のカルロス・ポンセはどんな人物だったのか迫ります。

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マリオは打点、本塁打と4番の仕事をきっちりと行う選手だった。

カルロス・ポンセ(Carlos Antonio Pon...

カルロス・ポンセ(Carlos Antonio Ponce Diaz)

1959年2月7日生まれ
身長180cm、体重80kg
右投げ右打ち
ポジション:外野手

1986年から1990年まで、大洋ホエールズの4番打者として大活躍して、横浜ファンの記憶に残る選手の一人である。

タイトルこそ、本塁打王1回と打点王2回であるが、あのランディ・バースがいなかったら間違いなく、ポンセがタイトルを総なめしていただろう。

カルロス・ポンセの獲得タイトルと主な表彰と成績

本塁打王:1回 (1988年)
打点王:2回 (1987年、1988年)

ベストナイン:2回 (1987年、1988年)
優秀JCB・MEP賞:1回 (1989年)

オールスターゲーム出場:1回 (1988年)

カルロス・ポンセのプレースタイルとはどうだったの?

ストイックな走って打てる中距離バッター

ストイックな走って打てる中距離バッター

打率を.322、本塁打も27本、盗塁も18盗塁と来日早々から、走って打てるマリオを見ることができました。タイトルこそ逃した初年度でしたが、堂々たる活躍を見せ、横浜の顔となっていくのであった。
当時の大洋ホエールズは、高木、加藤、屋敷のスーパーカートリオでの野球スタイルを目指しており、その3人の後、4番を主に任されることとなった。

走れて、中距離の打撃が適した打者を探していた大洋の首脳陣の理想に最も近かったのが、カルロス・ポンセであった。

守備は決して、得意ではなかったが、3人を返しながら、自らも走り回り次につなげていく打撃が出来、シーズン最多安打の称号を得るほどの選球眼の持ち主であった。

また、ノーヒットで試合を終えると、その晩御飯がピザしか出ず、安打を重ねるごとにおかずが増えていき、猛打賞のときなど御馳走で出迎えられたらしい。そんなストイックな一面もプレーに繋がったのではなかろうか。

日本に来るまでのポンセの軌跡・・・

1959年にプエルトリコに生まれ、1982年にブルワーズと契約し、1985年にメジャーデビューを果たした。21試合を出場したが、目立った活躍が出来ず、翌年のメジャー枠から外れることとなったところを、当時の大洋ホエールズのスカウトが目をつけ、ポンセを口説き落とす。

日本に来たころは、スーパーマリオブラザーズが大人気でして、やってきたポンセの風貌がマリオに似ていたため、マリオの愛称で人気を博していた。
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日本の野球に溶け込んだ5年間の大洋時代。

来日した1986年には、俊足選手を好んだ当時の大洋監督・近藤貞雄から重用され、高木豊・加藤博一・屋鋪要のスーパーカートリオに続く4番を主に打ち、ポンセと同じく俊足で5番を主に打ったダグ・ローマンを合わせて「スーパーカークインテット」と称された。同年打率.322、27本塁打、105打点、18盗塁と素晴らしい活躍を見せたが、阪神タイガースのランディ・バースが前年に続いての三冠王となる活躍を見せたため、ポンセは無冠だった。
 (1608191)

守備は1986年は三塁手として起用されていたが、送球に難があり、シーズン27失策を記録した。そのためこのシーズン中盤に、当時一塁手であった田代富雄が故障離脱してからは、三塁を山下大輔に明け渡して一塁を守るようになり、後半に加藤博一も離脱してからは外野で出場することも増え、翌1987年からは正式に外野手に転向された。
1987年は打率.323、35本塁打、98打点とこれまた大活躍をし、打点王のタイトルを獲得。更にはベストナインにも選ばれた。また、159安打はこのシーズンの最多安打。
1988年はオールスターゲームに出場。シーズン33本塁打、102打点で初めて本塁打王のタイトルを獲得。並びに2年連続で打点王、ベストナインに選ばれた

ポンセ バッティングフォーム - YouTube

しかし、1989年は成績が振るわず、1990年はジョーイ・マイヤーの入団で二軍生活が長くなり、同年限りで退団

引退後のカルロス・ポンセはいったい・・・。

大洋ホエールズを退団後は、アメリカに戻り、マイナーリーグのコーチや、フロリダ・マリーンズのスカウトなどを務めた。

今は、大型トラックの運転手や、少年野球の教室を開催し、野球に携わった生活をしている。
1998年の横浜ベイスターズ優勝時にはお祝いのメッセージを送って、ともに祝ったものです。
ファンの前で弾けるポンセ

ファンの前で弾けるポンセ

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